ジュース
朝。
というか、何時かはわからない。
地下2階の管制ルームに降りたら、澪がモニターの前で、突っ伏していた。
「……澪、起きろ。澪」
肩を揺すると澪が顔を上げた。いつもと様子が違った。
顔色が、悪い。目の焦点が、合っていない。
「……りおん?」
「具合悪いのか」
「……べつに」
「嘘つけ。鑑定かけるぞ」
【水瀬澪/22歳・女】
体の状態:低血糖、脱水、睡眠不足が重なって限界に近い
最後に食べたもの:38時間前
最後に寝たのは:52時間前
「……何時間飯食ってないと思ってんだ」
「数えてなかった」
「38時間だ」
「そんなに?」
「そんなに」
澪は、ぼんやりと自分の手を見た。「……道理で、なんか変だと思った」
「変どころじゃない」
俺は澪の肩に手を当てて、回復をかけた。低血糖と脱水は治せない——栄養と水分は外から入れるしかない。でも、消耗しきった細胞を起こすことはできる。
「ちょっとだけ、楽になる。でも今すぐ何か食べろ」
「……うん」
「動けるか」
「たぶん」
「たぶんじゃなくて」
澪が、ゆっくり立ち上がった。よろけた。
俺が支えた。
澪は、少しの間、俺の腕に体重を預けたまま、動かなかった。
「……ありがとう」
いつもより、声が小さかった。
七海が冷蔵庫から出してきたゼリー飲料と、ジュースを、澪に渡した。
澪は、ソファに座って、ゆっくりジュースを飲んだ。
三人で、しばらく黙っていた。
七海が、静かに言った。
「……いつもこうなんですか。昔から」
「昔から」
「誰も、止めてくれなかったんですか」
澪は、ジュースのパックを見たまま、少し考えた。
「……いなかった。止めてくれる人」
「ご家族は」
「親、いるけど」
澪が、短く言った。
「転勤が多い人たちで。あたし、小学校から高校まで、七回引っ越してる」
「七回」
「うん。毎回、転校して、また転校して。……なんか、途中から、人と仲良くなるのが面倒になった。どうせすぐ引っ越すし」
「それで」
「コンピューターの方が、楽だった。場所関係ないから。どこにいても、同じものがある」
七海が、何も言わなかった。
「高校、最後の転校先に馴染めなくて、行かなくなった。そしたら親とも、うまくいかなくなって。卒業してから、ずっと一人でいた」
澪は、ストローを、指でくるくると回した。
「居場所って、別に、なくてもいいかなって思ってた。面倒だから。でも、なんか……ずっとどこかで、うっすら、変な感じはしてた」
「変な感じ」
「うん。ここにいていいのかなみたいな。でも、どこに行けばいいかも、わからなくて」
俺は、何も言わなかった。
言えることが、なかった。
「そしたら、りおんのサーバー、見つけて」
澪が、少しだけ、口の端を上げた。
「ボロいのに中がすごくて。……あたしみたいだなって思った」
「ボロいのはサーバーだけど」
「りおんも、わりとボロい」
「おい」
七海が、珍しく、小さく笑った。
「澪」
「ん」
「ここにいていいのかなって、今も思う?」
澪は、少し考えた。
「……たまに思う。でも」
「でも?」
「ここにいると変な感じが、しない」
「そうか」
「うん」
澪は、ジュースを飲み切って、パックを、ぺしゃんこにした。
「……ご飯、食べたら、仕事する」
「今日は休め」
「でも」
「いいから。ピヨちゃんは逃げない」
澪が、少しだけ、目を細めた。「……そうだね」
その日、澪は珍しく、昼過ぎまで寝た。
管制ルームの、自分のブランケットにくるまって。
七海が、そっと毛布をかけ直した。
俺は、それを見ながら、思った。
こいつが最初にここに来た時、荷物がノートパソコンと充電器だけだった。
それ以外に、持ってくるものが、なかったんじゃなくて。
持っていくものが、なかったんだろうな。
居場所が、なかったから。
でも今は、ブランケットがある。
毛布をかけてくれる人がいる。
寝すぎたら起こしてくれる人も、たぶん、いる。
寝顔を見ていたら、なんか、嬉しくなった。
うまく言葉にはできないけど。
こいつがここにいて、よかった。
心から、そう思った。




