住むところがなかった
澪との“約束”から、二日後。
指定されたのは、都心の、古びた喫茶店だった。
待ち合わせ場所は、そっちで決めていい——そう言ったら、返ってきたのは、店の名前と、時間だけ。地図のリンクも、目印も、なし。
「……不親切な天才だな」
「天才は、だいたい不親切です」と、助手席の七海。
ミンティーを、コインパーキングに、停める。料金表を見て、俺は反射的に、ぐぬっとなった。
「都心、ただ停めとくだけで、こんな取んのかよ。ぼったくりだろ」
「都心ですからね」
「これ、経費になる?」
「打ち合わせの移動なら、なります」
「よっしゃ。じゃあ領収書」
「機械です。出ません」
「…………」
「メモしておきます。今度こそ」
なんか最近、七海が俺に求める基準が、地味に下がってきてる気がする。慣れって、こわい。
店に入ると、平日の昼間、客はまばらだった。
奥の、いちばん隅の席。
そこにひとり、座っていた。
小柄な女の子だった。だぼっとした、グレーのパーカー。フードを、半分かぶって、ノートパソコンを、気だるげに眺めている。
こっちが近づいても、顔を、上げない。
「……澪、か?」
ようやく視線が、上がった。
目の下に、うっすら、クマ。でも、その目だけは——やけに澄んで、まっすぐ、俺を射抜いてきた。
「りおん。本物だ」
「本物って」
「画面越しと、同じ顔してる。嘘つく時の顔じゃない。……ふうん」
俺は、向かいに座った。七海が、その隣に、きっちりと腰を下ろす。
念のため、鑑定を、かけておく。
【水瀬澪/22歳・女】
体調:睡眠不足(自業自得)。栄養は、偏り気味
性格:マイペース、淡白、興味のあること以外は、どうでもいい。嘘は、つかない
腹の中:相変わらず、悪意ゼロ。今は「この二人、面白いか見極め中」
本当の事情:帰る場所が、ない。腕はあるが、どこにも、属していない
……お。なるほど。
こいつ、すげえ腕を持ってるくせに。居場所が、ないのか。
と——そこへ、店員さんが、来た。
「ご注文は」
「えーと……」
メニューを開いた瞬間、俺の目が、ぴたっと止まった。
クリームソーダ。でかい。緑。てっぺんに、アイス。さくらんぼ、付き。
「これ。この、緑のやつ」
「青柳さん」
「ん?」
「打ち合わせです」
「打ち合わせしながら飲める色だろ、これは」
七海は、こめかみを押さえて、「アイスコーヒーを」とだけ、言った。
澪が、ぼそっと言った。
「……あたしも、緑の」
「お。同じの、頼むんだ」
「うん。さくらんぼ、食べたい」
「俺は、この色に、惚れた。味は、二の次」
「あたしは、味も、どうでもいい。さくらんぼだけ」
「同じ緑頼んでんのに見てるとこ、ぜんぜん違うな俺ら」
七海は、すでに遠い目を、していた。注文した瞬間に、この打ち合わせの先行きを、悟った顔だった。
「で。お前が、文句つけてきた“甘い三カ所”」
俺が切り出すと、隣で、七海が、ぴくっとした。
澪は、ノートパソコンを、くるりとこちらに向けた。
画面には、見覚えのある——うちのセキュリティの、構成図みたいなものが、表示されていた。
「こことここと、ここ」
細い指が、三点を、差す。
「外からは、完璧に見える。実際、よくできてる。でも、この三つは、内側から見ると、隙間がある。あたしは、そこを、通った」
七海が、画面を、食い入るように見た。
正直、図の細かい中身までは、七海にも、俺にも、わからない。俺たちは、技術屋じゃ、ない。
ただ——この基地のセキュリティが、どういう代物かは、知っている。金に糸目をつけず、俺が鑑定で選び抜いた、一流の業者に、最高峰のものを、組ませた。
そのはずの守りを、こいつは、たった一人で、しかも、遊び半分で、抜いた。
「……うちのセキュリティ、相当な業者に、相当な金を積んで、組ませたんですけど」
七海の声に、隠しきれない悔しさが、にじむ。
「それを、こんなあっさり」
「うん。よくできてたよ。本気で。……でも、できてるからこそ、作った人間の“クセ”が、出る。そこが、隙になる」
「クセ」
「うん。たとえば——」
澪が、すっと七海を、見た。
「あなた、几帳面でしょ。手順、きっちり決めるタイプ。だから、守りも、きっちりしすぎてる。隙間が、いつも、同じ形してる。一個わかれば、全部、わかる」
七海が、ぐっ、と、黙った。
図星、らしい。
「……性格まで、構成図から、読まないでください」
「読んでない。守り方から、にじみ出てた」
「もっとたちが悪い」
俺は、思わず、噴いた。
ちょうど運ばれてきた、クリームソーダのさくらんぼを、口に放り込みながら。
「お前ら、いいコンビに、なりそうじゃん」
「「なりません」」
声が、きれいに揃った。
……お。否定だけは、息ぴったりだ。
「澪」
「ん」
「もう一回、言う。うちに来い」
澪は、しばらく俺を、見ていた。
それから、ぽつりと。
「……あたしが、何者か。気にならないの?」
「鑑定で、だいたい見えてる。悪い奴じゃない。腕はバケモン。嘘はつかない。それで、じゅうぶんだ」
「経歴とか、過去とか」
「いらねえよ、そんなん。うちの秘書も、そうやって採った」
七海が、ちらっとこっちを見た。が、否定は、しなかった。アイスコーヒーを、ひと口飲んで、聞かなかったことにしたらしい。
澪の、指が、止まった。
ノートパソコンを、ぱたん、と、閉じる。
「……条件、言っていい?」
——来た。
俺は、ぐっ、と、身構えた。
ここからが、本番だ。相手は、国家級の守りすら遊びで抜く、天才ハッカー。ふっかけてくる金額の、桁が、こええ。
鷹司さんで、30億を、見た。こいつなら……いくら、言ってくる? 50億か。100億か。
横を見ると、七海も、わずかに息を、詰めている。たぶん、同じことを考えてる。心の中で、電卓を、構えてやがる。
「金は」
——来る……!
「いらない」
「…………は?」
俺と七海の声が、見事に、重なった。
身構えてた肩から、すうっと力が、抜けていく。
「金には、興味ない。あっても、使い道、わかんないし」
「いや待て。使い道なんて、いくらでもあんだろ。うまいもん食うとか、緑のソーダとか」
「ソーダは、目の前に、ある」
「目の前に、あるな」
「うん」
会話が、進まねえ。
「……それより」
澪が、ふっと視線を、落とした。
その、淡々とした横顔に、ほんの少しだけ。何か、寂しさみたいなものが、よぎった気がした。
「あたし、住むところが、ない」
「……は?」
「いや、正確には。どこにいても、いいんだけど。どこにも、いたくないっていうか。落ち着く場所が、ずっとなかった」
俺は、黙って、続きを、待った。さくらんぼの種を、皿に置く手だけ、止めて。
「お前のサーバー、入った時。なんか……変な感じ、したんだよね」
「変な感じ」
「うん。ボロいくせに中が、すごい。隠れてるくせに堂々としてる。……なんか、あたしみたいだなって」
澪は、ちょっとだけ、口の端を、上げた。笑った、のかもしれない。わかりにくいけど。
「だから、条件。お金は、いらない。代わりに——」
まっすぐ、俺を、見た。
「あそこに住ませて。
で、あの面白いシステム、好きなだけ、いじらせて。
それが、条件」
しん、と、なった。
——と、思いきや。
「却下です」
七海、だった。
「えっ」
俺と澪の声が、揃う。今日、二回目だ。
「セキュリティの中枢を、外から入ってきた人間に、好きなだけ、いじらせる。正気ですか。さっき、その守りを、破られたばかりですよ」
「あ。そっか」
「破った本人を、中に入れて、もっと触らせる。……控えめに言って、地獄の発想です」
ぐうの音も、出ない。正論すぎる。
でも、澪は、動じなかった。
「逆だよ」
「逆?」
「破れる人間が、内側にいるのが、いちばん固い。あたしが守る側に回ったら、もう、誰も、入れない。……たぶん、あたし以外」
七海が、黙った。
数秒。
「……一理、あります。悔しいですけど」
今日、二回目の、「悔しいですけど」だった。
「七海」
「……はい」
「うち、地下に、まだ部屋、余ってたよな」
七海は、小さく、ため息を、ついた。でも、その目は、もう、反対していなかった。
「……ええ。地下2階に、空いてる区画が。あの子なら、管制ルームの、すぐ近くがいいでしょう。仕事の、相性的にも」
「だってさ。澪」
澪が、ぱちりと目を、見開いた。
そして——ほんの少しだけ。今度は、はっきりと。
笑った。
「……マジ?」
「ああ。今日から、お前の家だ。歓迎するぜ」
その時の、澪の顔を。俺は、たぶん、ずっと忘れない。
ずっとどこにも、いられなかったやつが。初めて、「帰る場所」を、見つけた。
そういう、顔だった。
——のも、つかの間。
「あ。あのエレベーター、認証の応答、0.4秒、遅い。直していい?」
「いきなり仕事すんな。まず、荷物、運べ」
「荷物、これだけ」
澪が、ノートパソコンを、ぽん、と、叩いた。
「……それだけ?」
「あと、充電器」
「家財道具、それで、全部か」
「うん。身軽が、いちばん、速い」
七海が、早くも、こめかみを、押さえはじめた。
「……生活感が、ゼロ。布団は。歯ブラシは」
「現地調達」
「人としての、最低ラインを、調達しないでください」
「あ。それと澪」
席を立ちかけて、俺は、思い出したように言った。
「お前、金いらないって、言ったけどな。給料は、ちゃんと払うから」
澪が、きょとんとした。
「……いらないって、言ったけど」
「知ってる。でもな」
俺は、椅子に、もたれ直した。
「今は、いらなくてもさ。いつか、使う時が、来るんだよ。欲しいもんが、できたり。守りたいもんが、できたり。……その時に、手元に金がねえと困るだろ」
澪は、黙って、俺を、見ていた。
「居場所は、タダでくれてやる。それは、条件でいい。けど、お前の腕には、ちゃんと値段がつく。それは、別の、話だ」
「……なんで、そこまで」
「うちで働くなら、お前は、うちの仲間だ。仲間が、ちゃんと食って、いつか好きなもん買えるように。それを用意すんのは、雇った俺の、仕事だろ」
しばらく澪は、何も、言わなかった。
それから、ぽつりと。
「……変なやつ」
でも、その声は。さっきまでの、淡々としたやつとは、少しだけ、違って。ほんの少し、あたたかかった。
「変なやつで、けっこう。ま、給料の額は、そこの鬼秘書と、相談してくれ」
「鬼秘書は、余計です」
七海が、すかさず、塩を、効かせた。でも、その横顔も、どこか、やわらかかった。
「あ」
澪が、何か、思いついた顔を、した。
「給料、緑のソーダで、もらっていい?」
「現金です」七海、即答。
「毎日、一杯」
「現金です」
「……ケチ」
「ケチではなく経理です。給料は、現金で出します」
俺は、もう、笑いが、止まらなかった。
帰り際。
「先に、言っとくけど」
澪が、ぽつりと言った。
「あたし、寝る時間、バラバラだから。気にしないで」
「夜型ってこと?」
「ううん。昼とか、夜とか、あんまり、ない」
「ない?」
「面白いことやってる時は、何時間でも、起きてる。飽きたら、その辺で、寝る。気づいたら朝だったり、気づいたら……次の朝、だったり」
「次の朝って、なんだよ。一日、どこ行った」
「さあ」
「さあじゃ、ねえ」
「時間、数えるの、苦手」
「数えてすら、いねえのかよ」
七海が、額を、押さえて、天を仰いだ。
「……生活管理の対象が、また一人、増えましたね。しかも、過去いちばんの、強敵です」
「賑やかで、いいじゃねえか」
「賑やかと無法は、違います」
——金は、いらない。居場所が、欲しい。
そう言った、澪。
こいつが、このあと。俺の商売を、とんでもないところまで、押し上げてくれることも。
そして——いつか来る、あの“国税”との戦いで。俺たちの、いちばんの、武器に、なることも。
今は、まだ。誰も、知らない。
……あ。
そういや、こいつ。記録とか、データの管理、めちゃくちゃ、得意なんじゃ、ねえか。
帳簿とか、そういうの。
ふと、そんなことが、頭を、かすめた。
「なあ、澪。お前、数字とか、記録の整理、得意?」
「得意。世界で、いちばん」
「マジか。じゃあ、今度、うちの——」
「青柳さん」
七海が、すっと遮った。
「その話は。……追々で」
「お、おう」
追々で。
その四文字が、また、未来の俺めがけて、転がっていった。
——いちばんの武器になるはずの天才が、すぐ隣にいるのに。
それを使う発想に、誰も、たどり着かないまま。
今は、まだ。
笑って、緑のソーダを、すすっている。




