第二話 好きだった、ではなく
結局、彼からの連絡はすぐには来なかった。
一日。
二日。
三日。
スマートフォンを確認する回数だけが増えていった。
通知が来るたびに画面を見る。
違う人だった。
また画面を伏せる。
そんなことを何度も繰り返しているうちに、私は少しずつ疲れていった。
待っている自分が嫌だった。
連絡が来るかどうかで、一日の気分が変わる自分も嫌だった。
彼は何も悪いことをしていない。
忙しいだけかもしれない。
もともとLINEが淡白な人なのかもしれない。
わかっている。
それでも、私は寂しかった。
⸻
ある夜、私はベッドの上で考えていた。
私は、彼のことが本当に好きなのだろうか。
もちろん、嫌いではない。
むしろ好きなところはたくさんある。
優しい。
穏やか。
人の気持ちを急かさない。
一緒にいて嫌な気持ちにならない。
私の話も聞いてくれる。
だから、好きだと思っていた。
けれど――。
「この人と付き合えたら、私は幸せなのかな」
口に出してみる。
しばらく考える。
そして、気づいた。
たぶん私は、彼そのものが欲しいというより、
「誰かに選ばれたい」
のかもしれない。
誰かと付き合っているという安心が欲しい。
自分を好きでいてくれる人がいるという安心が欲しい。
誕生日を祝ってくれて、
「また会おう」と言ってくれて、
帰ったあとに連絡をくれて、
自分のことを大切にしてくれる人が欲しい。
私は彼に、それを求めていた。
でも彼は、私にその安心を与えてくれる人なのだろうか。
そう考えると、答えはわからなかった。
⸻
そして、もう一つ。
私は料理が好きではない。
家事をすることも、特別好きではない。
結婚したら、毎日のように誰かのためにご飯を作る。
そんな生活を想像すると、少し苦しくなる。
だから私はずっと、
「結婚したいのか、したくないのか」
自分でもよくわからなかった。
けれど最近、少しだけわかってきた。
結婚そのものが欲しいわけではない。
ただ、
安心したかった。
一緒にいて疲れない人。
自分ばかり頑張らなくていい人。
生活を一緒に背負ってくれる人。
休日には一緒に昼寝をして、
くだらない話をして、
たまには旅行に行って、
何もない日を「幸せだね」と言える人。
私はそんな人を求めているのかもしれない。
そう思った。
そして、その瞬間。
彼の顔が浮かんだ。
⸻
彼は、悪くない。
本当に、悪くない。
私が勝手に期待して、
私が勝手に寂しくなって、
私が勝手に傷ついているだけだ。
彼には彼の生活がある。
彼には彼の人生がある。
仕事だって、この先どうなるかわからない。
結婚について聞いたときも、
「できればしたいけど、絶対ではない」
そんなふうに言っていた。
私は、その言葉を思い出した。
以前なら、
「じゃあ、私と付き合ったら変わるかもしれない」
と思ったかもしれない。
でも今は違った。
人を変えようとしてはいけない。
私は、彼を私の理想に合わせたいわけじゃない。
彼は彼のままでいい。
ただ、
私が欲しい未来とは少し違うだけだ。
⸻
ある日、私は彼との写真を見返した。
ラーメンを食べた日。
出かけた日。
笑っている自分。
隣にいる彼。
写真の中の私たちは、楽しそうだった。
私は思った。
この時間が嘘だったわけじゃない。
好きだった気持ちも嘘じゃない。
一緒にいて楽しかった。
会えた日は嬉しかった。
連絡が来れば嬉しかった。
電話ができれば嬉しかった。
だからこそ、無理に何かを変えなくてもいいのかもしれない。
⸻
私はスマートフォンを手に取った。
彼とのトーク画面を開く。
「また連絡します」
以前の言葉が残っている。
私はその文字をしばらく眺めた。
そして、ふと思った。
もう、待たなくてもいい。
連絡が来たら嬉しい。
来なかったら、それでもいい。
会えたら嬉しい。
会えなくても、私の人生は続いていく。
私は旅行に行く。
友達と会う。
家族と過ごす。
仕事をする。
小説を書く。
知らない街を歩く。
美味しいものを食べる。
何もない休日には、昼まで寝る。
そういう毎日も、ちゃんと私の人生だ。
⸻
それでも、彼のことを思い出す日はある。
「あのとき楽しかったな」
と思う。
「また会えたらいいな」
とも思う。
たぶん、これからもそうだ。
人を好きだった記憶は、ボタン一つで消せるものではない。
だから私は、無理に忘れないことにした。
好きだった。
確かに、好きだった。
でも、
好きだからといって、特別な関係にならなければいけないわけじゃない。
そう思えるようになった。
彼と付き合わなくてもいい。
彼に選ばれなくてもいい。
今までのように、ときどき会って、
ご飯を食べて、
くだらない話をして、
帰り際に「またね」と言う。
そんな関係でもいい。
むしろ、
それくらいがちょうどいいのかもしれない。
彼のことを考えると胸が少しだけ温かくなる。
でも、苦しくはない。
私はスマートフォンを伏せた。
窓の外は、もう暗くなっている。
明日は仕事だ。
帰りに何を食べよう。
週末は何をしよう。
そんなことを考えながら、私はベッドから起き上がった。
彼との間にあるこの距離は、
恋人になるには少し遠い。
けれど、
友達としては、ちょうどいい。
近すぎない。
遠すぎない。
お互いの人生を邪魔しないまま、
会いたいときに会える。
そんな距離。
私は、それでいいと思った。
特別な関係にならなくてもいい。
彼が私の人生の中心にならなくてもいい。
ただ、この距離のまま、
これからも時々会えたらいい。
そう思ったら、
不思議なくらい心が軽くなった。
私は小さく笑って、部屋の明かりをつけた。




