らーめん
寄り道して家に帰り、学はリビングに座っていた。ガチャンと鍵が開く音がして、すぐに立ち上がる。世果だ。チャイムは鳴らさず鍵を使う。家に誰もいないから。そういう前提を作ってしまったことに、胸の痛みを覚えつつも、学は玄関に向かった。
「おかえり」
「うわぁ、びっくりしたぁ」
学の登場に、世果は驚いていた。「ただいま」と続く声に学は苦しくなる。最後にただいまを聞いたのはいつだろう。ずっと聞いてなかったことにすら気づけなかった。
不甲斐なさを感じながら、「夕飯は」とぎこちなく話す。
「お弁当あるけど……もう一個買いに行こうか?」
「いや……ラーメン煮てて」
世果が帰ってくる前に学はラーメンの準備をしていた。一人暮らしの期間があれど、自炊能力は小学校の頃から変わっていない。作れるものは袋ラーメンが精一杯だ。娘の為に料理をと弁当屋の店員にせっつかれるが、慣れないものを作って娘に何かあったらと、その領域については不可侵を貫いていた。
「じゃあ半ライスにしておかず半分こずつにする?」
「あ、ああ」
娘は鍵を締め、すたすた家の中へと歩き出す。手を洗って「お人形は?」とリビングを見回す。
「なんともないって」
学は紙袋から人形を取り出し、世果に渡した。
「えーなにかありそうだったのに」
世果は人形を受け取ると、持ち上げてみたり、のぞき込んだりする。
「あとこれ、売ってたから」
学は紙袋に入れていたぬいぐるみ用の着せ替え用品を取り出し、娘に差し出す。
「かわいー天ぷらになれるやつだ。ありがとう‼」
世果はすぐに人形の服を脱がし、えびの天ぷらになれる着ぐるみを人形に身に着けた。
「今日はラーメンがあるし、パパが早くて嬉しい」
娘の趣味を、学は理解できない。ただ、知りはしている。介入するのは侵害だと思っていたが、こんなに喜んで貰えるのなら、もっと早く……と学は手の平を握りしめた。
まだ、間に合うのだろうか。
学は娘の笑顔を見つめる。
間に合わせる、には至れない。そこまですぐに変われない。だけど間に合ってほしいと思う。間に合わせたいとも。
どうか間に合いますように。
学は祈りながら娘を見る。そして、お弁当、少し冷めて伸びたラーメンをテーブルにのせ、二人で手を合わせた。
◇
偲田学が帰ってすぐ、和尚は遠くを眺めていた。
「どうしたんすか、ぼーっとして、っていうかアレ、お祓いしなくてよかったんすか」
和尚に駆け寄る弟子が無邪気に問う。和尚は「お前はアレが祓えるように見えたのか」と、学の去っていったほうから視線を逸らさずに返した。
「え」
「祓おうとしたら、この地域一体どうなるか分かったものじゃない。いいか、さっきの男がまた祓いたいと来たら、そういった類の物ではないと伝えろ。それが、あの男にとっても、その子供にとっても、最良だ」
「ど、どういうことですか……」
混乱する弟子に対し、和尚はそれ以上の説明をしない。しかし、靴音を響かせ、学とは別の男がやってきた。
「すみません。さっき寺を出て行った男について、少々御聞かせ頂けないでしょうか」
「刑事さんにお役に立てることなんて、殆ど無いと思いますが」
偲田学と和尚が話をした本堂で、和尚と弟子、そしてスーツを着た男が相対する。和尚のすげない言葉に、男は自分が刑事であること、そして偲田学を捜査していると話した。
「しかし、彼の周りで不審な死が相次いでいるんですよね。元妻に、上司に、娘の母親、その次は娘の通っていたプール講師、これだけ続くとこっちも捜査しなきゃいけないんですよ」
男は気さくに話す。和尚は返事をしなかった。
「それであの男、この寺でどんな用事を」
男は和尚の態度に臆することなく追及する。
「人形のお祓いを」
「はぁ、なにか事件について話は」
「していましたよ。人形のせいだと疑って」
「へぇ……なにか、気付いたことは」
「気付くも何もありません。人形の仕業ですから」
和尚は俯き、偲田学が人形を置いていた場所を見つめながら告げた。
「人形の仕業? 人形で呪い殺したってことですか」
「いいえ? アレは、人間が祈ってどうにかなるものじゃない」
「どういうことです?」
男は怪訝な顔をする。弟子もだ。和尚は誰にも目もくれず、ただ人形が置かれていた場所を見続ける。
「そういうものが、出るんですよ。理由もない。経緯もない。何の脈絡もない、そういうものが。神とも違う。呪いや妖怪、幽霊なんて名づけられたらそんなに楽なことは無い。誰の手にも負えない、人間の想像では突き止められない、そういうものが」
「……」
「理解しようとしなくていいです。どうせ、出来ない。ただ、関わらないほうがいい。祓うのは無理です。あの父親は人形を拾ったと言っていたが、何で落ちていたのかも不思議です」
「関わるとどうなるんですか」
「……こちらから質問してもいいですか?」
和尚は問いかけた。男は「どうぞ」と恐る恐る頷く。
「あの子の人形を警察が取り上げ調べるとします。中に、何か凶器が入ってるかもしれないと、理由をつくることになるでしょうが……そういうことは現段階、無理ですよね」
「まあ、そうですね……お願いに留まると思います」
「なら良かった。無理に引き離したら、どうなるか分からない。お願い程度なら問題ないでしょうが……無理に奪えばどうなるか分かりません」
「どうなるかって……」
「警察が確認している不審死と、似たような状況にはなるんじゃないですか。呪いやそれに関与するものは、大抵出来ることと出来ないことがあります。特定の場所に入れない、何かルールを持つ……しかしアレは、何にも縛られない。見つかったら最後としか」
「見つかったら最後?」
男の問いかけに、和尚は「はい」と頷く。
「容疑者たちが自らの罪に気付くか、人形に見つからなければ殺されることはなかった。罪を犯し人形に見つかり殺された。全国の犯罪者が死んでるわけではない。人形は独自の判断で見つけたものを殺してる」
「人形が、殺人……」
「あの人形を仮に逮捕して、人形を拘置所に入れたところで、出てきてしまう。現に拘置所にいた人間が死んだでしょう。見せしめのようにして」
「……」
「忘れたほうがいい。どうにもならない。アレは、人の手に負えない。なぜかそれが、子供の手の中におさまっている。その子供がどうなるか分かりませんが、下手に手を出しても事態を悪化させる。今回の件に対してだけは、それが確定しています。アレは誰にも祓えない。忘れたほうがいい」
「それでも、刑事として真実を──」
「知っていられると思うのですか?」
和尚は冷静に問いかけた。
「報道で薄々分かりますよ。到底人間の仕業じゃない、知る権利なんて言えないほどの惨状だったのでしょう? だからこそ、貴方は今、私の話をきちんと聞いている。普通の刑事なら、呪いの話なんて聞こうとしない」
「……」
「知ることは生きることです。知って明日を見る。しかし、知ってしまったからこそ明日を見れないこともある。あの人形がそれです。知ったら最後、もう後戻りは出来ないでしょう」
「刑事として私刑を許すことは……きちんと法で裁きを……」
「人の生み出した法に──人の領域にアレはいない。犠牲を払ってあの人形を追うより、貴方は……あの人形が狙うような人間を少しでも減らすことのほうが、早い」
和尚は刑事の男を帰す。弟子が「そんなヤバいもん大丈夫なんすか? 子供が持ってて」と和尚を問い詰めた。
「もう持ってしまったものは仕方ない」
「そんな……」
「子供は拾ったと言っていた。つまり見つけて招いてしまったということだ。我々に出来ることは無い」
和尚はずっと人形が置かれていた場所を見つめている。
「そんな怖かったんすか? ずっとそんな、なんもないとこ見て。俺なんかヤバそうだなー程度だったんですけど」
弟子の言葉に、和尚は視線を動かさず返した。
「ずっとそこにいたよ」
これにてぱぱ編終了です。また季節か何かの移ろいと共に、おにんぎょうとよのかちゃんについて書いていけたらと思います。「此岸村で漫画家を探しています」というホラーを書いていたのですが、本シリーズ冒頭の「きのちゃん」とあっちのきのちゃんと同一人物です。よろしくお願いいたします。
【おにんぎょう・うらせってい】
・「おべんとうやさん」「きんじょのおじいさん」たちからは、「流行の人形系キーホルダー」と一緒の認識。
・「がっこうのみんな」「ぷーるきょうしつのみんな」「はるきせんせい」からは「流行の人形系キーホルダーが買えない子がつけてるやつ」だと思われている。
・「ぱぱ」「かまたせんせい」からは「不気味な人形」だと思われている。
・「かずこちゃん」からは「かわいいおにんぎょう」だと思われている。
・「よのかちゃん」からは「変な人形」だと思われている。




