死にたくない男
新年、最初の上客が来た。
名前は、城島哲也。68歳。不動産業で財を成した、いわゆる「資産家」というやつだ。
応接に通すと、城島は開口一番、こう言った。
「死にたくないんですよ」
俺は、一瞬、返答に詰まった。
「……はあ」
「長生きしたい。できれば、ずっと。先生なら、なんとかなると聞いて」
「まあ……体の話なら、診てみますが」
とりあえず、鑑定をかける。
【城島哲也/68歳・男】
体の状態:ほぼ完璧。心臓・血管・肝臓・腎臓、全て同世代トップ水準。定期的に鍛えている
生活習慣:食事管理、運動習慣、睡眠管理、全て優秀
実年齢に対する体の状態:実年齢より15歳は若い
本当の悩み:三ヶ月前、長年の親友が急死した。「次は自分かもしれない」という恐怖が消えない
「……どこも悪くないですよ」
城島が、眉をひそめた。
「そんなはずは。最近、少し、ここが」
「どこですか」
「心臓のあたりが、なんとなく」
もう一度、丁寧に見る。
「心臓、完璧です。同世代で最高水準」
「では、血圧は」
「正常です」
「脳は」
「問題なし」
「血液は」
「きれいです」
「内臓は」
「全部、いい状態です」
城島が、困ったような顔をした。
「……何かあるはずなんですが」
「何もないです」
「本当に?」
「本当に。先生に怒られますよ、こんなに健康な体で心配しすぎだって」
城島は、しばらく黙っていた。
「……怖いんですよ」
ぽつりと言った。
「三ヶ月前、友人が突然、逝きまして。朝、元気だったのに夜には」
「……そうでしたか」
「長い付き合いで。同じ時代を生きてきた人間で。……なんか、自分の番が来る気がして、怖くなって」
「体を診てほしかったのは」
「何か悪いところがあれば、直してもらえると思って。そしたら、安心できると思って」
俺は、しばらく城島を見ていた。
正直に言う。
「城島さん。俺、体は治せます。でも、怖いって気持ちは治せないんですよ」
「……そうですか」
「うちは、医者じゃないし、カウンセラーでもないんで。体に何かあれば、それは全力でやりますが、今のあなたには、何もないんで」
「そうですか」
城島が、少し、肩を落とした。
「……恥ずかしいですな。いい歳して、怖い怖いと言って」
「恥ずかしくないと思いますよ」
「え?」
「友達が死んだら、怖くなるでしょ。普通に」
城島が、きょとんとした。
「……そうですかね」
「そうですよ。俺でも怖いと思いますよ、たぶん」
——と、そこで。
俺の頭が、急に、別の方向に飛んだ。
そういえば、今日の昼飯、まだ食ってなかったな。年明けだし、なんか食いたいな。お雑煮とか。いや、七海に作ってもらえるかな。でも七海、料理するかな。澪は絶対しないな。じゃあデリバリーか……。
「……青柳さん?」
七海の声で、引き戻された。
「え?」と、城島。
「すみません。ちょっと、気が散ってました。……どこまで話しましたっけ」
「怖くて当然、というお話で」
「そうそう。怖くて当然だと思いますよ」
七海が、小声で俺に言った。「友達の話、続けてください」
「そう、友達。……その方と、ちゃんとお別れは、できましたか」
城島が、少しだけ、固まった。
「……それが、急でしたので。お葬式には行きましたが、なんか、実感がなくて」
「どんな人だったんですか」
「うるさい男でしてね。よく飲みに行きました。くだらない話ばかりして」
「くだらない話、どんな?」
城島が、一瞬、笑った。
「……どっちが長生きするか、賭けようとか言って」
「いい人だったんですね」
「そうですね。……そうでした」
しばらく黙った。
「……怖いのは、しばらく続くかもしれないですけど」と、俺は言った。「でも、城島さんの体は、本当にどこも悪くない。それは確かです。もし何か変わったら、また来てください」
「…………それだけですか」
「それだけです。すみません、こういう悩みに、俺は無力で」
城島は、なぜか、笑った。
「……いや。なんか、すっきりしました」
「すっきり?」
「何かあると思ってたのが、なかったので。それはそれで、よかったです。あとは、まあ、時間ですかな」
「そうですね」
「……お代は」
「今日は、いりません」
「え?」
「治してないんで」
城島は、しばらく俺を見て、また笑った。
「面白い先生ですな」
「よく言われます」
城島が帰ったあと。
七海が、帳簿を見ながら言った。
「……今日の収入、ゼロですよ」
「うん」
「よかったんですか」
「治してないんで、もらえないだろ」
「そういう基準、あったんですね」
「俺にも、一応ある」
七海が、何も言わなかった。
ただ、帳簿を閉じる手が、いつもより、少し、丁寧だった。




