ぷーるこうし
寺は坂の上にある。帰りは当然下り坂だ。鬱々とした気持ちで学は下りていき、電車にのって自分と娘の暮らす街に帰ってきた。駐輪場を横切ったところで、「あ、偲田さん」と声をかけられる。
以前、学の会社に職業体験に来ていた鎌田だった。鎌田は世果が事件に巻き込まれたプールでバイトをしていて、今では世果が元々通っていた古いプールで働いている。
「ああ、鎌田くん」
「仕事、早く終わったんですね」
鎌田は自転車を押しながら近づいてきた。
「うん、そっちは、大学終わり? バイト?」
「大学終わってバイト行くところで」
駅からプールに行くのも、学の家に帰るのも同じ方向だ。商店街を抜けなければいけない。14時と小学生や高齢者がまばらに行き交う商店街の街並みを横目に鎌田と二人で歩いていく。
「どう、新しいバイトは」
「いやぁ、オーナーっていうか、おじいさんが……怖いなって。マジで、タイルの上歩いてるとヒヤヒヤするっていうか。その割にあの人めっちゃ早足だし」
「健康にいいから早足してるみたいなことは聞いたことあるかも」
「最悪すぎる。周囲の心拍をめちゃくちゃにする健康療法」
鎌田は呆れかえっているが、学は少し安堵した。プールのオーナーをしている老人を見守る人間が増えたのもそうだが、鎌田の変化にだ。
鎌田には弟がいる。競泳の選手として将来を有望視されていたが、盗撮の被害に遭い自らの命を断った。鎌田曰くその犯人が、今回盗撮で捕まったプール講師の春木で、ずっと証拠を集めようとしていたらしい。
「でも世果が喜んでたよ。おじいちゃん先生は安心だし、鎌田くんいて、嬉しそうだし」
「いやぁ……どうなんすかね。危なくないっすか? 娘さん」
鎌田は怪訝な顔をした。
「え」
「なんか、俺みたいな奴は嫌ってる分に越したことないっていうか、キモい人間に愛想いいと危ない気がするっていうか、俺めちゃめちゃ前のプールで嫌われてましたからね」
「そうだったの……?」
「娘さんまだ小学生だし、大人の男は皆キモいくらいに思ってたほうが安全だし。色々物騒なんで、まぁ、危機感薄いっていうより、パパが好きだから、その延長みたいなところもあるんでしょうけど」
「ぱぱがすき」
学は初めて聞いた単語のように繰り返す。「そうかなぁ」と咄嗟に否定した。
「だと思いますよ。パパの物忘れに巻き込まれても、憎んでる感じないし。俺逆だったらもう口聞いてないっすよ、はは」
鎌田は早口で笑う。
「あれかも、どうだろう、鎌田くんが子供の扱いが上手いから、そういう風に感じるのかもしれないけど」
「俺は全然駄目っすよ、弟に対して、何も上手くできなかった」
鎌田は何気なく話す。しかしその声音には、後悔が滲んでいた。
「春木に復讐してやりたかったのも、多分生きてるうちになんも出来なかった、なんも言えなかったからでしょうね。生きてるうちに、助けてもやれなかったし、なのに、死んでから動くっていう、はは」
鎌田はまた笑う。自分のかさぶたをめくるように。治ることを拒絶するように。
「だから、偲田さんは後悔しないようにしたほうがいいですよ。全然事情は知らないですけど、男としてとか、ねえ、色々ありますけど、いい兄であろうとしたとしても、結局、自己満足ですから。どれだけその場で正しかろうと、正解であろうと、相手に届かなきゃ意味ない……」
「……」
「まだ、間に合うと思いますよ、偲田さんは」
「じゃ」
鎌田は自転車を押し、車道に出るとゆっくり走っていった。学はその背中を見送り、一人考える。
──娘さんが心配なら、人形を寺に持ってくるよりも、すべきことがあるんじゃないですか?
──どれだけその場で正しかろうと、正解であろうと、相手に届かなきゃ意味ない……。
学は紙袋を開く。そこには人形が入っている。相変わらず不気味な人形だった。しかし思いきって、人形に触れる。大きさを確かめ、また学は歩き出した。




