第12話 監査官は、王太子の護衛騎士でした
王宮の長い回廊を一人で歩いていると、突然、視界の端に半透明の業務端末がポップアップした。
《警告:現地監査官からの『強制回収申請』がリーチ状態です》
《次回の著しい台本逸脱により、即時回収が実行されます》
(……リーチって、サッカーのイエローカードか何か!?)
脳内で思わず突っ込みを入れた直後、回廊の角からヌッと現れた人影に、私はヒヤリと足を止めた。
ヴィルヘルムの側近であり、王太子の護衛騎士であるギルベルト・オルセン。
三十代の彼は、常に感情を読ませない鉄仮面のような顔でヴィルヘルムの背後に控えている男だ。
その彼が今、私の行く手を塞ぐように立ち塞がり、鋭い目を向けていた。
「ヨリエル嬢。少しよろしいか」
「……ギルベルト卿。わたくしに何かご用でしょうか」
私は警戒心を悟られないよう、悪役令嬢としての傲慢な態度を取り繕った。
しかし、ギルベルトは周囲に誰もいないことを確認すると、冷徹な声で事実だけを告げた。
「芝居は不要だ、日下部依子」
その名に、私の心臓が大きく跳ねた。
この世界で私の本名を知っているのは、会社側の人間だけだ。
ギルベルトは私の動揺を見透かすように、懐から銀色のプレートを取り出した。そこには、見覚えのある異世界人材バンクのロゴが刻まれていた。
「私は、運営会社から派遣スタッフの行動を監視するよう依頼された、現地監査官だ。正確には、殿下を生かし、内乱を避けるための『安全監査協力者』だと説明されている」
「監査官……あなたが?」
「そうだ。昨夜、控え室での殿下との会話もすべて記録させてもらった。君は、対象の『好感度』だけでなく、世界の根幹に関わる重大な規定違反を犯そうとしている」
私は息を呑んだ。
現地の住民である彼が、なぜ運営会社と契約を結んでいるのか。
グランツ宰相のように、私欲のためか。それとも会社に脅されているのか。
「なぜ、あなたが会社に協力しているの? 彼らがこの国に何をしようとしているか、わかっているはずよ」
「わかっているからこそ、協力している」
ギルベルトは微塵の迷いもなく答えた。
「台本通りに婚約破棄の劇を完遂させ、殿下には王位継承権を降りていただく。そうすれば、グランツ宰相派との全面的な内乱は避けられる。殿下の命を守り、犠牲を最小限に抑えて王国を安定させるための、それが唯一の道だと会社から説明を受けている」
「……内乱を、防ぐため?」
私は眉をひそめた。
彼の言葉には、決定的な矛盾がある。
会社が用意した台本の本当の結末は、「王太子の失脚」という生易しいものではない。ヴィルヘルムは反逆罪で処刑されるのだ。それが王国の安定に繋がるはずがない。
(もしかして……この人、本当の結末を知らないの?)
ギルベルトの真摯で真っ直ぐな瞳を見て、私は直感した。
彼は自分の私欲のために動いているわけではない。本気で「王太子の命と国を守るため」に、泥を被って監視役を引き受けているのだ。
星名部長たち物語運営部は、この忠実な騎士にすら嘘をつき、都合よく利用しているに違いない。
「ギルベルト卿。あなたは会社に騙されて――」
「これ以上の逸脱は許さない」
私が真実を告げようとした瞬間、ギルベルトは短く、事実だけを突きつけるように私の言葉を遮った。
「次に君が台本を壊し、内乱の火種を作るような行動に出れば、私は躊躇なく本社の『強制回収』を承認する。殿下の安全と引き換えに、君には退場してもらう。それだけだ」
彼は踵を返し、足音もなく回廊の奥へと去っていった。
残された私は、重い溜め息を吐き出した。
彼を味方にできれば心強いが、今は無理だ。彼の中で「台本=国の安全」という図式が成り立っている以上、私が何を言っても信じないだろう。彼自身が会社の嘘に気づく決定的な証拠を見つけなければならない。
私は気を取り直し、足早に待ち合わせ場所である図書室の奥へと向かった。
分厚い歴史書の棚の陰で、男爵令嬢リリーナが私を待っていた。
「リリーナさん、待たせてごめんなさい」
「ヨリエル様……」
振り返ったリリーナの顔を見て、私はギクリと立ち止まった。
彼女の顔色は、以前暗殺者の矢を躱した時よりも、さらに蒼白だった。
震える両手で胸元をきつく握りしめ、その大きな瞳には、確かな『絶望』が浮かんでいた。
「どうしたの? また、何か夢を見たの?」
「……はい」
リリーナは乾いた唇を震わせながら、ポツリポツリと語り始めた。
「見ました。断罪式の翌日の、夢を……」
「!」
ヴィルヘルムが血の海で倒れている光景に続く、最悪の未来の続き。
「殿下が、広場で……ひどい姿で、倒れられて……。私は、それをただ見ていることしかできませんでした」
彼女の声が微かに掠れる。
演技の涙ではない、本物の恐怖が彼女の喉を締め付けているのがわかった。
「そして、その夜……」
リリーナは自らの首元に手を当て、息を詰まらせた。
「暗い部屋で、私は見知らぬ男たちに押さえつけられていました。彼らは私の口を無理やり開けさせて……小さな小瓶の、冷たい薬を、流し込んできたんです」
「……っ!」
「喉が焼けるように熱くて、息ができなくて……そこで、目が覚めました」
私は彼女の手を強く握りしめた。
私の端末に表示されていた『一年以内に心労により病死予定』というステータス。
それは心労などという生易しいものではない。ヴィルヘルムの死の真相を知る、あるいはそのキッカケとなった彼女を、宰相が口封じのために毒殺する光景なのだ。病死はただの偽装にすぎない。
「ヨリエル様……私、殺されるんですか? あの断罪式の後で、殿下も、私も……用済みとして、消されるんですか?」
リリーナの問いかけに、私はすぐに言葉を返すことができなかった。
王太子の処刑。ヒロインの毒殺。そして悪役令嬢の廃棄。
人を使い捨ての配役として消費する狂った台本が、もうすぐそこまで迫ってきている。




