第37話 支店長は、最後に原本を差し出しました
「無駄です。これは私の一存ではない。会社としての、利益を守るための決定事項ですから」
星名部長の無機質な声が、王宮の地下室に冷たく響き渡る。
彼女が直接手を触れた『契約核』は、もはや青白い水晶ではなく、どす黒い赤色に脈打つ爆弾のような姿へと変貌しつつあった。
膨大なエネルギーが渦を巻き、地下室の石畳が悲鳴を上げてひび割れていく。
ヴィルヘルムが何度剣を振り下ろしても、星名部長の周囲に展開されたシステム由来の強固な物理障壁に弾かれるだけだ。
私の役体であるヨリエルの身体は、すでに膝から下が完全に透過し、光の粒子となって空間に溶け出していた。
強制ログアウトと役体の論理崩壊。会社による私というバグの『消去処理』が、最終段階に入っているのだ。
「依子、しっかりしろ! 私から離れるな!」
ヴィルヘルムが私を片腕で抱き寄せ、崩れゆく身体を必死に繋ぎ止めようとしてくれる。
けれど、システムによる強制的な切断は、この世界の住人である彼の手ではどうすることもできない。
(ここまで、なの……?)
私の意識が遠のきかけた、その時だった。
『退きなさい、ミサキくん。その金庫の暗号は、君には開けられない』
床に転がっていた私の業務端末から、不意にくぐもった男性の声が響いた。
この声は、間違いない。
神田のオフィスから秋葉原の地下へ私を誘い込んだ、御堂人材サービス秋葉原支店の支店長。
「御堂……支店長?」
私が掠れた声で呟くと、端末の向こうから、ガチャリと重たい金属の扉が開く音が聞こえた。
『ヨリちゃん、支店長が……!』
『……日下部くん。聞こえているかね』
通信越しに聞こえる御堂支店長の声は、いつもの事なかれ主義の飄々としたものではなく、ひどく疲れ切った、しかし腹を決めた大人の響きを帯びていた。
『私は長年、星名部長の物語運営部がやっている違法な台本発注を黙認してきた。支店の売上のためだ。現地の人間がどうなろうと、システムのシミュレーションだと思い込むことで、自分の良心に蓋をしてきたんだ』
支店長の手が、紙の束をめくる音が通信越しに伝わってくる。
『だが、君たち現場のスタッフまで使い捨ての駒として殺そうとするのなら……私はもう、この事業の責任者として、見過ごすことはできない』
「支店長……」
『ミサキくん。これが、改ざん前の『原契約』のデータ原本と、偽造された同意書の証拠だ。死亡事故の隠蔽記録もすべて揃っている。……これを、境界庁の回線に流しなさい』
その言葉に、星名部長の肩が初めてビクリと揺れた。
彼女が振り返り、床に落ちた私の端末を鋭く睨みつける。
「御堂支店長! あなた、自分が何をしているのかわかっているのですか! それを外部の監査機関へ渡せば、この会社は終わりです。あなた自身も、ただの懲戒解雇では済みませんよ!」
星名部長の怒声が飛ぶ。
しかし、端末の向こうの支店長は、ふっと自嘲するように笑った。
『わかっているさ。私は違法案件の紹介と隠蔽に加担した共犯者だ。この原本を提出すれば、私も法的に裁かれ、すべてを失うだろう。……だが、せめて最後に、自分の部下を守る上司でありたいんだよ』
『支店長……っ。送信、します!』
ミサキさんの力強い声と共に、端末から大量のデータが送信される駆動音が鳴り響いた。
星名部長が血相を変えてマスタータブレットを操作し、通信を遮断しようとする。
「させません……!」
私は残された上半身の力を振り絞り、ヴィルヘルムの腕の中から身を乗り出して、星名部長のタブレットに向かって自らの業務端末を投げつけた。
「殿下、今です!」
「おおおおおっ!」
私の端末が障壁にぶつかってノイズを生んだその一瞬の隙を突き、ヴィルヘルムが渾身の力で障壁の同じ箇所へ剣を叩き込んだ。
ガキンッ!という甲高い音と共に、星名部長の物理障壁に大きな亀裂が走る。
彼女の防御が一瞬遅れた。その、ほんの数秒間の差が、勝敗を分けた。
短い電子音が鳴った。
床に転がった私の端末と、星名部長の手元のタブレット。
二つの画面に、同時に、境界庁からの絶対的なシステムメッセージが表示された。
《境界庁・異界交流監理室より、御堂人材サービスへ通達》
《提出された原契約および偽造証拠に基づき、重大な違法行為を認定》
《これより、異世界人材バンクの『運営免許』を仮停止処分とする》
《すべての物語運営システムのアクセス権限を凍結します》
「――っ!」
私たち三人による役の拒絶。ヴィルヘルムによる王国の同意撤回。そして、境界庁による運営免許の停止。
役割契約を支えていた三層が、これですべて外れた。
星名部長の表情が、驚愕に凍りついた。
彼女の手元にあるマスタータブレットの画面が真っ赤に染まり、『ACCESS DENIED(アクセス拒否)』の文字が乱舞する。
同時に、私の身体を透過させていた消去処理のエラーノイズがピタリと止まり、光の粒子になっていた足が、再び確かな質量を持って石の床を踏みしめた。
「私の身体が……戻った」
「依子!」
ヴィルヘルムが私を力強く抱きしめ直す。温かい体温が伝わってくる。
外部からの消去命令が止まり、まだ動いている契約核との接続だけが、私の役体を一時的に安定させているのだ。
会社の運営免許が停止され、星名部長の持つ管理者権限は完全に剥奪された。契約核を安全に止めれば、この役体も今度こそ役目を終える。
住民を資産扱いし、私たちを駒として消費してきた絶対的なシステムが、ついに外部監査の力によってダウンした。
「……信じられない。この私が、たかが現場の派遣スタッフと、無能な支店長の裏切りによって、事業を潰されるなど」
星名部長の姿が、ノイズにまみれて激しく明滅し始める。
システムへのアクセス権を失ったことで、彼女の修正用役体もまた、この世界に存在できなくなりつつあった。
彼女は忌々しげに眼鏡を押し上げ、私とヴィルヘルムを冷酷な目で見据えた。
「確かに、私の権限は凍結されました。会社の事業も終わりでしょう。……ですが、日下部依子。これであなたたちが勝ったわけではありません」
「どういう意味ですか」
私が問い返すと、星名部長は背後の『契約核』を指差した。
「運営免許が停止したことで、私にもあの水晶を制御することはできなくなりました。ですが、私はすでに手動で暴走のシークエンスを固定してある」
ドクンッ、ドクンッ!
契約核が、まるで断末魔の悲鳴を上げるように激しく脈動し、周囲の空間を捻じ曲げ始めた。
地下室の壁が崩れ落ち、すさまじい魔力の嵐が吹き荒れる。
「管理者を失った契約核は、膨張し、やがて爆発してこの世界を巻き込んで崩壊するでしょう。……せいぜい、最後まで台本に抗って足掻きなさい。さようなら」
最後にそう言い残し、星名部長の姿は完全に空間から消え去った。
残されたのは、限界を超えて暴走を続ける巨大な水晶と、私たちだけ。
「くそっ、あの女、逃げ切りやがったか……!」
ヴィルヘルムが崩れてくる瓦礫を剣で払い除けながら、契約核を睨みつける。
私は端末を拾い上げ、契約核のステータスを確認した。
三つの契約錠(光の鎖)はすでにない。水晶の本体は、完全に無防備な状態だ。
「殿下、星名部長の言葉通り、水晶は暴走状態に入っています。ですが、鎖がなくなった今なら、わたくしたちの手で完全に安全停止させることが可能なはずです!」
「どうすればいい!」
「物理的な破壊ではなく、三人の役割拒絶を示す行動ログを添付し、正規の緊急安全停止を申請します! わたくしが端末を繋ぎますから、殿下とリリーナさん、ギルベルト卿は、水晶の暴走を抑え込んでください!」
私が叫ぶと、意識を取り戻して立ち上がっていたギルベルト卿と、リリーナさんが力強く頷き、ヴィルヘルムの隣に並び立った。
崩壊する地下室の中で、私たちは最後の業務に取り掛かる。
会社との対決は終わった。あとは、このアーデルハイト王国という私たちの職場を、私たち自身の手で守り抜くだけだ。




