第十二話 閉館時間
「あ、ちょっと」
講習が終わり、更衣室に戻ろうとすると春木先生に声をかけられた。
「これ、ちょっと戻してきてもらっていいか、ストップウォッチ。そこの倉庫のかごに入れてくれればいいから」
「ああはい」
私はストップウォッチを手渡され、促されるままプールサイドそばにある倉庫に入る。中にはストップウォッチとビート版がしまわれていた。それっぽいかごに入れてプールサイドに戻れば、もう他の生徒はほとんど更衣室に戻ってしまっていた。
「ありがとな」
「いいえ」
「それでなんだけどさ、実は渡した振込用紙、ちょっと不備があってな」
振込用紙に不備?
「皆の前でそういう話されるの、嫌じゃないかと思ってさっき頼んだんだけど……今日ちょっと残ってもらっていいか? 期限があるから、出来れば今日がいいんだけど……パパと今日用事あったりするか」
「いえ」
「じゃあ悪いけど待ってくれ。待ってる間ヒマだろうし、泳いでていいから。今日は中学生コースが泳がない日だから、自由に泳いで大丈夫だから。ただ、深いところには行くなよ?」
「はい……」
謎の居残りが発生してしまった。鎌田先生の姿を探すけど、いない。そういうえば今日いなかった。
「あの、鎌田先生は」
「今日休みだよ。ずっと連勤続いてたからなあ。先生が代わってあげたんだ」
「へえ」
「講習会もそろそろ終わりだろ、だから続けるかどうか分かんないけどさ、思う存分泳いでくれ」
春木先生は笑みを浮かべる。私は会釈して先生を見送った。
先生を見送ったあと、私は更衣室に戻ることにした。泳いで待ってて、春木先生の特訓を受けたくないから。うるさそうだし長引きそうだし、髪も乾かしたいし。
更衣室に入ると、人形が置かれていた。私のお人形だ。こういう嫌がらせをするような子に心当たりはない。
「出たな」
人形は無表情だ。絶対この人形自発的に出た。この人形が動くところを見たことがない。顔は変わるけど、テレビのチャンネルを切り替えるみたいに瞬きの間に変わる。私は人形を抱え、自分のロッカーに向かう。着替えようとすると、バン、と電源が落ちた。
まただ。謎停電。
そばに非常口がある。うっすら緑のランプに照らされ真っ暗というわけではないので、さっさと着替えを済ませた。行きと違い重たくなったプールバックを背負い、人形を小脇に抱える。
「暗いなぁ」
うちは家に帰ってきてパパが出迎えてきてくれたことなんて一度たりともないので、電気が真っ暗なのは慣れっこだ。面倒なのでそのまま突き進もうとすると、手の中で人形の首がぐるんと動くような気配がして、パッと電気がついた。
人形が真上……私を見ている。すごい形相だった。
なんじゃこいつ。
漢字練習帳の画数の多い漢字だけピンポイントで消してくるし。
むかつく。
「なに」
私は思わず人形を責めるように見返した。人形から表情が消える。
「漢字勝手に消してさあ。怒るよ?」
人形はじっと私を見ている。
「はい、いいえ、しっかり伝えないと分かんないからね」
私は春木先生を待つために更衣室を出ようとする。しかし、少し開けようとして、バァン‼ とホラー映画さながらな感じで扉が閉じた。強風で勝手にドアが閉まるみたいな、そんな力だった。怖い。私は思わず人形を抱きしめる。
するとドアがゆっくりと開いていく。
怖くて後ずさると、また壁に叩きつけるように閉じた。
「……もしかして開けたり閉めたりしているのあなた?」
人形は複雑な面立ちだ。どっちか分かんない。
「私を挟む気なの?」
人形は無表情だ。
「私を出さないつもり?」
人形は無表情だ。
「ここを、通ってほしくない……?」
人形は険しい顔になった。じゃあ暗い更衣室を歩いて……プールサイドに戻らなきゃいけないわけで。
「男子更衣室から戻ることになるよ。職員用通路もあるけど、先生しか通れないみたいだし」
人形は険しい顔のままだ。男子更衣室から帰れ、ということらしい。
「捕まるよ」
人形の表情が変わらない。私を逮捕させようとしてる。でも扉は開かないので、私は仕方なくプールに戻った。
ぴちょん、ぴちょん、と水音が響く。ちょうだい様チャンスと思ったけど、やめた。呪いの人形とバトルになったら嫌だし。
誰もいない、一人きりのプールサイドを歩いていく。靴下は脱いで、人形と一緒に抱える。そして男子更衣室に入ろうとすると……、
「おおーい」
春木先生の低い声が響いた。返事をしなきゃと思ったけど、やめた。いつもの声音と違う。
なんか、普通じゃなかった。
人形の顔を見ると表情が消えている。
「開けろよーなんで閉じたんだよー女子更衣室だけは外鍵と内鍵の二重ロックなんだよーそっちから鍵閉められてると、こっちから開けても入れないんだよー」
春木先生は女子更衣室から声をかけているらしい。
「なんか、見ちゃったのかぁ?」
のんびりした声音だった。でも、違う。いつもの春木先生じゃない。
やがてペタ、ペタ、ペタと、スニーカーと床の摩擦の音が近づいてくる。そして……、
目の前の男子更衣室の扉の鍵が、ガチャン、と閉じられた。バッタン、バッタン、バッタンときちんと鍵が閉まってるのを確認するみたいに扉を確かめてるみたいだった。
「こっちからも鍵かけちゃうからなあ」
キュ、キュ、キュと、足音が遠ざかっていく。そして、ガチャン、とさっきみたいな鍵の音が響いた。また、バッタン、バッタン、バッタンと確認の音が繰り返される。
女子更衣室と、男子更衣室の鍵を、閉めた?
男子更衣室は内鍵がない。春木先生は私をプールに閉じ込めようとしている?
「大人しく待ってろよお、今行くから、なあ」
キュ、キュ、ペタ、ペタと、スニーカーと床の摩擦音が遠ざかる。職員用の通路から、こっちに来る気だ。
しかも、「なんか見ちゃったのかぁ?」なんて言っていた。何か見られたくないものがあったんだ。どっちかといえば鎌田先生のそういう場面に出くわしたけど、私は知らない間に、春木先生の見られたくないものを見た?
人形の顔を見ると、表情が消えていた。どうすればいいのか分からない。
カチャン。
微かに目の前で鍵が開く音がした。男子更衣室の扉が開いた。でも春木先生が入ってくる気配はないし、スニーカーの音もしない。人形の表情が険しくなっている。
「出ろってこと?」
私は小声で尋ねる。人形の表情は変わらない。今だ。
私は思いきって扉を開けた。男子更衣室を出て、そのまま音を立てないように扉を閉じると、ガチャンと鍵が閉まる音が響く。廊下は真っ暗だった。更衣室と同じで、非常口を知らせる緑のランプや消火器の傍の赤いランプだけが光ってる。
このまま帰ればいいのだろうか。それとも、交番とか?
でもなんとなく怖かっただけでまだ何もされてない。とりあえずここから離れないと。そう思って出口に向かおうとすると……、
「おい! なにしてる?」
ピカっとライトに照らされ怯む。鎌田先生がスマホのライトをこちらに照らしていた。




