おにんぎょうのびょういん
「今日、会社の近くで、お人形の病院っていうのが開かれるらしいんだ。だから、一度見てもらったほうがいいと思って」
偲田学は声を上擦らせながら、娘の世果に声をかけた。
人形を抱えながらスマホを眺めていた世果が顔を上げる。目が合う。それだけで咽頭が少しずつ質量を増し気道を狭めるような錯覚に陥る。
後ろめたい。
「ゴミ捨て場にあったし、洗濯機は限界があるもんね」
世果は学を見ながら話すが、言葉の途中で人形に視線が戻る。世果が現在抱える人形は、彼女が学校帰りに拾ってきたものだった。量販店にあるような樹脂で出来ているようだが、企画部が立案しコンペを繰り広げ営業が販売数の数字を分析していったような経緯が感じられない、不気味な人形だった。
「今日はパパとお出かけだよ。変なことしちゃだめだからね」
世果は人形の脇に手を差し込み、もっともらしく声をかけ、人形を差し出す。学は受け取ってすぐ、世果から背を向けリビングの棚を漁った。大量に余ってはみ出ている紙袋から、一番ボロボロで何にも使えなさそうなものを選び、人形を入れる。外から見えないようセロハンテープで止めた。
「お金置いておくから。戸締り、しっかりしなさい」
「はーい」
学は世果を置いて先に家を出る。朝7時。世果が学校に向かう時間は7時45分だ。本当なら世果が家を出た後、自分が戸締りをして家を出られたら。学は常々そう思っているが、家と会社の距離的に上手くいかない。小学校5年生の子供に対しては過保護かもしれないが、世果が自分で戸締りをして学校を出るのは小学校2年生からだ。
理由は、娘を送り出す相手──世果の母親であり、学の妻であるエリカと離婚したからだ。
「おーおはよう」
駅に向かって歩いていると、学の住んでいる家から徒歩10分ほどのアパートに住む老人が声をかけてきた。老人は数年前妻を亡くし、しばらく塞ぎこんでいた。親戚が見かねて犬を連れてきたかなにかで、朝と晩、こうして近所を散歩している。
「なんだその紙袋、どっか出張でも行ってきたのか?」
老人は学の下げる紙袋に怪訝な目を向けた。これは絶対にいらないという紙袋を選んだので、シミがついている。
「いえ、今日ちょっと、お寺に行こうと……」
「なんでまた」
「娘の人形、ちょっと、気味が悪いっていうか……」
「あーそうかあ? 最近の人形は全部そんなもんだろ、目がでっかくてピンクとか紫とか、昔とは全然違うからなあ」
「そういうのとはまた違うというか、なんか、事件色々、あったし」
夏休みの少し前、雨が続き天気予報で傘を持つ気象予報士を目にする機会が多くなったころ。娘が見知らぬ人形を抱えるようになった。髪の毛がなく、何かの企業マスコットと言えばそれっぽくも思えるし、日本人形や西洋人形を模造した量産型の人形と言われても、疑問は抱かない。そういう微妙な印象だった。
その印象が変わったのは、不審な事件が連続したからだ。
学の娘である世果が誘拐されかけた。犯人は世果の同級生の母親だった。その女はかつて芸能界を志していたが、夢破れ、結婚した後は実の娘を芸能界に入れることに執着していた。願いは叶い、長女は芸能界の進出を果たしたが、それは物心がつかない、自分で自分のことを判断できない間の話。成長につれ長女は芸能界とは別の道を夢見るようになり反発していたらしい。次女もいたが、長女のように事務所入りが叶わなかった。事務所に入って案件を得るためのオーディションではなく、事務所所属の競争に敗れ続けていくうちに、母親は歪んだ希望を抱くようになった。
新しい娘。
私の願いを叶えてくれる娘。
母親は新しい娘を探し、誘拐していたらしい。
知らないおじさんと幼い子供が並んでいたら周囲は怪しむだろうが、母親と子供が歩き、子供が嫌がっていたところで誰も警戒しない。
どんなにうがった見方をする人間でも、泣きわめく子供と母親世代の女を見れば、せいぜい我儘な子供だな、躾がなってないな、止まり。
知らない女に引きずられ泣き叫んでも、知らないおじさんが連れている時より警戒はされない。
それが現実だった。
ゆえに白昼の犯行にも関わらず、被害者の数は二桁に届く勢いだった。
そこに、自分の娘が入っていたかもしれない。
学は恐ろしかった。何が原因か考え続けた。思い至った原因は膨大だった。帰る時間が遅い。家にいない。娘の人間関係を把握してない。保護者との情報共有が上手くできてない。
多すぎる反省点の果て、あ、と思いついたのが人形だ。
娘の拾った人形。
人形を拾ってしばらく経って起きた凶行。
自分に関する反省点が多いあまりの現実逃避であるという自覚もあったが、娘が人形を拾ってすぐ、学の上司が不審な死を遂げた。
最近では娘が新しく出来たプールで襲われかけるなど、この人形を拾ってからろくなことがない。
だから、この人形をなんとかするのが、学に出来ること。
家のローンがある。高校無償化は進み、世果の高校卒業までは進学費用の心配は淡いが、学校に通えるというだけ。日々の暮らしにだってお金が必要だ。仕事を辞めるわけにはいかないし、これから世果の通う学校の保護者と関わっていくことも、働いている以上は難しい。
出来ることが、これしかないのだ。
「お祓いしてもらってどうすんだその人形」
「え」
「お祓い済んだら持って帰るのか? 焼いてもらうなら、新しいの買わないと」
「いや……ああ」
学はしどろもどろになった。そこまで考えていなかった。老人は「そういう恨みは続くぞお」と脅す。
「やめてくださいよ」
「やめるもなにもそういうもんだからなぁ。俺もばあさんに若い頃買ってやった服、勝手に捨てて怒られたよ。もう着れないだろうに、あいつ倒れて入院になったときだって言ってたんだから。自分がいる間に捨てんじゃないって。そんなことしねえよって言ってさ、俺がやった服で、新しいの買うつもりで捨てたんだ~なんて言って、結局、帰ってこなかったけどよ」
老人はふう、とため息を吐いた。老人の妻が亡くなり、もう数年たつ。沈黙を破ったのは犬だった。
「ぐうううううううううううううううう」
老人の太ももを鼻で小突いた。
「痛い痛い痛い痛い痛い、やめてくれ!」
「ぐうううううううううううう」
犬は小突くのをやめない。
「いなりあげやめろ、やめろって」
老人は犬を罵るが、犬はぐいぐい老人を急かすように歩かせる。
「じゃあ気をつけろよ、俺はこれからいなりあげとお嬢ちゃん見に行くけどよ、今物騒だからな」
老人は学に注意して、去っていく。学は会釈して、駅に向かう。




