鬼の、頼みごと(後編)
御堂会長の、屋敷は。
予想は、してたけど。とんでもない、デカさだった。
門から、玄関まで、ミンティーで、走れそうだった。
「……七海。うち、平屋でよかったよな」
「ええ。掃除する身に、なってください」
その日。屋敷に向かったのは、俺と、七海。
澪は、基地に、残った。理由は、ふたつ。
ひとつは——人混みと、初対面が、死ぬほど、苦手だから。
「行かない。知らない家、いや」
「まあ、お前は、そっちで、頼むわ」
もうひとつは。
例の、甥っ子の“仕事”を、裏で、追い詰めるため、だ。
「……りおんが、表で、奥さん治して。あたしが、裏で、甥っ子の尻尾、掴む」澪は、モニターの前で、エナジードリンクを、ぷしゅっと開けた。「見抜きコンビの、初仕事」
「コンビ名、それで、確定なのか」
「した。さっき」
通されたのは、屋敷の、奥の一室。
きれいに整えられた、和室だった。
布団に、小さなおばあさんが、横たわっている。
御堂佐和子さん。会長の、奥さんだ。
枯れ枝みたいに細い。けど、その顔は、不思議と、穏やかだった。
枕元には、御堂会長が、座っていた。鬼みたいな男が、まるで、借りてきた猫みたいに小さく、なって。
「……佐和子。客人だ。お前を、診に、来てくださった」
佐和子さんが、ゆっくりと目を、開けた。
そして、かすれた、小さな声で、言った。
「……まあ。わざわざ。……うちの人が、ご迷惑を」
その状態で、まず、客への気遣いが出てくる。
……あー、これは。会長が惚れぬくのも、わかる。
俺は、枕元に、膝をついて。鑑定を、かけた。
【御堂佐和子/75歳・女】
体の状態:進行性の難病。全身の筋力が低下。自力で起き上がれない。発声も困難
病の根:神経と、筋肉の、伝達の異常(細胞レベルで進行)
余命:医師の見立てでは、長くて、あと半年
心の状態:自分のことより、残していく夫を、案じている
いちばんの願い:もう一度、二人で、昔の家の縁側で、お茶を飲みたい
……願い夫婦で、おそろいか。
御堂会長と、まったくおんなじ。
縁側で、茶。
たった、それだけ。
これだけの金と、力を持った夫婦が、最後に欲しがったのが——それ、かよ。
「会長さん」
「……どうだ」
「治る」
御堂の、息が、止まった。
「神経と、筋肉。伝達が、おかしくなってる。けど、根っこは、見えてる。……元の、状態に、戻せる」
「ほ、本当に……っ」
「ただし」俺は、佐和子さんの、手を、そっと取った。「ちょっとだけ、あったかくなる。痛くは、ないから。……婆ちゃん、力、抜いてな」
佐和子さんが、こくり、と、頷いた。
目を、閉じる。
念じる。
衰えた筋肉に、力を。鈍った神経に、信号を。狂った伝達を、ぜんぶ、元あった、正しい流れに。
美咲ちゃんの時みたいに、ゼロから生やすわけじゃ、ない。
これは、“戻す”仕事だ。あったものを、あった場所へ。
手のひらが、じわっと熱くなる。
淡い光が、佐和子さんの、体を、包んでいく。
枯れ枝みたいだった指先に、血の色が、戻る。
落ちくぼんでいた頬に、ふっくらと、ハリが、戻る。
光が、ゆっくり、引いていく。
しん、と、した。
佐和子さんが、ゆっくりと自分の手を持ち上げた。
「……あ、ら」
ひとりで、布団に手をついて、起き上がった。
半年、寝たきりだった人が、誰の手も借りずに。
「……まあ。体が、軽いこと」
声も。さっきまで、かすれていた声が。
はっきりと澄んで、響いた。
御堂会長は、口をぱくぱくさせて、何も言えないまま、ぼろぼろと涙をこぼした。
「さ、さわ……っ、佐和子……」
「あなた。……まあ。なんて、顔。鬼の御堂が、泣くなんて」
「うるさい……っ、黙っとれ……」
佐和子さんが、ふふっ、と、笑って。
その、戻った手で。
会長の、ごつごつした手を、握った。
……俺はそっと立ち上がって、二人に背を向けた。
なんか、見てるこっちが、照れる。
横を見たら、塩対応の七海が。
めずらしく目元を、指で、ぬぐっていた。
「……泣いてんのか、お前」
「……地下より、空調が、強いんです、ここ」
「使い回しだろ、それ」
——と、思った瞬間。その感動のど真ん中に。
すぱーん、と、襖が、開いた。
「伯父さん! 一体、何を——」
甥の、御堂啓介だった。
施術のことを、聞きつけて、慌てて、飛んできたらしい。
立ち上がった、佐和子さんを見て。
その顔が、見る間に、ひきつっていく。
「……ば、伯母、さん……? た、立って……?」
笑顔の、仮面が。
ぴしっ、と、ひび割れた。
そりゃ、そうだ。
こいつにとっちゃ、伯母が治るのは——いちばん、まずい展開。
抜いた金の、口実が。たった今、立ち上がって、笑ってる。
「啓介。喜べ。佐和子が、治ったぞ」
御堂会長が、涙を拭いて、言った。
何も、知らない会長は。素直に。
「お前も、ずっと佐和子の治療に、奔走して、くれた。……礼を、言う」
「い、いえ、そんな……っ」
啓介の、額に、汗が、にじむ。
ここで、俺は。
ポケットの、スマホを、見た。
澪から、メッセージが、一件。
『出た。全部。
治療費名目で抜いた金、ぜんぶ、別口座。
ペーパー会社、三つ経由。
証拠、まとめた。いつでも、どうぞ。』
……仕事、はええな。
俺は、にっこり、笑って。
啓介の、肩に、ぽん、と、手を、置いた。
「啓介さん、っつったっけ。あんた、立派だなあ。伯母さんのためにそんなに金を、動かして」
「は……?」
「治療費。総額、けっこうな額だよなあ。……でも、不思議なんだよ」
俺は、声を、少しだけ、落とした。
「その金。半分も、治療に、使われてねえ。残りは——ペーパー会社、三つ、経由して。どっか、別の口座に、消えてる」
啓介の、顔から。
すうっ、と、血の気が、引いた。
「な……っ、なん、で」
「証拠なら、ある。きれいにまとまってる。……うちの天才が、ひと晩で、揃えた」
御堂会長の、空気が。
ぶわっ、と、変わった。
涙で、濡れてた目が。
一瞬で、業界で「鬼」と呼ばれた、あの目に、戻る。
「……啓介。今の、話は」
「ち、違います、伯父さん、これは、誤解で——」
「わしの、女房の、病を」
御堂の、声が。
腹の底から、響いた。
「ダシに、使ったのか。貴様」
啓介は、もう、何も、言えなかった。
がたがた、震えて。腰を、抜かして。
その様子が、答えの、すべてだった。
——あとのことは。
俺たちが、口を出すことじゃ、ない。
ただ。屋敷を出る時に、ちらっと見えた、会長が電話で誰かに指示してる横顔は。
控えめに言って、地獄の、入り口みたいな顔だった。
啓介の、これからの人生。
たぶん、いろんな意味で、ハードモードだ。
帰り際。
すっかり元気になった佐和子さんが、玄関先まで、見送りに、出てきた。
自分の、足で。
「青柳さん。……主人と、わたくしの、いちばんの願いを。あなたは、二つも、叶えてくださった」
「二つ?」
「ええ。ひとつは、この体」
佐和子さんが、にっこり、笑った。
「もうひとつは——あの子の、本性を、暴いてくださったこと。……うすうす、気づいては、いたんですよ。でも、主人に、言えなくて」
……ああ。
この婆ちゃんも。
ぜんぶ、わかってて。黙って、寝てたのか。
強えなあ、ほんと。この夫婦は。
後日。
御堂会長から、報酬が、振り込まれた。
七海が、その金額を、見て。
めずらしくぴたっと固まった。
「……青柳さん」
「いくらだった」
「……十億、です」
じゅう、おく。
鷹司さんの三十億には、及ばない。でも——縁側でお茶を飲む願いに、十億。
「……縁側で、お茶を飲む権利にしては。少し、ゼロが、多すぎます」
額を、聞いて。俺も、むせた。
鷹司さんの時ほどじゃ、ないにせよ。これも、とんでもない桁だった。
「……青柳さん。一応、言っておきますけど」
「ん?」
「この額が、ぽん、と口座に入ると。……銀行も、黙ってないと思いますよ。さすがに」
「黙ってないって?」
「いえ。……なんでも、ないです。たぶん、大丈夫」
七海は、そう言って、視線を、逸らした。
たぶん、本人も、よく、わかってなかった。
何が「大丈夫」じゃ、ないのか。
——それを、思い知るのは。まだ、ずっと先の話だ。
そして、振込には、一筆、添えられていた。
『礼が、足りん。近いうち、また、人を、紹介する。
……今度は、わしらと少し、毛色の違う世界の、人間だ』
「毛色の、違う世界」と、七海が、つぶやく。
「政治家とか、そういうのか?」
「……かも、しれませんね」
世界が、また、一段、広がる音が、した。
その夜。
基地に戻ると、澪が、モニターの前で、こっくり、こっくり、舟を漕いでいた。
ひと晩、徹夜で、証拠をまとめた、その姿勢のまま。
「……お疲れさん。澪」
「ん……勝った?」
「ああ。完勝だ。お前の、おかげ」
澪は、半分、寝ぼけたまま。
ちょっとだけ、笑った。
「……見抜きコンビ、最強」
「だな」
「給料、上げて」
「お、欲が、出たな。いいぞ。何に、使うんだ」
「……わかんない。でも、もらっとく。いつか、使う時、来るって、お前が、言った」
俺は、笑った。
ちゃんと覚えてやがる。
「七海。澪の、ボーナス、よろしく」
「……はい。経理として、処理します」
「あ。それと税金——」
「追々で、ですよね」
「……お前、最近、先に言うの、覚えたな」
「学習しました。あなたの“追々”は、絶対、来ないので」
——縁側で、茶を。
たった、それだけの、願い。
それを、叶えるために。
俺は、また、とんでもない金を、稼いで。
とんでもない数の、ゼロを。
帳簿に、書きもせず、放り込んだ。
その、ゼロの山が。
いつか、俺の、首を、絞めることになるなんて。
このときは——やっぱり。まだ。
これっぽっちも、思っちゃ、いなかった。




