攻略記録その10 戦争を始めた市長、初心者になる
《宝箱を開けてみましょう!》
兵士は、
目の前の宝箱を見た。
宝箱は開いていた。
正確には。
箱はある。
中身もある。
ただし、
蓋だけが兵士の手にあった。
「…………」
残り約二千人。
《宝箱を開けてみましょう!》
兵士が言った。
「もう開いています」
当然、
返事はない。
《宝箱を開けてみましょう!》
「だから開いている!」
グレンが額を押さえた。
「案内に怒鳴るな。俺も何度もやった」
「隊長」
「なんだ」
「どうすれば」
「それを考えている」
初心者洞窟の最奥。
宝箱。
一個。
蝶番。
破損。
蓋。
分離。
そして、
まだチュートリアルを終えていないヴァルハラ兵、
約二千人。
修理係の老人が床へ座り込んでいた。
「言っただろ」
「何を」
「三千回も開け閉めする箱じゃねえって!」
「我々も三千回開ける予定ではなかった」
「開けただろうが!」
正論だった。
ドランが宝箱を調べる。
「蝶番を直せばいいのでは」
老人が睨む。
「簡単に言うな。金具が曲がってる。木も割れた。ちゃんと直すなら半日はかかる」
「半日……」
グレンは後ろを見る。
洞窟の入口まで、
兵士の列が続いている。
半日待つ。
つまり、
また帰還が遅れる。
ガルド市長はすでにこちらへ向かっている。
これ以上遅れれば、
何が起きるか分からない。
いや。
すでに、
何が起きるか分からなくなっていた。
「ミーナ殿」
「はい」
「何かないか」
ミーナは、
外れた蓋を見ていた。
箱を見る。
蓋を見る。
浮かんでいる文字を見る。
《宝箱を開けてみましょう!》
「…………」
「どうした」
「ちょっと試していいですか?」
「何を」
ミーナは、
兵士が持っていた蓋を受け取った。
そして。
ぱたん。
宝箱の上へ、
ただ置いた。
蝶番には繋がっていない。
固定もしていない。
ただ、
箱の上へ蓋を乗せただけ。
「どうぞ」
兵士が眉を寄せる。
「これを?」
「持ち上げてください」
「開くとは言わないのでは」
「私もそう思います」
「ではなぜ」
「だから試すんです」
兵士は、
蓋へ手をかけた。
持ち上げる。
ぱか。
ぱあっ。
《宝箱を開けました!》
《洞窟探索成功!》
沈黙。
グレンが、
宝箱を見る。
蓋を見る。
ミーナを見る。
「……蝶番」
「いらないみたいですね」
老人が立ち上がった。
「俺の仕事は!?」
誰も答えなかった。
ミーナがゆっくり呟く。
「開いたかどうかしか見てない……」
「蓋を乗せただけだぞ」
「でも閉まっている状態から、中が見える状態にはなりました」
「それを開いたと?」
「判定上は」
グレンは、
しばらく黙った。
そして。
兵士たちを見た。
「二人一組!」
「はっ!」
「一人が蓋を乗せる!」
「はっ!」
「一人が開ける!」
「はっ!」
「終わったら交代!」
「はっ!」
ミーナが目を丸くする。
「順応が早い!」
グレンが言った。
「この三日で学んだ」
「何をです?」
「まともに考えると終わらん」
それは学習なのか、
諦めなのか。
誰にも分からなかった。
――――
そこからは速かった。
一人目。
ぱたん。
ぱか。
《探索成功!》
二人目。
ぱたん。
ぱか。
《探索成功!》
三人目。
ぱたん。
ぱか。
《探索成功!》
閉める。
開ける。
閉める。
開ける。
蝶番がないため、
むしろ以前より速い。
ミーナが呟く。
「壊れた方が効率上がってる……」
グレンが聞いた。
「よくあるのか」
「たまに」
「何の世界でだ」
「この世界です」
押し切った。
残り千五百。
残り千。
残り五百。
残り百。
そして。
最後の兵士。
蓋を置く。
ぱか。
ぱあっ。
《宝箱を開けました!》
《洞窟探索成功!》
一呼吸。
洞窟全体が、
五千人分の歓声で揺れた。
「終わったあああああ!!」
「帰れる!」
「今度こそ帰れるぞ!」
「ヴァルハラだ!」
「魔王軍と戦える!」
「魔王軍の方が楽だ!」
誰かが本音を叫んだ。
グレンは否定しなかった。
この数日で戦ったもの。
宿屋。
薬草。
スライム。
木人。
宝箱。
どれも、
剣では倒せなかった。
ぱあっ。
五千人の頭上に、
新しい文字が浮かぶ。
全員が固まった。
誰も声を出さない。
恐る恐る、
文字を見る。
《リスタでの基本案内は終了です!》
沈黙。
「…………」
ドランが震える声で聞いた。
「隊長」
「なんだ」
「終了と書いてあります」
「ああ」
「本当に?」
「書いてある」
「信用していいでしょうか」
「分からん」
この数日で、
彼らは案内表示すら疑うようになっていた。
その下。
《これから自由に冒険を楽しみましょう!》
兵士の一人が、
その場へ膝をついた。
「自由……」
別の兵士も、
空を見上げる。
「自由だ……」
五千人の精鋭が、
自由という言葉の意味を噛み締めていた。
そこへ。
洞窟の外から、
鐘が鳴った。
カァン。
カァン。
カァン。
全員の顔が引きつった。
グレンが呟く。
「……来たか」
ミーナも東を見る。
「来ましたね」
この戦争を始めた男。
終焉都市ヴァルハラ市長。
ガルド・バルバロッサ。
リスタ初来訪。
――――
ガルドは、
怒っていた。
猛烈に。
終焉都市ヴァルハラ。
市庁舎。
そこから、
精鋭五名を派遣した。
帰らない。
救出部隊五千名を派遣した。
帰らない。
連絡は、
断片的。
《全員生存》
《戦闘なし》
《薬草不足》
《木人破損》
《宝箱故障》
意味が分からない。
戦争報告として、
一つも意味が分からない。
特に。
《宝箱故障》
これが最も分からなかった。
なぜ敵都市との軍事衝突で、
宝箱が壊れるのか。
ガルドは、
ついに自ら馬を走らせた。
護衛十名。
全員、
ヴァルハラ精鋭。
東門が見える。
木造。
小さい。
低い。
どう見ても、
五千人を拘束できる都市には見えない。
「止まれ!」
門番が叫ぶ。
ガルドは馬を止めた。
「終焉都市ヴァルハラ市長、ガルド・バルバロッサ!」
門番の顔が青くなる。
「市、市長!?」
「我が兵はどこだ!」
「えっと……」
門番は西を見る。
「洞窟に」
ガルドの顔が険しくなる。
「地下牢か」
「初心者洞窟です」
「何だそれは」
「初心者が入る洞窟です」
「なぜ我が軍がそんな所にいる!」
「宝箱を」
「宝箱から離れろ!」
ガルドの怒声で、
門の上の鳩が飛び立った。
「もうよい! 直接確認する!」
馬を進める。
一歩。
門を越える。
カァン。
ガルドが止まった。
「……何だ」
護衛も止まる。
ぽん。
ガルドの前へ、
光る文字が浮かんだ。
《ようこそ!》
《はじまりの街リスタへ!》
ガルドの右手が、
腰の剣へ伸びた。
「魔術攻撃――」
「違います!!」
街の奥から、
五千人の声が響いた。
ガルドが固まった。
「…………」
街道。
ずらり。
ヴァルハラ兵。
五千人。
全員、
ものすごく疲れた顔をしている。
グレンが、
先頭に立っていた。
「市長」
「グレン!」
「ご無事で何よりです」
「それはこちらの台詞だ!」
ガルドは兵を見る。
「貴様ら、何をされていた!」
五千人が、
一斉に目を逸らした。
「答えろ!」
ドランが小さく言った。
「……基礎訓練を」
「誰が?」
「我々が」
「なぜ?」
「初めて来たので」
ガルドの眉が動いた。
「初めて来たら、なぜ精鋭五千人が基礎訓練を受ける」
ミーナが横から答えた。
「仕様です」
ガルドが睨む。
「誰だ貴様」
「ミーナです。冒険者ギルド受付主任兼、ここ数日ずっと皆さんの案内係です」
「案内?」
「はい」
「我が軍五千を?」
「はい」
「貴様一人で?」
「だいたい」
ガルドは、
初めて少しだけミーナを恐れた。
五千人を数日拘束した女。
見た目。
普通の受付嬢。
レベル。
三。
最も意味が分からない存在だった。
その時。
ガルドの前の文字が変わった。
《まずは武器を装備してみましょう!》
ガルドは、
腰の剣を見る。
装備済み。
ぱあっ。
《すごい! できました!》
ガルドの顔が、
ぴくりと動いた。
五千人が、
一斉に下を向いた。
笑ってはいけない。
絶対に。
ガルドが低い声で言う。
「……グレン」
「はい」
「これか」
「はい」
「貴様らを数日帰さなかったものは」
「はい」
「これか」
「はい」
ガルドは、
空中の文字を見る。
《すごい! できました!》
「馬鹿にしているのか?」
五千人が、
同時に首を横へ振った。
違う。
それは誰にでもそうなのだ。
だが。
説明すると、
さらに怒る。
グレンは慎重に言った。
「市長」
「なんだ」
「怒っても進みません」
ガルドの目が、
ゆっくりグレンを見る。
「経験者の顔をするな」
「経験者です」
誰も否定できなかった。
――――
「ガルドさん!」
明るい声がした。
ポポルが走ってくる。
丸い体。
穏やかな顔。
手には、
なぜか小さな花束。
ガルドが睨む。
「ポポル」
「来てくれたんですね!」
「来たくて来たのではない!」
「でも、ようこそリスタへ!」
「その言葉は今聞いた!」
空中から。
そして、
また。
《道具屋へ行ってみましょう!》
黄色い矢印が出る。
ガルドの目が細くなった。
ポポルが言う。
「あ、初回案内ですね」
「知っているのか」
「もちろん」
「止めろ」
「無理です」
即答。
ガルドがグレンを見る。
「本当に?」
「本当です」
「壊せないのか」
「試していません」
「なぜ」
「街ごと壊れそうだったので」
ガルドは剣から手を離した。
危ないところだった。
「そんなことより!」
ガルドはポポルへ向き直る。
「説明してもらおう!」
「何をです?」
「全てだ!」
ガルドは指を突きつける。
「なぜ我が終焉都市ヴァルハラを!」
一呼吸。
「《わくわく冒険タウン》などと呼んだ!」
ポポルは、
きょとんとした。
「怖くないようにです」
「それが侮辱だと言っている!」
「えっ」
「えっ、ではない!」
「嫌だったんですか?」
「嫌に決まっている!」
ポポルが、
本当に驚いた顔をした。
「だったら言ってくれれば」
ガルドが止まる。
「…………」
「看板、外しましたよ?」
「…………」
「お手紙にも書きましたけど、正式名称を変えるつもりは最初からありませんし」
「…………」
グレンが、
ゆっくり顔を逸らした。
嫌な予感がする。
ポポルは続けた。
「初心者さんから『名前が怖くて行けない』って声が多かったので」
「ああ」
「ちょっと親しみやすい呼び方があったらいいかなって」
「ああ」
「でも、ヴァルハラの皆さんが嫌ならやめます」
「ああ」
「それだけです」
沈黙。
風が吹いた。
ガルドの外套が揺れる。
五千人が、
ガルドを見る。
ガルドは、
五千人を見ない。
ポポルが首を傾げる。
「それで」
「……何だ」
「どうして戦争になったんです?」
グレンが目を閉じた。
ドランも目を閉じた。
五千人の兵士たちも、
だいたい目を閉じた。
ガルドが叫ぶ。
「俺が聞きたいわ!!」
「宣戦布告したの市長です!」
グレンが、
とうとう言った。
ガルドが振り返る。
「貴様!」
「事実です!」
数日分の疲労が、
グレンから恐怖を奪っていた。
「我々は!」
グレンは指を折る。
「薬草を買い!」
「うむ」
「宿屋に泊まり!」
「うむ」
「薬草を摘み!」
「うむ」
「スライムを探し!」
「うむ」
「木人を壊し!」
「うむ」
「宝箱を三千回開け!」
「待て」
ガルドが止めた。
「最後だけ意味が分からん」
「我々もです!」
ポポルが申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい」
グレンが振り返る。
「町長が謝ることではありません」
「でも、初心者向けの仕組みが五千人に対応してなくて」
「普通は対応しません」
ミーナが頷く。
「五千人で初心者チュートリアル受ける方が悪いです」
ドランが言った。
「受けに来たのではない」
「でも受けましたよね」
「……はい」
強かった。
ミーナ。
レベル三。
ヴァルハラ軍五千人を、
言葉だけで黙らせた。
――――
リスタ町役場。
長机。
片側。
ガルド。
グレン。
ドラン。
反対側。
ポポル。
ミーナ。
机の中央。
紙。
《停戦協議》
ガルドが腕を組む。
「戦争を止めること自体に異論はない」
ポポルが笑う。
「よかった!」
「まだ話は終わっていない!」
「はい」
「まず」
ガルドが指を一本立てる。
「《わくわく冒険タウン》の名称は使用禁止」
ポポルが少し寂しそうな顔をした。
「人気あったんですけど」
「禁止!」
「はい」
「看板も撤去」
「もう外してあります」
「処分しろ」
ポポルは少し迷う。
「捨てるのはもったいないので、倉庫でいいですか?」
「二度と表へ出すな」
「分かりました」
こうして。
戦争の原因になった巨大看板は、
リスタ町役場の倉庫へ運ばれることになった。
誰にも見られない場所へ。
少なくとも。
今のところは。
「次」
ガルドが続ける。
「我が軍の帰還を妨げないこと」
ポポルが頷く。
「もちろんです」
ミーナが小さく言った。
「チュートリアル終わったので」
ガルドが睨む。
「その言葉を二度と俺の前で言うな」
「市長はまだ途中ですけど」
「言うな!」
《道具屋へ行ってみましょう!》
ガルドの横で、
黄色い矢印が元気に点滅している。
誰も見ないふりをした。
「そして」
ポポルが手を挙げた。
「こっちからも一ついいですか?」
「何だ」
「戦争をやめた後」
少し考えて。
「普通に行き来できませんか?」
ガルドの眉が寄る。
「何?」
「リスタの人もヴァルハラへ行ってみたいですし」
「死ぬぞ」
即答だった。
「え?」
「我が都市の外には、貴様らの言う初心者が近づいていい魔物はいない」
「じゃあ護衛をつけてもらうとか」
「なぜ我々が」
ミーナが横から言った。
「でも、ヴァルハラの人たちはリスタに来たいと思いますよ」
ガルドが見る。
「なぜ」
ミーナは指を一本立てた。
「薬草、八ゴールド」
ガルドが止まる。
二本目。
「宿泊、五人で十ゴールド」
ガルドの顔が引きつる。
三本目。
「初心者向け装備も安い」
ドランが小さく言う。
「市長」
「言うな」
「すでに兵の間では」
「言うな」
「家族に教えたいという者が」
「言うな!」
五千人。
全員、
数日間リスタにいた。
見た。
聞いた。
覚えた。
薬草。
八ゴールド。
安宿。
十ゴールド。
安い食事。
安全な草原。
初心者用の店。
ヴァルハラでは考えられない価格。
ガルドは、
頭を抱えた。
「……分かった」
ポポルの顔が明るくなる。
「じゃあ!」
「非軍事目的に限る」
「はい」
「大量の武装兵を入れる場合は事前連絡」
「はい」
「商人、冒険者、一般住民の往来は認める」
「はい!」
「ただし」
ガルドがポポルを睨む。
「ヴァルハラの名を妙な愛称で呼ぶな」
「分かりました」
停戦。
そして。
両都市間の、
非軍事通行が認められた。
戦争。
終了。
理由。
話してみたら、
そもそも戦う必要がなかったから。
グレンは思った。
最初から話せばよかった。
だが。
それを口にすると、
数日間の薬草と木人と宝箱が、
全部無駄だったことになる。
だから。
黙った。
――――
翌朝。
リスタ東門。
門番のバッツは、
目を疑った。
街道の向こう。
人。
人。
人。
軍隊ではない。
商人。
冒険者。
主婦。
老人。
家族連れ。
荷車。
馬車。
ヴァルハラから、
ものすごい数の人間が歩いてくる。
バッツが呟く。
「……また五千人?」
ミーナが横へ来た。
「違います」
「何人だ」
「数えたくありません」
昨日。
停戦。
両都市間の非軍事通行解禁。
そして。
一晩。
噂は、
驚くほど速く広がった。
先頭の男が叫ぶ。
「薬草八ゴールドって本当か!」
その後ろ。
「宿が安いって聞いた!」
さらに後ろ。
「初心者装備を孫に買いたい!」
「スライム見たことないから見たい!」
「安全な草原ってどこだ!」
「一度でいいから、命の危険がない散歩をしてみたい!」
ヴァルハラ市民だった。
ラスボス前の街で生きる人々にとって、
はじまりの街は、
見たこともないほど平和で、
見たこともないほど安く、
見たこともないほど弱かった。
だからこそ。
珍しかった。
ミーナが、
列を見る。
嫌な予感がした。
いや。
もう、
予感ではない。
この数日で学んだ。
人が増える。
薬草がなくなる。
宿が埋まる。
狩場が埋まる。
初心者の仕事がなくなる。
「バッツさん」
「何だ」
「門、閉めた方がいいかもしれません」
「停戦した翌日に!?」
「でもこれ」
ミーナは、
街道いっぱいのヴァルハラ市民を見る。
「高レベル勢が初心者エリアに大量流入するやつです」
「何のやつだ!」
先頭の男が、
門を越えた。
カァン。
ぽん。
《ようこそ!》
《はじまりの街リスタへ!》
男が止まる。
その後ろ。
二人目。
カァン。
《ようこそ!》
三人目。
カァン。
《ようこそ!》
四人目。
五人目。
十人目。
百人目。
カァン。
カァン。
カァン。
鐘が、
止まらない。
ミーナは空を見上げた。
昨日。
戦争が終わった。
今日。
別のものが始まった。
戦争より、
たぶん面倒なもの。
観光だった。




