第三話 お人形の御利益
トイレのあとは体育の授業だったから、私は誰もいない教室でこっそり自分のランドセルを回収すると、勝手に家に帰った。トイレから出られた後は、目がすごく腫れてたし、家には凍らせたお弁当があるから。
自分の部屋のすみにランドセルを放り投げ、私はベッドにうずくまる。全部嫌だった。今の自分も自分の状況もなにもかも。
ママは元々仕事ばっかりの人で、家にいなかった。パパもだ。
ママはみんなには綺麗で一生懸命働いててすごいって言われてたけど、私はやだった。
全然家に帰ってこないし、幼稚園で持ってかなきゃいけない巾着とか鞄について話すと「なんで手作りじゃなきゃいけないわけ?」と、怒るところとか。
私が悪いとため息を吐くところとか。
お洋服を買いに行って「好きなの選んでいいよ」って言うけど、ママの好みのものじゃないと「センスない」「なんでそんなブスが着るようなの選ぶの?」「みっともない」と怒るところとか。全部。
だから慎重に選ぶけど、遅いと「ぐずぐずしてないで」「さっさと決めなさいよ」と機嫌が悪くなるので、何していいか分かんなくなる。
そんな矢先、家にいるときのママがスマホにべったりになって、私がなにかを選んでも「ああいいんじゃない」「それでいいよ」「わかった」と怒らなくなったと思ったら、ママとパパの喧嘩が増え、ママがいなくなった。
お弁当屋さんのおばさんや、犬を散歩してるおじいさんは「大丈夫だよ」と励ましてくれた。励ましながら、私はママについて知った。
ようするに、皆は私がママが浮気して家を飛び出したことに傷ついている子供だと思って励ましたのだ。
私はなんにも知らなかった。だから結果的に、みんな、善意でばらしてしまったことになる。
パパは何にも言ってくれなかった。
パパは私がママについて知っていることを知らない。
そして私はパパの気持ちが分からない。
だから、お弁当でいらないって言われたのも、お弁当のことなのか私のことなのか、分かんない。
スイミングスクールに行っちゃダメって言うから、心配してくれてるのかもしれないけど、「ダメだよ」は言っても、「大事だよ」とか「誘拐されたらヤダよ」は、言ってくれないから。
「今日、やなことあった」
私はお人形に話しかける。お人形は無表情だ。なんの感情もないのに、心配してくれてるのかもしれない希望がわいて、私はお人形をぎゅっと抱きしめる。とんでもない形相をされた。
「私のことすき?」
人形はとんでもない形相をする。
「私のこと大事?」
人形はとんでもない形相をする。
「ずっと一緒にいてくれる?」
人形はとんでもない形相をする。
「私のことどっか連れて行っちゃっていいよ。私のこと大事なの、あなたしかいないから」
人形から表情が消える。
幼稚園の頃、クラスメイトがぬいぐるみを持ってきてひやかされていたけど、最近はアイドルのぬいぐるみを鞄につけて持ってくる子もいる。
私は無理くり人形をランドセルにくくりつけ、登校することにした。ランドセルの横だと落としても分からないので、腕をひっかけるところにたすき掛けするみたいにしている。
先生に「大きくない?」と注意されたけど、「パパに言われたから分かんないんですけど防犯ブザーと位置情報のやつが入ってるんです」でごり押しした。
だからもう大丈夫、と思っていたけど、いい意味で注目を浴びた。
「私も人形よく集めてて、お人形、可愛いと思ってたの。見てもいい?」
「え」
授業が終わって本を読んでいると、同じクラスの子から話しかけられた。
「うちの子たちはこれ」
その子はスマホを見せてくる。写真にはその子のコレクションしているらしいお人形が並んでいた。日本人形が三十体ほど並んでいる。これ怖い人形じゃないの? 髪の毛伸びたりとかするやつでは?
うちの人形も人のこと言えないけど。
「うち神社でさ、よそから髪の伸びる人形とかいっぱい預かるから、お父さんに綺麗にしてもらって、お友達にしてるの」
めっちゃ怖いな。綺麗にしてるって除霊のことなのか、他人から貰った人形べろべろ舐められてたら嫌だから殺菌ってことなのか分からない。どのみち怖いことに変わりないし。
「でもうちの子とタイプ違うからさ、この子近くで見てみたくて、かわいー。頭ツルツル」
彼女は私の人形を見て顔をほころばせる。人形は無表情だった。これでとんでもない形相をしたら困るし、ちょっとムっとするから、良かった。良くないけど。
「ね、たしか同じ方向だよね? 今日一緒に帰らない? 誘拐とかあって危ないし‼」
「え、いいの……?」
「うん、良ければどう?」
私は彼女の誘いに頷く。もしかしてこの呪いの人形は、動きさえおかしなだけで、結構ご利益があるのかもしれない……と、ちょっと思った。
クラスの子とおしゃべりし、「案外おうち近いねえ」なんて笑って別れてから家に帰ると、パパがいた。
パパは私を見るなり「なんだその怖い人形」と怪訝な顔をする。私は人形の足をぎゅっと掴みつつ、「お仕事は」と聞いた。
「いや、最近、上司が変わったっていうか……色々あって、これからお葬式に行かなきゃいけないから、戸締り気をつけろよ」
そう言ってパパはバタバタと部屋の中のタンスを開いてはひっくり返している。
「何探してるの」
「数珠と香典入れがないんだよ」
「誰か死んじゃったなら私も行かなきゃダメなんじゃないの?」
「死んだの俺の上司だからお前は家にいなさい」
パパは早口で答える。
「え……ご、ごめんなさい」
「いや、謝らなくていい。酷い人っっていうか、暴力も納期もめちゃくちゃだったし……あ」
パパのスマホがブーブーと振動を始める。パパは「はい、お疲れ様ですー」とすぐに電話に出た。
「はい。今出るところです。すみません。すぐに行きます……あ、ありがとうございます、すみません今、探し物してて」
優しい声だ。私にかける声と全然違う。私に対してはすごくそっけないのに。パパはスピーカーにしたらしく、慌てながら数珠と香典入れを探している。その間に、電話相手の声が聞こえてきた。
『まさかですよね……あんだけ数字出せ、売り上げ上げろって言って、自分は会社の階段から転がり落ちるなんて。なんか、人事課見ちゃったらしいですよ、顔、ヤバかったらしくて、頭からで』
「悪い、今、娘が傍にいて、スピーカーで」
『あ、すみません』
電話の相手は謝る。
『俺も気をつけないと、と思いました。お互いあの人にしごかれて、ねえ、恨んでたとはいえ、ああいう死に方してほしいとまでは思ってなかったんで』
「ですね」
『でも新しく配属される人はなんか調子いいんで、なんか、いいんだかわるいんだかって言う……罰当たりそうですけど、お互い助かった感じありますよね。あのままだったら絶対身体おかしくなってた。こっちが落ちてたかも』
「ですね」
パパは電話で話をしながら、目当てのものを見つけたらしく、鍵だけ気をつけろのジェスチャーをして家から出て行った。
「怖いね。階段から落ちちゃったんだって、顔ないってさ、怖いね」
私は人形に話しかける。人形はとんでもない形相をしている。
「パパ、大変なんだろうね仕事」
人形はとんでもない形相をしている。
「私がいなければ、嫌な仕事とかしなくて済むのかな」
人形から表情が消える。




