第八話 私じゃなくなりたい
「あ」
更衣室を出てすぐ、春木先生が立っていた。不思議に思っていると「停電大丈夫か? もう電気ついてるか?」と心配そうな顔で問いかけてくる。
「あー、戻りました」
「良かった。停電したみたいだから、大丈夫か気になってて。でも、先生入れないし。ハハハ」
「はぁ」
じゃあ女の人連れてきてくれたらいいのに。思うけど冷たいと言われそうなので黙る。そのまま立ち去ろうとすれば「プール、どう? 慣れた?」と話を続けてきた。
「え」
「新しく入って来たよね? 生徒の顔と名前は、全員覚えるようにしてるから。なんかあったら大変だし、水の事故は怖いからね、もちろん、プールでも‼」
ヒーローショーにでも出てきそうな言い方だった。ヒーローショーにでも出ればいいのに。そのほうがキャッキャ言われそうだし。
「いや……まぁ」
私は言葉を濁す。どうしようか悩む。春木先生みたいな先生というか、人が苦手だ。
男子とちょっと話すだけで「お前あの先生のこと好きなんだろー」とか「女子はさー」みたいに言いそうな感じが、嫌い。春木先生みたいな先生、女子はうっすら嫌いだと思う。四人くらいの女子に囲まれやすい、明るい若い男の先生で、本当に好かれてる先生って見たことない。
「っていうか一人か? 一緒に帰るお友達は?」
「いや……」
「じゃあ、先生送ってくよ。この間、事件が起きたばっかりだろう? 連れ去り未遂事件」
春木先生が心配そうな顔をする。「大丈夫です。いつも一人なので」と言うと「余計危ないじゃないか‼」と先生は取り乱した。
「いいです。家にパパしかいないし、パパ仕事で家にいるときも一人なので変わらないです」
面倒くさいので家庭内事情バリアを貼ることにした。こういうと相手は気まずくなり、楽だ。下手に関わると面倒になると避けてくれる。でも駄目だった。
「いや、気を使わなくていい。車で途中まで送っていくよ」
春木先生は引かない。普通に嫌だ。このくらいの大人と同じ車に乗るの。なんとなくうっすら気持ち悪い。おばあちゃんとかだと全然問題ないけど。おばあちゃんの運転のほうが、死には近そうだけど、気持ち悪さはない。
「いや……」
私は春木先生の後ろに鎌田先生がゆっくり歩いていくのを見つけた。私は鎌田先生のもとに走っていく。
「鎌田先生と、帰るので、だいじょうぶですっ」
私は鎌田先生の傍に立った。鎌田先生の顔を見るとびっくりするくらい険しい顔をしていた。突然一緒に帰ろうとする生徒に驚くのは分かるけどそんな顔しなくてもいいじゃん、と思うものの、視線が変だった。
私じゃなくて春木先生に対して険しい顔をしている……?
「大丈夫かぁ? そんな無理しなくてもいいのに」
「だいじょうぶです」
私は首を横に振る。ちょうど更衣室から春木先生のことが好きな女の子たちが出てきて、「あー! 春木先生!」と駆け寄ってきた。春木先生は「お、着替え終わったかぁ」と女の子たちを迎え入れる。
「クビになる」
プールを出るまで無言だった鎌田先生が、外に出た瞬間声を発した。
「バイトだから。社員は分かんないけど。生徒と二人で歩いてるところ見られたくない。スマホの充電ないなら、スマホ貸すから親御さんに電話かけて。交通費ないなら貸す」
鎌田先生は断固拒否を示すように立ち止まる。
「大丈夫です。さっきはごめんなさい。ただ、一緒に帰るのが嫌だっただけで」
さすがに春木先生と帰るのは嫌、と言うのも気が引けて、私ははぐらかす。
「あっそ。じゃあ」
鎌田先生は特に追及してくることは無く、駐輪場にスタスタ向かって行った。どうやら自転車でプールに来ているらしい。私は「さようなら」と言うけど、鎌田先生の返事は無かった。
その日パパは珍しく20時に帰ってきた。
普段は21時。前はもっと遅かったけど、パパの上司が変わってから帰りがちょっぴり早くなった。パパの前の上司はパワハラがすごかったらしい。お弁当屋のおばさんたちが言っていた。「罰があたったんだよ」って。
「新しいプールどうだった」
お風呂上がりのパパが話しかけてきた。
「なんか、いつも通ってるプールとは違う感じだった」
「違うプールなんだから当たり前だろ」
パパは素っ気なく返す。
じゃあ聞かなきゃいいじゃんと心の中で思う。パパは私が色々説明していると、「結局どうしたいんだ」って言ってくる。
こっちは全部説明がしたいのに。なんでだろう。前にそれを近所のおじいさんに相談したら、「色んな建前とか説明が無くても話聞くって言いたいんじゃないかなあ」って言っていたけど。本当かな? なんか結局色々聞かれて、駄目ですって言うための練習な気がする。
授業参観とか、一生懸命説明しても来てくれなかったし。
自分の思い通りにしたいだけって言われたらそれまでだけど。我儘なのかな。私って。
「みんなにかっこいいて言われてる先生がいたよ、春木先生って言うんだ」
「ああ、若い?」
「うん。大学生くらいの先生。あと、おじさんに見える大学生の先生もいる」
「へえ」
「チー牛って言われてた。もう一人の先生は良くしゃべるけど、その先生はあんまり喋らなくて」
「大丈夫なのか、そんな先生」
パパは怪訝な顔をする。自分だって単語しか話さないくせに。
「今、色々あるからな……」
「色々って?」
「子供が知らなくていいようなことがいっぱいあるんだよ。用もないのにプール行くみたいな」
私が新しいプールに行きたいって言ったの、パパ怒ってるのかな。
新しいプールに行きたいって言ったのは私だけど、なんか、もっとちゃんとしたプールだと思ってたからだ。まさかあんな、春木先生とゆかいな仲間たち状態のプールなんて知らなかったし。
「パパに似てるよ」
私はチクッと刺すつもりで言った。
「え」
「鎌田先生」
私はパパを見返して、自分の部屋に戻った。お風呂から出た後、髪も乾かし終わったから、そのままベッドに飛び込み、枕の横に置いていた人形を掴んだ。
「私、整形調べたことあるの。お顔を変える手術」
前、パパに「整形したほうがいいと思う?」と聞いたことがある。私の顔はお母さんに似ているんだろうけど、だからこそ、似てる私を見るのは嫌だろうな、と思ったからだ。
「パパね、大人になってしたいなら止めないけど、だったの。なんかすごく他人事だった」
お人形の表情はない。
「そのままでも大丈夫だよなんて言われなかった」
やっぱ今のままじゃ駄目なんだろうな。
道徳の教科書とか先生は、そのままの自分とか、ありのままだよとか言うけど。
でも、テストの点数が駄目だと怒られるし。
かわいい子とか、ちゃんと手を上げて話せるこのほうが褒められるし。
泳げるのだって、大会に出られなきゃ全然褒められないし。
水泳すきだけど、大会に一度も出たことがない。出られないし出たくない。大会に出る練習より、一人で泳いでるほうが楽しい。
でもそうすると、褒めてもらえない。
パパは、褒めてくれない。大会に出ようかなって言ったときも、出たいなら出ればだった。
多分。やりたいって言ったのは自分なんだからって思ってるんだろうな。
「はーあ。可愛くなりたいとかじゃなくてさ、私じゃなくなりたいなーって、思う。それって整形で出来るのかな」
人形の表情はない。
返事もしてくれない。
翌朝、朝起きたら漢字ドリルの画数の多い漢字の列だけ全部消されてた。
人形の手には消しカスがついていた。




