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065.上層のトラップ

 第三十六階層――。


 上層山岳フィールドの中でもここから先は更に過酷さを増す。


 前階層では暴風エリアが存在したが、ここからは標高がぐんと上がった設定なのか、地平線の代わりに見渡す限りの雲海が広がっていた。


 そして空気が薄い。

 超高所並みの空気の薄さ、気圧の低さ。


 初めて体験するあまりにも過酷な環境変化にさすがのヤンも身体に異常が発生していた。


 行く手に立ち塞がる魔物を倒しながら、不調を押して進む。


 フラつく。

 踏みとどまってまた走る。


 本来なら高山病や低酸素症の症状が出る前に、徐々に身体を環境に適応させる必要があるのだが、そんな常識を知る由もない迷宮育ちのヤン。


 がむしゃらに走り続けた結果、とうとう気を失って倒れてしまった。




* * * * *




「ヤンくん!」


 後ろから追ってきたジュノ軍曹が倒れたヤンを発見して、慌てて介抱する。


 ジュノ軍曹がモンクで良かったな、ヤン。


「ん……んんっ……ペク……ちゃん?」


「ヤンくん、大丈夫?」


「ここは……ボク、どうして……」


 また意識を失ってしまったようだ。


「無茶しすぎなのよ、もう」


 ジュノ軍曹は珍しく怒っていた。

 今までさんざん置いてきぼりを食らってきたことについて、ではない。


 ヤンの猪突猛進ぶりに危うさを感じ取ったからだ。


 しかも、自分や他のみんなに何一つ説明してくれない。

 案内人(ガイド)をやっている時の安定感、安心感とは真逆の行動。


 何より今通っているのは前人未到の未知の階層なのだ。

 大波で魔物の情報を確認したといっても、それが全てとは限らない。


 必死に追いつこうとしている自分や他のみんなだって下手をしたら命の危険があるのだ。


 (自分勝手すぎるわよ……)


 誰も目に入らないかのように突き進んでいく後姿を追っている間、ずっと寂しかった、


 頼って欲しかったけれど、自分にはまだそれだけの信用がないのだろう。

 実際こうしてヤンについていけずに遅れてしまっている。

 その状況で偉そうなことなんて言えるわけがなかった。


 でもやっぱり腹が立つのだ。


 ヤンに?

 自分に?


 倒れているヤンを遠くから見つけた時、一瞬心臓が止まるかと思った。

 強敵にやられたのかと思ったのだ。


 でも近づいてヤンの身体を仰向けにして傷がないのを確認して、わかった。

 この環境に適応できなかったのだと。


 ジュノ軍曹はこの階層に出た瞬間に、環境の変化に気付いた。

 道場の訓練の一環で、山に登ってトレーニングをする合宿があったのだ。


 その時、祖父から山の環境について色々教えてもらったのだった。


 間違いない。


 ヤンはこの迷宮生まれ、迷宮育ちだから、知らなかったのだ。


 とりあえず【回復】をかける。


 一時的に回復するだけだが、ヤンが目を覚ましたらちゃんと説明しよう。

 ジュノ軍曹が今やっているように、ちゃんと「気」をコントロールしてエネルギーをうまく身体に循環させれば、環境による影響を緩和できるはずなのだ。


 簡単に言うと身体の表面に「気」の膜を張るイメージだ。

 それができればもう問題はないはずだった。



 でも、ヤンはいつ目を覚ましてくれるのだろうか。

 

 目の前の弱ったヤンを見ていると、自然と涙が溢れてくる。


 (あ、でも今ならみんなが追いついてこられるわ)


 明らかな事実に気付いて後ろを見る。


 キキの姿が見えた。


 だが、その足取りはいつもの様子と違っていた。

 キキもこの高所の影響を受けているのだ。


(もしかしてみんなも……)


 ジュノ軍曹の予感は見事に的中していた――。




* * * * *




「ありがとう、ジュノ軍曹」


 キキが軽く頭を下げて礼を言う。


 グロッキー状態だった全員をジュノ軍曹が【回復】してくれたのだった。


 キキとリンは特に症状が酷くてヤンのように倒れるのも時間の問題というところだった。

 意外と高所に強かったのがジーグとマリオだが、それでも頭痛がしていたので【回復】は効果があった。


「で、ヤンの様子はどうなんだ」


 ジーグが心配そうに眠っているヤンを覗き込む。


「たぶん、今までの疲れが出たのもあると思うんです。ずっと寝てなかったし」


「そりゃオレたちも一緒だ。ヤンがそんなに軟弱だったとな」


 マリオが妙にわざとらしく悪態を吐く。


「今のうちにみんな、仮眠を取っておこう」


 ジーグがみんなを促して出来るだけまとまって岩などを背に休むようにさせた。


「ジュノ軍曹も少し休んだ方がいい」


「いえ、私はまだ大丈夫ですから。ジーグさんこそ休んでください」


「オレは見張りでもやるさ」


「それは私の仕事だ」


 突然割り込んできたのはリンだった。


「しかし……」


「いいから休め。私がやる」


「……そうか。じゃお言葉に甘えることにするよ」


 そう言ってジーグはマリオの隣に腰掛けると次の瞬間には軽い鼾を立てていた。


「君も休め、軍曹」


「ありがとうございます。でも私、こうしていたいんです」


 おおっと、これはもしかしてバトル勃発か。


 女同士の静かな戦い。


「ではヤンを頼む。私は少し様子を見てくる」


 言い残すとさっと離れていくリン。


 残念ッ!!


「ヤンくん……。ゆっくり休んでね。みんなのためにも」


 ジュノ軍曹はヤンの手を取り、傍らに座り込んだまま自分も少しだけ眠った。




* * * * *




「軍曹……軍曹……」


 軽く肩を揺すられて目を覚ましたジュノ軍曹の目に飛び込んできたのは、大立ち回りの光景だった。


 すぐに状況を理解してすっと立ち上がると周囲を確認するジュノ軍曹。


「すみません、リンさん」


 起こしてくれたリンに感謝しつつ、うっかり眠ってしまった自分を恥じる。


「起こして申し訳ない。この状況だったので仕方なかったのだ」


「いえ、とんでもないです。私も戦います」


「頼む」


 ヤンはまだ爆睡中。


 リンと二人、ヤンを守るように左右を固めて近づいてくるアリオを排除。


 出現したのはアリオとアシュラムの人型二種。

 この組み合わせでの出現は初めてだった。


 手数の多いアシュラムと硬くて速いアリオは厄介な組み合わせだった。

 しかも今回のアシュラムはレベル3なので多少骨がある。


 バキッ!

 ゴドッ!

 バゴッ!

 ザシュッ!

 ズバァッ!


 ボスクラスではないとはいえ、上層のレベル3の魔物をものともせずに次々排除していくジュノ軍曹とリン。


 ただヤンの後をついてきただけではない。


 少なくとも上層に入ってからはほぼ自力でここまで来たのだ。


 結果的にヤンの独走のおかげで、常に個々の力量で突破しなければならない状況だったことが、確実に実になっていたと言えなくもない。


 急に強くなったということではなく、敵とタイマン、あるいは一対多で向き合いながらそれを打開するという立ち回りやメンタルが鍛えられたのだ。


 見ると、キキも完全に個で対峙している。


 ジーグとマリオは二人一組のポジショニングでやっているが、なんら危なげなかった。


 徐々に敵の出現頻度が下がっていき、やがてパッタリ出なくなった。


「ふぅ、参ったな。寝込みを襲われるとか冷や汗ものだ」


 ジーグが汗を拭いながら再び腰掛ける。


「見張りは何してたんだよ」


 マリオが文句を垂れるが、表情はむしろ笑っていた。


「すまない。ちょっと向こうで敵に捕まってしまって、知らせるのが遅くなった」


 リンが頭を下げる。


 どうやら最初に接敵したのがリンだったらしい。


「んん……あれ、みんなどうしたの?」


 ヤンが起きた。


「ヤンくんダメよ。もう少し休んでて」


 ジュノ軍曹がヤンの肩に手を添えて、起きようするヤンを宥める。


「ボク、眠ってたの?」


「そうよ、ここに倒れてたの。心配したんだから」


「ごめん、ペクちゃん」


 ふくれっ面で叱るジュノ軍曹にたじたじのヤンは素直に謝る。

 でもすぐに走っていきたくでウズウズしているのは誰の目にも明らかだった。


 ジュノ軍曹が噛んで含めるようにヤンに高所でのリスクについて説明を始めた。

 急になにかの授業が始まったので若干キョどりながらもおとなしく聞くヤン。


「なるほどね。案内人(ガイド)なのにそんなことも知らずに迷惑かけちゃったのか」


 めちゃくちゃ落ち込むヤン。


 まぁ知らなくても仕方ないのよ。

 なんせ前人未到階層なのだから。


「それじゃエリナおばさんに高い場所用のアイテム作ってもらわなきゃ」


 なるほど、そうくるか。

 さすがヤン、転んでもタダでは起きません。


 ヤンはおもむろに拡張カバン(そこなし)から迷宮だんご改をひとつ取り出して口に頬張り、むしゃむしゃごっくんするとすっかり元気回復した様子。


「みんなも食べる?」


「ひとつもらおう」


 キキが手を伸ばし、ヤンがその手に迷宮だんご改をひとつ置く。


「オレにもくれ、ヤン」


「オレもだ」


 ジーグとマリオにもひとつずつ。


「じゃあこれはペクちゃんとリンさんの分」


 二人は何も言わなかったが、二人にだけあげないわけにもいかないと思ったのか、有無を言わせずに二人の手に渡すヤン。


 これで全員気力だけは万全。


「じゃあまた行くけど、みんなはそれぞれのペースでいいからね」


 やはりもう待てない様子でそわそわするヤン。


「待てヤン。少しはみんなに説明しろ」


 キキがヤンの腕を掴んで厳しい口調で言うとヤンは困ったような表情。


 一応第三十五階層のボスエリアでキキだけは聞いていたが、それをキキから他人に話すのは違うと思ったのだった。


「あの……とうちゃんがたぶん四十階層にいるんだ。それで……とうちゃんの具合がよくないみたいだから早く行ってやりたいんだ」


 具合が悪いの件は初めてきいたぞ、と心の中で文句を言うキキ。


 そんなキキも含め、全員が言葉を失った。

 永遠に続くかに思えた沈黙だが、実際には僅か数秒。


「そうか、そういうことなら仕方がないな」


 誰もが反応に戸惑う中、物分かりのよい大人ジーグがまず許しを与える。


「ちょっと待て。どうしてそんなことがわかるんだ」


 おいマリオ、ちょっとは空気読め。


「気配察知のスキルみたいな感じ、かな。三十五階層のボスを倒して移動エリアが開放された時にはっきりわかったんだ。それまではなんとなくぼんやりした気配だったんだけど」


 ジュノ軍曹はヤンの説明を聞いて、ヤンのドリルの「気」を感じる力なのだろうと察した。血縁者である父親なら、かなり離れていてもわかるのだろう。


 「気」を感じてその相手が誰かを判別することができる、という話は祖父からも聞いたことがあった。

 当時のジュノ軍曹にはもちろん出来るはずもなかったが、この塔に来てからの成長によって今ではヤンの「気」だけははっきりと区別できるようになっていた。


 ただ、それが何階層も離れていても可能かまではわからなかった。


「そんなことができるなんて聞いたことがねぇ」


 まだ粘るマリオ。

 もう少し休憩したいのかもしれない。


「できる、と思います」


 ジュノ軍曹が助け舟を出す。


「私もヤンくんのことなら、どこにいるかだいたいわかります」


「それならオレもわかる」


 意外や意外。

 キキもそうなのか。


「マジかよ。おい兄貴、あんたはどうなんだ」


「無茶言うな。気配察知は離れた位置の生体反応を感知できるが、相手の特定まではできないはずだ」


「訓練すればわかるようになる」


 まさかリンも出来るのか。


「あんたもわかるってのか」


「当然だ」


 え、本当に?

 ジュノ軍曹に負けたくないだけなのでは?


「とにかくそういうわけだから、早くいかないと」


「ヤン、ひとつだけいいか」


 ジーグがヤンの隣まで来て尋ねる。


「うん」


「お前は初めて行く階層でどうやって迷わず進めるんだ」


 それ、実はみんなずっと疑問に思っていたこと。


「そんなの簡単だよ。ボスの気配の場所に行けばいいだけなんだから」


「いや、しかし途中の道に分岐もあったろう」


「みんなよく知ってる階層のイメージで考えるからだよ。上層って割と道は単純で、分岐も明らかに脇道だってわかるし、引っかけみたいなのもないみたいだから誰でもボスに辿り着けると思うよ」


「そうなのか?」


 マリオを見るジーグ。


「いや、オレに聞くな」


 ジュノ軍曹とリンはキキの方を見る。

 キキは頷く。


「じゃあもう行くね。みんなも気を付けて」


 今度こそ誰かに止められる前にとダッシュするヤン。

 ピューッとあっという間にいなくなってしまった。


 気を付けて、が最後の言葉とはほんとにもう……。


 ジュノ軍曹が後を追いかけようとしたのをキキが止める。


「ここから先はさすがに一人は危険だ」


 さっきはジュノ軍曹にみんなが助けられたが、逆の立場になる可能性もある。

 それだけ何があるかわからない階層、と判断したのだろう。


「でもそれじゃヤンくんが……」


「あいつに何かあればすぐにわかるだろう?」


 キキの言う意味がジュノ軍曹にはすぐにわかった。


「あいつに何かがあるような状況でおれたちが行っても足手まといになるだけだ。それなら一人で行かせた方がいい」


 確かにその通りだ。

 今回みたいなパターンでない限りは。


 そして今回のようなパターンについての注意は一通り伝えた。

 環境条件については細心の注意を払って進むはずだった。


「我々は誰一人欠けることなく進むことを最優先にしよう」


 リンがはっきり宣言する。

 この五人であればそれが可能だと確信できる。


「わかりました」


「話はまとまったか。それじゃ出発だな」


 言うなりマリオが先頭で駆け出した。


「やれやれ」


 ジーグが続き、キキ、ジュノ軍曹、リンも追いかける。


 もう彼らはヤンを心配などしていなかった。


 彼らが心配しているのは、「あまりヤンから遅れたくない」という一点。


 そして言葉には出さないがもう一つ。

 ヤンが言った「とうちゃんの具合がよくない」という言葉。

 誰も口に出さないが、それが魚の小骨のように喉に引っかかっていた。

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