第25話 監査官は、評価表を破りました
王宮の庭園から強制的に連行されたリリーナの姿が、私の脳裏に焼き付いて離れなかった。
彼女は自分の身の危険を承知で、台本を壊すために最も重い『拒絶』のカードを切ってくれた。その代償として、彼女はグランツ宰相の手により、王家侮辱罪という名目で西塔の地下牢に幽閉されてしまったのだ。
「……私の失策だ。宰相が公の場で法を盾に取ることまで、完全に読み切れなかった」
隠し部屋に戻ったヴィルヘルムは、執務机を強く殴りつけ、ギリッと奥歯を噛み鳴らした。
王太子である彼が強引に動けば、宰相はそれを『暗君の証拠』として貴族たちを煽り、内乱の口実にする。盤面は完全に膠着し、私たちは身動きが取れなくなっていた。
「殿下、ご自身を責めないでください。リリーナさんは、自分が囮になることで私たちが動く時間を作ってくれたんです」
「だが、このままでは彼女が危ない。宰相は尋問と称して、彼女にどんな手を……」
私たちが焦燥に駆られていた、その時だった。
音もなく、隠し部屋の扉が開いた。
「……お二方とも、冷静なご判断を。これ以上の抵抗は、事態を悪化させるだけです」
現れたのは、漆黒の軍服を着た護衛騎士、ギルベルト・オルセンだった。
彼は異世界人材バンクの現地監査官。私たちを監視し、台本通りの結末へ導くために会社と契約を結んでいる男だ。
「ギルベルト。お前まで、宰相の横暴を見過ごせと言うのか」
ヴィルヘルムの鋭い視線を受けながらも、ギルベルトの表情は鉄仮面のように動かない。
「宰相の行いは法に則っています。そして、台本通りに事を進めることが、王国を内乱から救い、犠牲を最小限に抑える唯一の道だという事実は変わりません」
「……まだ、そんな会社の嘘を信じているのですか」
私は一歩前へ踏み出し、ギルベルトを真っ直ぐに睨みつけた。
「犠牲を最小限にする? 内乱を防ぐ? ギルベルト卿、あなたはこの会社の本当の目的を知らないだけです」
私は空中に業務端末を呼び出し、ロックを解除した。
昨日、ミサキさんから秘密裏に転送されてきたデータファイルと、私が引き出したシナリオの終了報告書。
私はそれらを空間に投影し、ギルベルトの目の前に突きつけた。
「これが、彼らの言う『最小の犠牲』の真実ですわ」
空中に浮かび上がったのは、リリーナのステータス予定。
『男爵家没落に伴い修道院へ幽閉。一年以内に心労により病死予定』
そして、ヴィルヘルムのステータス予定。
『断罪式の翌日、反逆罪を問われ、王都広場にて処刑予定』
「……なんだ、これは」
ギルベルトの目が、わずかに見開かれた。
私はさらに、ミサキさんから受け取った『過去の聖女案件における犠牲者一覧』のリストを横に並べる。
「この会社は、内乱を防ぐ気など最初からありません。彼らが求めているのは、悲劇ルートの完遂で得られる高額な契約金と社内評価です。現地住民の痛みが大きいほど『演出成功』として扱われ、報酬が上がる仕組みなのです」
私は冷徹に、事実だけを突きつけた。
「リリーナさんは病死などしません。宰相の口封じによって毒殺されます。殿下は処刑されます。過去の案件でも、彼らは安全だと偽りながら、多くの命を台本の犠牲にしてきました。これが、あなたが忠義を尽くしている会社の正体です」
ギルベルトの視線が、空中に浮かぶリストの文字を一つ一つ追っていく。
彼はゆっくりと懐に手を入れると、古びた黒い革張りの手帳の一部を取り出した。
それは、私が強制回収されかけたあの日、宰相府の隠し金庫から放り出され、彼が密かに隠し持っていた裏帳簿の切れ端だった。
「……暗殺ギルドへの報酬記録。そして、異世界人材バンクとの不審な魔石の取引記録」
ギルベルトは手元の帳簿と、空中に浮かぶデータを照らし合わせ、低く呟いた。
「符合、するな。……いや、狩猟祭の襲撃者が、会社から私にも示された正規の管理符を持っていた時から、薄々はおかしいと思っていた。殿下を陥れるような筋書きが、どうして国の安定に繋がるのかと」
彼は自嘲するように短く息を吐いた。
そして、彼がずっと手に持っていた、監査官としての『評価表』が挟まれたクリップボードを見つめた。
スタッフの行動を監視し、逸脱があれば減点をつけるための、会社が用意した評価基準。
「私は……国と殿下を守り、民の命を救うために、あの女(星名)と契約した」
ビリッ。
静かな部屋に、乾いた音が響いた。
ギルベルトは、会社の絶対的なルールである評価表の束を、一切の躊躇なく真っ二つに引き裂いた。
「こんな紙切れのために、忠義を捨てるつもりはない。会社の嘘は、今ここで終わらせる」
ビリビリに破られた評価表が、雪のように床へ舞い落ちる。
監視役であった彼が、会社への叛逆を明確に行動で示した瞬間だった。
胸のすくような、完全な離反。会社側の欺瞞が、現場の人間の良心によって打ち砕かれたのだ。
「ギルベルト……お前」
「殿下、ご無礼をお許しください。私はすぐに西塔の地下牢へ向かい、リリーナ嬢を救出します。私が直接動けば、看守たちも怪しまないでしょう」
ギルベルトはヴィルヘルムに深く頭を下げ、それから私に向き直った。
彼は懐から、親指ほどの大きさの小さな魔石を取り出し、私の手に押し付けた。
「日下部依子。これは、私が監査官として支給されていた緊急用の物理キーだ」
「これは……?」
「会社のメインシステムを通さず、外部の『境界庁』の監査回線へ直接繋がる経路が記録されている。本社に監視されている今の君たちの端末では外部へ助けを求められないだろうが、これを使えば通信が通るはずだ」
私は手の中の魔石を強く握りしめた。
境界庁への緊急通報条項。ミサキさんが教えてくれた、会社を止めるための唯一の突破口。
それを繋ぐための道が、今、私たちの手の中に託されたのだ。
「ありがとう、ギルベルト卿。必ず、これを役に立てます」
「殿下の護衛は頼む。……すぐ戻る」
ギルベルトは踵を返し、扉へ向かって走り出そうとした。
しかし、その瞬間だった。
「――がっ、あぁっ!」
ギルベルトの身体が、見えない巨大な壁に激突したかのように大きくのけぞり、床に膝をついた。
「ギルベルト!?」
ヴィルヘルムが駆け寄ろうとするが、ギルベルトは片手でそれを制止した。
彼の首筋や腕の血管が、不気味な赤い光を放って脈打っている。
役割契約の暴走だ。
会社側――星名部長が、現地監査官の完全な離反をシステム上で検知し、彼の契約の根幹を強制的に書き換えたのだ。
「くそっ……身体が、言うことを……!」
ギルベルトの右手が、彼自身の意思を押し流すほど強烈な衝動に引かれ、腰の剣の柄へと伸びていく。
チャキッ、と鋭い金属音が鳴り、白刃が鞘から引き抜かれた。
「逃げろ、殿下……! 私の『忠実な護衛役』の契約が……反逆者の殺害命令に、すり替えられ……っ!」
血を吐くようなギルベルトの叫びと共に、彼の身体が修正圧に押されるように立ち上がり、ヴィルヘルムに向かって剣を振り上げた。
「ギルベルト卿、やめて!!」
私の悲鳴が虚しく響く。
評価表を破り、人命を選んだ忠実な騎士。その気高い決断すらも、システムは無慈悲な『殺害命令』という鎖で縛りつけ、彼を人殺しへ誘導しようとしていた。




