第11話 君は誰だ。なぜ俺の死を知っている
『対象B:断罪式の翌日……反逆罪を問われ、王都広場にて処刑予定』
無機質な光を放つその文字列を前に、王宮の控え室は凍りついたような静寂に包まれていた。
半透明の業務端末の画面を凝視していたヴィルヘルムは、やがてゆっくりと視線を外し、私を真っ直ぐに見据えた。
その氷点下の青い瞳には、王太子としての冷徹な威圧感と、得体の知れない事象に直面した戸惑いが入り混じっていた。
「……ヨリエル。いや」
ヴィルヘルムは低く、地を這うような声で言った。
「君は誰だ。なぜ、俺の死を知っている」
彼の問いかけは、私の心臓を鷲掴みにするほど鋭かった。
ごまかしは利かない。彼は私と同じものを、その目で確実にはっきりと見たのだ。私が何らかの超常的な手段を用いて、三十日後の彼の死、ひいてはこの国の破滅の予定を覗き見ていることを。
「わたくしは……」
私は乾いた唇を舐め、決意を固めた。
こうなった以上、もう一人で抱え込むことはできない。彼自身に降りかかる危機なのだから、本当のことをすべて話して、対策を練るべきだ。
「わたくしは、日本という国の、御堂人材サ――」
真実を口にしようとした、その瞬間だった。
ヒュッ、と喉の奥で奇妙な音が鳴り、声帯が急激に麻痺したように強張った。
「……っ!? げほっ、かはっ……!」
首を締め付けられたような感覚に襲われ、私は胸元を掻き毟りながら床に蹲った。
息ができない。言葉を紡ごうとすればするほど、見えない力に喉を塞がれる。
これが、マニュアルに記載されていた『守秘制約』。会社の存在や現実世界に関する情報を現地住民に漏らそうとすると、強制的に発話がブロックされるシステムなのだ。
現代の厳格な機密保持契約(NDA)など目じゃない、物理的な口封じである。
「おい、どうした! 息をしろ!」
ヴィルヘルムが慌てて私の背中を支え、顔を覗き込んだ。
私は激しく咳き込みながら、必死に頭を回転させた。
会社のこと、日本のこと、転送方式のことは言えない。ならば、未来の出来事や、すでに彼が目にした「台本」の存在そのものならどうだ。
「で、んか……っ、聞いて、ください。わたくしは、本当のヨリエルでは、ありません……」
息も絶え絶えに絞り出した言葉は、声となって空気を震わせた。
守秘制約は発動しない。ギリギリのラインを突けたようだ。
「わたくしも、文書院のリリーナさんも……そして殿下も、誰かが書いた『悲劇の台本』の上に立たされています。あの文字列は、その台本の結末……あなたとリリーナさんが死に、わたくしが排除される予定日です……!」
私はヴィルヘルムの軍服の袖を強く握りしめ、必死に訴えかけた。
突拍子もない狂人の戯言だと切り捨てられるかもしれない。だが、彼は狩猟祭で私が暗殺者の存在を事前に察知したことを知っている。
ヴィルヘルムは私の言葉を遮ることなく、静かに耳を傾けていた。
やがて、彼は私の背中をさすっていた手を離し、立ち上がった。そして、自分の軍服の胸ポケットから、小さく折り畳まれた一枚の羊皮紙を取り出した。
「……君が何らかの制約で真実を語れないことは、今の苦しみ方を見ればわかる。無理に詮索はしない」
彼は羊皮紙をテーブルの上に広げた。
そこには、王家の紋章とともに、複雑な文字が羅列されている。
「これは、君――『ヨリエル・フォン・ローゼンベルク』の戸籍と、私との婚約を記した公的な記録の写しだ」
「わたくしの、婚約記録……?」
「ああ。だが、王宮文書院の奥底に保管されていた原本と照らし合わせた結果、これらが最近になってグランツ宰相の手によって精巧に『偽造』されたものであると判明した」
ヴィルヘルムの言葉に、私は目を見開いた。
彼は何も知らずに台本の上を歩かされていたわけではなかった。自らの足で調査し、すでに宰相の不正の尻尾を掴みかけていたのだ。
「ローゼンベルク侯爵家に、ヨリエルという名の令嬢は元々存在しない。そして、狩猟祭の暗殺者の懐から出た宰相府の印……それに貼り付いていた、奇妙な銀色の護符」
彼は別の調査書を重ね、そこに記された家系図を指で辿った。
「ローゼンベルク侯爵家は十年前に直系が途絶え、家名と屋敷だけが王室の管理下に置かれていた。グランツはその空いた家名を利用し、存在しない令嬢の戸籍と婚約記録を差し込んだらしい」
「ですが、王宮の皆様はわたくしを知っているように振る舞っていますわ」
「知っている『つもり』でいるだけだ。君の幼少期、社交界への初参加、実際に交わした会話を尋ねると、誰一人として具体的に答えられない。侯爵家の管理人たちにも、君を育てた記憶はなかった」
ヴィルヘルムは偽造された婚約書へ視線を落とした。
「私自身、公印のある記録を見た時には、そうだったはずだと一度は受け入れかけた。だが、私は君との婚約に同意した覚えも、君と過ごした記憶もない。恐怖や既知感のような曖昧な思い込みだけを植え付け、足りない過去を偽造文書で埋めたのだろう」
ヴィルヘルムの青い瞳が、鋭い知性を伴って輝いている。
「君の言う『悲劇の台本』とやらを、グランツ宰相が何らかの組織に依頼して作り上げたと考えれば、すべての辻褄が合う。君は、その組織から送り込まれた手先……いや、君もまた、その台本に組み込まれた被害者の一人というわけだな」
ヴィルヘルムは偽造文書の端を押さえ、声を低くした。
「私が王位継承から排除されれば、グランツはまだ幼い第二王子――私の異母弟を即位させ、自らは摂政として国政を握れる。父上の病と弟の幼さを、あの男は最初から利用するつもりだったのだろう」
完璧な推理だった。
会社のシステムや転送の概念までは理解できなくとも、彼は現地の政治的状況と手元の証拠だけで、事件の構図を正確に読み解いてみせたのだ。
これが、国を背負う王太子の真の有能さ。
私は安心感から、大きく息を吐き出した。
「……恐ろしくはないのですか? わたくしが、あなたを破滅させるための役回りを与えられた存在かもしれないのに」
「恐れる理由がない」
ヴィルヘルムはきっぱりと断言し、私に向かって手を差し出した。
「君は暗殺者の矢から私を救った。そして今、自らの危険を顧みず、私に死の予定を警告してくれた。君が何者であれ、その行動だけが私にとっての真実だ」
その揺るぎない信頼の言葉に、私の胸の奥が熱く震えた。
彼は私を「役割」ではなく、一人の人間として、その行動と選択を見て評価してくれている。
私は迷うことなく、彼が差し出した大きくて温かい手を取った。
「……共に調べよう。このふざけた台本を書き換え、私たち全員が生き残るための道を」
「はい。微力ながら、わたくしの持つ情報のすべてを共有いたしますわ」
王宮の控え室で、私たちは固く手を握り合った。
悪役令嬢と、彼女を断罪するはずの王太子。決して交わるはずのなかった二人が、運命を強制する理不尽なシステムに反逆するための、確かな同盟を結んだ瞬間だった。
握手を解いた直後、分厚い木扉の向こうで、かすかにペン先が紙を引っかくような音がした。
「誰かいるのか」
ヴィルヘルムが扉を開けた時には、長い回廊に人影はなかった。ただ、角を曲がる軍靴の音だけが、一度、硬く響いて消えた。
聞かれていた。
けれど、その相手が誰なのかを、私はまだ知らなかった。




