【番外編5】そんな『いつか』を夢見ながら
時系列がバラバラですみません。37話と38話の間に位置する、エスメラルダのお話です。
(退屈そうな表情)
そんなことを思いながら、思わずクスリと笑ってしまう。誰を見ているかといえば、夜会会場の隅でピンと背筋を伸ばし、まっすぐに私を見つめている護衛のコルウスのことだ。
「楽しそうだね、エスメラルダ」
と、アーネスト様から声をかけられる。
「し、失礼いたしました。ダンスの途中だというのに、申し訳ございません」
あまりの恥ずかしさに頬が紅く染まってしまう。けれど、アーネスト様は「いや、いいんだ」と微笑んだ。
「初めは四人いた妃も、残っているのはあと二人。ミーナは今、妊娠中でこの場にはいないし、君には幸せな顔で笑っていてほしい」
「陛下……」
この一年半に起こった出来事を思い返しながら、私はついついしんみりしてしまった。
ミーナ様に毒を盛ったソフィア様、ご家族が謀反に関わっていたベラ様が後宮を去り、残る妃はミーナ様と私の二人きり。
しかも、私はアーネスト様の本当の妃ではない。愛する人――コルウスへの想いを貫くために、アーネスト様と契約を結んだからだ。
アーネスト様は今でも、ダンスや社交の時以外で私に指一本触れたことはない。『私たちの関係が良好』だと示すために翠玉宮にお渡りになったとしても、同じ部屋で別々に眠り、なに喰わぬ顔をして周囲の目を欺いている。
このことは私とアーネスト様、それからミーナ様しか知らないことだ。コルウスだって、私がアーネスト様の本当の妃だと思っている。
と、コルウスに一人の女性が話しかけるのが見えた。それは領地の近い男爵令嬢で、一度だけお茶会に招待したことがある。おそらくはコルウスも彼女のことを覚えているのだろう。無表情ではあるものの、きちんと返事をしているのが見えた。
(珍しいわね)
挨拶だけには留まらず、二人はそのまま会話を続けている。
コルウスはめったに他人へ興味を示さない。私の侍女や宮殿の使用人たちとも殆ど会話をせず、最低限の業務連絡ぐらいしか交わさない。仕事に支障はないものの、もう少しだけ他の人と仲良くしたらどうか――と本当は思うべきなのだろう。だけど、私は密かに嬉しかった。私が彼にとって特別な人だと感じられたから。
(やめて)
ドクンドクンと胸が痛む。どす黒い何かが自分を侵食していくかのような心地に足が竦む。
過去にも一度、こんな気持ちを味わったことがある。夜会でミーナ様とコルウスが踊っているのを見た時のことだ。
いつも無表情のコルウスが笑顔を見せた上、私以外の人間と積極的に関わろうとする。
コルウスは絶対に私以外の誰とも踊らないと思っていた。夜会のときはいつも、話しかけづらい雰囲気を醸し出し、周囲を牽制していたし、仮に誘われてもサラリと躱してしまう。『エスメラルダ様の護衛をしなければならないから』とそう言って。それなのに――。
「コルウスには、俺達のことを話してもいいんじゃないか?」
「え?」
ふと、アーネスト様からそう声をかけられ、私はビクッと体を強張らせた。絶望的な表情を浮かべている自覚はあるし、気づかれてしまうのも当然だ。
「そのほうが余程、心穏やかに暮らせるだろう?」
「い、いえ……それはできません」
そう答えながら、ついつい下を向いてしまう。
「コルウスにはコルウスの人生があります。……幸せになる権利があると思うのです。それなのに、主人の私が彼を縛ることなどできません」
私が気持ちを伝えたら、コルウスはきっと苦しむだろう。
彼は私を主人として慕ってくれている。死ぬまで側近くで仕えると、過去にそう誓ってくれた。
けれどその誓いは、私以外の誰かと結婚しても実現可能なものだ。
それなのに、私から恋心を伝えられては、忠誠心との板挟みになってしまう。
本当は他の女性を見ないでほしい。いつも私のことだけ考えていてほしい。私のことを一人の女性として愛してほしい――そんなことを考えているだなんて、とても言えない。
誠実で真面目な彼のことだ。言えば私の言うとおりにしてくれるだろう。
けれど、私はコルウスを縛りたくない。彼には幸せになってほしい。
(だって、好きなんだもの)
涙が込み上げてくると同時に曲が終わった。アーネスト様に礼をして、ゆっくりと顔を上げると、目の前に手が差し出されていることに気づく。
「――コルウス」
「お迎えに上がりました、エスメラルダ様」
コルウスが私をまっすぐに見つめていた。アーネスト様は私の肩をポンと叩き、別の場所へと移られる。
零れ落ちそうになった涙を必死に堪え、私はコルウスに向き直った。
「ありがとう、コルウス」
微笑みを浮かべコルウスの手を取る。そういえば前回の夜会でも、彼は曲が終わると同時に私を迎えに来てくれたのだった。あの時もミーナ様とコルウスが踊っているのを見て心が沈みきっていた。けれど――。
「あなたは踊らなくてよかったの? 女性に声をかけられていたでしょう?」
「ご覧になっていたのですか」
コルウスは淡々とそう返事をする。余裕のあるふりをしたくて――本当は余裕なんてないのに――私はふわりと目元を和らげた。
「何の話をしていたの?」
「もちろん、エスメラルダ様のことです。以前お世話になったから感謝の気持を伝えたい、と」
「そうだったの」
長く会話をしていたのは、それが私の話題だったかららしい。我ながら愚かだと思いつつ、少しだけホッとしてしまう。
「けれど――そうね、あなたももっと他人と関わるべきだわ。いつかあなたとも誰かと結婚をすることになるだろうし」
主人として、妃として、そう伝えるのが正解だろう。それでも、言いながらまるで胸をナイフで貫かれているかのような鋭い痛みが走る。
(行かないで)
本当は私の側にいてほしい。
他の女性と踊らないでほしい。
別の誰かと結婚なんてしないでほしいと思うのに。
私は妃だから。そんなことは言ってはいけない。本音は隠さなければならない。
私と彼が結ばれることは決してない。それでも、コルウスへの恋心とともに心中すると決めた。だから――。
「俺の全てはエスメラルダ様のものです」
「……え?」
その場に跪くコルウスに、私は大きく目を瞠る。
「たとえあなたの命令でも、そんな『いつか』は要りません。――絶対に。俺はエスメラルダ様のものですから」
コルウスの言葉に涙が滲む。
私はアーネスト様の妃なのだから、こんな場所で涙を流すべきではない。誰かに誤解されるおそれのある言動も行動も取ってはいけない。
それでも――。
(嬉しい)
私が彼の特別な存在だということを、どうしようもなく幸せだと思う。
(いつか打ち明けられる日が来たら良いのに)
コルウスが好きだと。本当は全てをかなぐり捨てて、コルウスと一緒になりたかったと。
例えばそれは、私たちがシワシワの老人になって、命が尽きるときなのかもしれない。もしかしたら思いを告げることで、コルウスを困らせてしまうかもしれない。それでも、いつか私の気持ちを彼に伝えることができたら良いのにと思ってしまう。
(叶えば良いな)
突拍子もない夢を見ながら、私はそっと笑うのだった。




