第四話 グレン視点 素晴らしい上司
前の職場、黒鉄騎士団でグレンは定時で上がれたことはない。
「ああ、これ領収書、処理を忘れずによろしくな」
「あっ悪い、俺の分もよろしくー」
そう言って先輩方が山のように領収書を置いていく。
いつもギリギリの時間帯で。締切に間に合わないので、残らざるをえない。
「今日中にやっておくのがうちの流儀だ! 忘れちまうからな! あはははは」
騎士団長にそう言われたら、誰も逆らえるわけがない。
騎士団内では彼が絶対だからだ。
グレンの立ち位置は、貴族の出身なので読み書きと教養があり、官僚相手の事務処理を任せられるが、役職はない騎士の中で一番下っ端な立場であった。
そのため、経費だけでなく、様々な申請書はグレンに回ってくるようになった。
他の人にも仕事をお願いしたい。そう頼んだことがあったが、ミスが多く字は汚くて誤字脱字もあるため、下の立場であるグレンから先輩たちに指摘がしづらい以上、結局そのチェックと修正に時間が取られるくらいなら自分でやったほうが早いという結論になった。
役職はないが、執務室の中に出入りするので、上司の世話も任せられていた。
下っ端は上司よりも早く来て出迎えるべきだ。
飲み物も決まった時間に用意するべきだ。
上司の卓上に埃が舞うなど言語道断。
スケジュール管理や整理整頓、物品管理、他の組織との調整など、指示がある前に察して行動しなくてはならない。
誰かやるだろうとグレンが放置して漏れがあれば、やはり連帯責任でグレンまで罰則の対象になるからだ。
必然的に上司よりも早く出勤して用意していた。
これも他の人に当番制で任せたことがあったが、グレンから見ても雑であり、上司に咎められ連帯責任としてグレンまで巻き添えになってしまうので、結局グレンがやるようになっていた。
ちなみに罰は立てなくなるくらい重い筋トレメニューで、そのあとの日常にかなり支障が出る。非常に避けたい失態だったのだ。
そんな常識で白薔薇騎士団に異動したところ、逆に注意されて驚くばかりだ。
第二隊副隊長のライラからの説明で就業規則の存在を思い出したくらいだった。
グレンは王立学園の騎士科を二年前に卒業し、黒鉄騎士団に入団していた。
教師たちは元々騎士団に所属していた退役者で、その仕事の過酷さや上下関係の厳しさは授業で散々聞いて覚悟をしていたため、黒鉄騎士団での環境に全く疑問を持たなかった。
戦場では常に想定外な事態が起きる。日常を守る規則よりも、現地の上司の指示が絶対だ。だから、内勤時にもそれは当てはまるものだと盲目的に信じていた。
だから、心を入れ替えて仕事に励もうと早朝に出勤したら、今度も注意されてしまった。
でも、ライラの指摘の仕方はかなりグレンに対して配慮があった。
まず感謝を口にし、頭ごなしに叱ったりはしなかった。なぜ駄目なのか分かりやすく説明もしてくれる。
彼女の気遣いに自然と胸が温かくなった。
前の職場では、上司で経験者だから無条件で従っていたが、彼女には人格的な点で敬意を抱くようになる。
しかも、彼女はグレンと同じくらいの歳でもう既にアウラを扱い、手ごわい魔獣と戦っていると聞く。グレンはまだアウラの発現すらできないのに。それだけでも尊敬する価値のある人物だ。
彼女から学ぶ価値が大いにある。
自主練を見学させてもらったが、彼女は既にマスターの腕前で、凄まじい集中力と持続力だった。
思わず心震えて、感嘆を漏らしていた。
世界的な災害をもたらす狂竜を討伐したメンバーに彼女が選ばれていたのも納得だ。活躍したと噂で聞いていたが、それは誇張ではなく事実だった。
しかも、のちに爵位の授与が約束されているにもかかわらず下の人間に全く尊大にならず、むしろ今日みたいに地道に練習するほど謙虚だ。
「ありがとうね」
そう言って手を差し出してくれた彼女の手の感触を今でも忘れない。
彼女こそグレンが師事するに相応しい方だと悟った瞬間だった。
——今度こそ間違えずにこの素晴らしい上司のために働こう!
※
その頃、自主練を終えて更衣室で着替えていたライラは、ゾクっとした悪寒を感じて身震いしていた。
「あら、何かしら? 汗のせいで冷えたのかしら?」
まさかこれから出勤後にグレン流の丁寧なご奉仕を受けるとはこの時のライラは予想もしていなかった。




