おかあさん
学が世果の母であり元妻でもあるエリカと出会ったのはマッチングアプリだった。
それまで交際経験はない。親から結婚を急かされていたが、出会いを求めるのではなく相手がいないと親から距離を取る形で対処していた。結婚は自分の人生から縁遠い。仕事だって大変なのに、誰かの人生を背負うなんて考えられない。ネットで見るような浮気の話から親族間の問題、結婚失敗体験談や社内での配偶者の愚痴を聞く限り、結婚と幸せが繋がらない。結婚が遠く感じるのに、結婚を前提としない交際には忌避感を覚える。
しかし、半年から一年ぶりに会う、それ以外はSNSでいいねすら送りあわない過去の級友たちのライフステージがどんどん変わっていき、焦りや不安は増していく。
結婚前提のマッチングアプリを知り、街コンや婚活といった響きよりハードルが低いと選んだ。一応マッチングアプリもしてみたけど、駄目だった。その免罪符が欲しかったのだ。
そこでエリカとマッチした。
会って話をすれば、エリカも似たようなものだった。結婚前提のマッチングアプリだからか、エリカは情熱的にアプローチをしてくることはなかった。
人を好きになる。
好きになって結婚して、それでも破綻するのが結婚。
そういう悲観的、最悪のイメージをしてからではないと将来を設計できない学は、エリカのそうした温度感が心地よかった。
そばにいる。理解者になってくれるかもしれない。至らぬところがある自分でも、もしかしたら誰かと一緒にいられるのかも。
ささやかな期待を胸に交際を経て、結婚に至った。
当時は「結婚はこういうものだろう」とどこか納得していたし、自分が知らないだけで、こういう風に人は結婚していくと学は信じて疑わなかった。
子供が出来たときは自分が父親になるのかという恐ろしさと同時に、ようやく自分が一人の人間として認められたような気さえした。
結婚し、半年。エリカは妊娠した。
妊婦がどんなものなのか、うっすらとした知識はある。気分が悪くなり、普通に過ごすことが難しくなる。仕事を休んで看病することはできないが、そうでないときはサポートしなければ。覚悟していた学だが、エリカにはつわりが殆どなかった。陣痛もほぼなく、子を育てている看護師が羨ましがっていた。
母子ともに何事もなく、良かった。
学は心から安堵した。
赤子が生まれる前は、もしものことがあったらと不安でいっぱいだった。
だからか、生まれてきた赤子を見て、すぐに愛おしい、大好きといった感情に至らなかった。
少なからず今後の未来が明るいものだと思える、そんな柔らかい希望を感じていた。
それが悉く裏切られていくのに、時間はかからなかった。
最初の違和感は娘が生まれてすぐの頃。会社の後輩たちから娘のためにと貰ったタオルで出来たケーキのプレゼントに対して。
後輩は既に子供がいて、学はその後輩の出産祝いにギフトカードを送っていた。後輩の妻がそれを覚えており、お返しを絶対にしたかったとの話と共にタオルで出来たケーキを持ち帰った。
妻の第一声は喜びや感謝ではなかった。
「いいなー」
単音が重なったような一言。
引っかかりを感じていた。元々学は人の声音に関して過敏なところがあった。一言、声音ひとつで相手が本意か本意ではないか悟ってしまう。そうした感覚が鈍い人間は大勢いて、気にし過ぎだろうと自分でも思うが、学の推察は大抵当たる。だからこそ、仕事の関係で聞こえてきた一瞬が延々と気になって眠れないこともままあった。
その推察は妻に関しても的中した。
少しずつ、不自然に預金残高が減っていった。
産後は体調を崩しやすい、昼に出前を取っている、タクシーを使っていると思っていた。スマホを見るのも、子育ての情報収集だと考えていた。スマホについては自分がそうだったから。
でも全部違っていた。
エリカは家のお金を──学の貯金を、ホストに使っていた。
自分がすべて。
エリカは他者と支え合う、他者と暮らす、他者を顧みるという機能が著しく存在しない人間だった。学と結婚したのも、ホスト通いで資金繰りが厳しくなったから。元々エリカの周りにいた人間が彼女と結婚しなかったのは、彼女が結婚や家族を形成する性格ではないと知っていたからだ。
『結婚は気の迷い』
『お金なさ過ぎて早く決まればいいと思ってたんだって』
『サブスク的な? とりあえず三食困らんし』
『ただ顔は妥協しすぎた笑』
『背的にもさー180は日本人無理だけどさーまじ急ぎすぎた説』
トークメッセージで知った、学を否定する言葉。
それにも堪えたが、一番は娘の存在がほぼ無いようにされていたことだ。
ずっと学は気づかないふりをしていた。
エリカの娘への態度が、どこか対等すぎることに。
娘がプレゼントされて喜ぶよりも羨ましがる。
自分にはないことを不満をあらわにする。
娘が良くされると、その帳尻を合わせるように娘にそっけなくなる。
それらを、つわりの軽さや陣痛が関係していると学は考えていた。エリカにはそういうのがなかったから。勝手に結論づけていた。仕方がない、割り切らなければいけないことだと。
でも違った。そんなこと関係が無かった。つわりの軽さも陣痛の辛さも、子供への愛情に微塵も関係なんてなかったのだ。全ては空想の偏見に過ぎない。
エリカには、他者を慈しむ機能が存在していなかった。
正確には、他者となにかを共有する、渡す、受け取る選択肢のうち、渡すが致命的に無い人間だった。
それでも学はエリカに離婚を申しでることが出来なかった。世果を一人で育てる自信が無かったのだ。ネットで見る父子家庭という属性が、自分の娘に付加されることを恐れた。子供が可哀そうだからじゃない。自分が、娘を育てる、別の命を一人で育てることに怯えた。
だから、エリカの欠落に気付いても、気付かぬふりをした。そんな生活は、エリカが家を出たことであっけなく終わった。




