攻略記録その5 体力満タンなのに、宿屋へ泊まれと言われた
《次は宿屋へ行ってみましょう!》
グレンは、目の前に浮かぶ文字を睨んだ。
「断る」
《次は宿屋へ行ってみましょう!》
「我々は泊まる必要がない」
《次は宿屋へ行ってみましょう!》
「体力は満タンだ」
《次は宿屋へ行ってみましょう!》
「魔力も満タンだ」
《次は宿屋へ行ってみましょう!》
グレンのこめかみが引きつった。
「この案内、こちらの状態を一切見ていないのか?」
ミーナが答えた。
「初回案内なので」
「体力満タンの人間を宿屋に泊める意味は?」
「宿屋の使い方を覚えるためです」
「知っている!」
グレンはレベル七十八。
冒険者歴三十年。
世界各地の宿屋を利用してきた。
野宿もした。
洞窟でも寝た。
竜の死骸の腹の中で夜を越したことすらある。
宿屋の使い方くらい知っている。
《黄色い矢印に沿って進みましょう!》
五人の頭上に、
ぽん。
黄色い矢印が出た。
「……隊長」
部下の一人が言った。
「何だ」
「我々、完全に初心者一行に見えます」
「言うな」
黒い重鎧。
竜殺しの大剣。
魔王軍との戦歴多数。
頭上。
黄色い矢印。
街の子供が指を差した。
「お母さん! 初心者さん!」
「見ちゃいけません」
「レベル高そう!」
「初心者にも色々あるのよ」
グレンは歩く速度を上げた。
「早く終わらせるぞ」
宣戦布告の使者として来たはずなのに、
現在もっとも守りたいものが、
都市の誇りから自分の尊厳へ変わりつつあった。
――――
《ひだまり亭》。
それが宿屋の名前だった。
二階建て。
小さな食堂付き。
入口には花。
窓には白いカーテン。
そして看板。
《初心者冒険者さん応援中!》
グレンは無言で入った。
「いらっしゃい!」
女将が笑顔を向ける。
「五名様?」
「ああ」
「お泊まり?」
「不本意ながら」
ミーナが後ろから言った。
「チュートリアルです」
「ああ!」
女将はすべてを理解した。
「じゃあ初回宿泊だね」
グレンが嫌な予感を覚えた。
「通常の宿泊と何が違う」
「安いよ」
「いくらだ」
「十ゴールド」
「……一人?」
「五人で」
沈黙。
グレンは財布へ伸ばしていた手を止めた。
「五人で?」
「十ゴールド」
部下も止まった。
「食事は?」
「夕食と朝食付き」
「風呂は」
「もちろん」
「馬は」
「預かるよ」
「装備の簡単な手入れは」
「初回ならサービス」
グレンはミーナを見た。
「十?」
「十です」
「ヴァルハラでは一人千八百だ」
「場所が場所ですから」
ヴァルハラの宿泊費が高い理由は明確だった。
魔王軍襲撃保険。
対飛竜防護結界維持費。
夜間アンデッド警備費。
地下から魔物が出た場合の床修繕積立金。
宿泊費というより、
半分は生存料である。
リスタには、
それがない。
たまに窓からスライムが入ってくる程度だった。
部下の一人が呟いた。
「隊長」
「言うな」
「年間契約すれば」
「言うな」
「ヴァルハラに住むより――」
「移住計画を立てるな!」
すでに薬草で一度、
経済に目覚めかけている。
ここで宿泊費まで比較させるのは危険だった。
《宿泊料金を支払ってみましょう!》
グレンは十ゴールドを置いた。
「これでいいか」
女将が受け取る。
「はいよ」
ぱあっ。
《お金を支払うことができました!》
「三十年前からできる!」
《次は実際に宿泊してみましょう!》
グレンが止まる。
「支払いだけでは駄目か」
「駄目みたいですね」
「現在時刻は?」
ミーナが外を見る。
「午後二時です」
「まだ昼だぞ」
《宿泊しますか?》
《はい》
《いいえ》
グレンは《いいえ》を選んだ。
《またのお越しをお待ちしております!》
宿屋を出る。
三歩。
ぽん。
《次は宿屋へ行ってみましょう!》
グレンが戻った。
「何だこれは!」
女将が笑った。
「泊まらないと終わらないよ」
「知っていたのか!」
「初心者はだいたい一回やるからねえ」
「なぜ《いいえ》を用意した!」
「選択の自由じゃない?」
「自由が死んでいる!」
部下の一人が試した。
《いいえ》。
外へ出る。
《次は宿屋へ行ってみましょう!》
戻ってくる。
別の兵士も試す。
同じ。
四人目まで試したところで、
グレンが怒鳴った。
「全員で確認する必要はない!」
「もしかしたら抜け道があるかと」
「チュートリアル攻略を始めるな!」
結局。
《はい》。
選ぶしかなかった。
――――
「では、ごゆっくり」
女将が言った。
グレンは念を押す。
「確認する」
「なに?」
「泊まれば朝になるな」
「なるね」
「今は午後二時」
「そうだね」
「つまり」
グレンは顔をしかめた。
「今日の残り十時間ほどが消える」
「そうなるね」
「最後通告を届けに来ているんだが」
「大変だねえ」
「大変で終わらせるな!」
しかし、
宿屋そのものに罪はない。
世界中の宿屋で、
宿泊すれば翌朝になる。
グレンも当然知っている。
問題は、
いま寝る必要がまったくないことだった。
「隊長」
部下が言った。
「これ、遠征でよくあるやつですね」
「何がだ」
「目的地へ着いた瞬間、まだ元気なのに『今日は休もう』と言われるやつです」
グレンは黙った。
心当たりがあった。
「昔、昼前に城へ着いたのに一泊させられたことがある」
「ありますよね」
「翌朝になったら敵が逃げていた」
「それは宿屋のせいではないかと」
《おやすみなさい!》
「待――」
視界が暗くなった。
――――
朝。
「…………」
グレンはベッドの上で目を開けた。
鎧。
装着済み。
大剣。
背負ったまま。
部下四人も、
なぜか全員完全装備だった。
誰も疑問には思わない。
宿屋では、
昔からだいたいこうである。
グレンは立ち上がった。
「体力」
「満タンです」
「魔力」
「満タンです」
「状態異常」
「元々ありません」
「つまり」
「寝る前と同じです」
五人が黙った。
一晩使って、
何も変わっていなかった。
ぱあっ。
《体力と魔力が全回復しました!》
グレンが案内板を睨む。
「だから元から全快だった!」
《宿屋の使い方を覚えました!》
「知っている!」
部下が窓を開けた。
朝日が入る。
「隊長」
「なんだ」
「昨日の交渉、どうなったんでしょう」
グレンが止まった。
そうだった。
本来なら、
昨日中にヴァルハラへ帰還し、
ガルド市長へ報告する予定だった。
宣戦布告。
最後通告。
交渉成立。
そして、
わくわく冒険タウン看板。
報告事項は山ほどある。
それなのに一行は、
宿屋で一泊した。
理由。
チュートリアル。
グレンの顔が青くなる。
「まずい」
「はい」
「予定より一日遅れた」
「はい」
「ガルド市長は」
全員が想像した。
終焉都市ヴァルハラ市庁舎。
机に座り、
報告を待つガルド。
一日。
連絡なし。
「……援軍を出してませんかね」
沈黙。
「まさか」
五人は窓へ走った。
東の街道を見る。
何もない。
まだ。
「急ぐぞ!」
グレンが階段を駆け下りる。
《おはようございます!》
「急いでいる!」
《宿屋を出る前に女将さんへ挨拶しましょう!》
グレンが急停止した。
「…………」
《女将さんへ挨拶しましょう!》
女将は受付で皿を拭いている。
「おはよう」
グレンは言った。
「世話になった!」
《もう一度、話しかけてみましょう!》
「話しかけた!」
ミーナが確認する。
「あ、『宿泊ありがとうございました』まで聞かないと駄目ですね」
グレンの拳が震える。
女将へ近づく。
「世話になった」
「はいよ」
「では我々は――」
「昨日はよく眠れたかい?」
「眠れた!」
「朝ご飯は食べた?」
「食べたことになっている!」
「また来ておくれ」
ぱあっ。
《宿屋の使い方を完全に覚えました!》
グレンが走り出した。
「二度と初心者にはならんぞ!!」
「リスタに初めて来るのは一回だけなので大丈夫です!」
「そういう問題ではない!」
――――
宿屋を出た瞬間。
新しい案内が浮かんだ。
《次は冒険者ギルドへ行ってみましょう!》
グレンが足を止める。
部下四人も止まる。
「まだある」
「ありましたね」
「宿屋が最後ではなかったのか」
ミーナが指を折る。
「道具屋、宿屋、冒険者ギルド、教会、町長への挨拶」
「まだ半分ではないか!」
《冒険者ギルドでは依頼を受けることができます!》
グレンは嫌な予感を覚えた。
「ミーナ殿」
「はい」
「次は何をさせられる」
ミーナが答える前に、
案内板が切り替わった。
《まずは簡単な依頼を一つ受けてみましょう!》
《おすすめ!》
《薬草を三枚集めよう!》
報酬。
《十五ゴールド》
五人の視線が、
一斉にグレンの腰袋へ向いた。
昨日。
道具屋で買った薬草。
九十九枚。
グレンが三枚取り出した。
「ある」
ぽん。
《自分で採取した薬草を納品してください》
グレンが固まった。
「……ある」
《自分で採取した薬草を納品してください》
「九十九枚ある」
《自分で採取した薬草を納品してください》
「昨日、町中の人間が抜いたせいで」
グレンは、
きれいになった道端を見る。
「もう生えていないんだが」
ミーナも見た。
昨日まで、
雑草のように生えていた薬草。
ない。
一本もない。
二人は黙った。
そして。
ミーナがゆっくり言った。
「……詰みました?」
レベル七十八。
竜討伐経験四回。
魔王軍将軍との交戦経験あり。
ヴァルハラ防衛隊長グレン。
現在の最大の敵。
薬草三枚。
《最初のクエストをクリアしてみよう!》
案内板だけが、
今日も元気だった。




