第十一話 騎士の誓い
グレンの体内で、急速に不穏な気配が高まっている。このままでは最悪な事態が起きる。ライラはすぐに理解し、咄嗟に行動に移る。
「イシュルナー卿、落ち着いて!」
彼を鎮める方法は分からないが、被害を最小限に抑える方法は分かっていた。
慌ててグレンの身体に抱きつく。
グッと覚悟を決めて構え、次の衝撃に備えたが、——いつまで経っても予想していた衝撃が来なかった。
「あれ?」
戸惑いつつ、ライラがグレンを見上げると、目を丸くして呆気にとられている彼と目が合った。
「大丈夫? すごく危なかったの、自分自身でも分かってる?」
「す、すみません……」
すぐに謝罪が出るということは、やはり彼も自覚があったのだ。自分の体調の変化に。
「あ、あの離れてもらってもいいですか? 別の意味でヤバいです……」
みるみる顔が赤くなり、空いている手でグレンは自分の顔を押さえている。
抱きついている彼の身体までも急激に熱を帯びてきたので、確かにこのまま抱きついているのは良くないようだ。
さっさと距離を置く。
「申し訳ございません、ご迷惑をおかけして……。変なことまで口にして」
「迷惑だなんて、そんなわけないわ! あなたの気持ちに早く気づかなくて、こちらが申し訳ないくらいだわ」
グレンが体調不調を相談できなかった状況を作ってしまったことをライラは深く反省していた。
すると、グレンは驚いたように大きく目を見開いた。
「わ、私の気持ちに気づいていたんですか……!? その、すみません、私が至らないばかりに」
「謝らないで! これからは一緒に今後のことを考えましょう?」
相談しやすい職場環境をお互いに作ろう。ライラは上司として部下に歩み寄る。
グレンに手を差し出した。
「私のこと、気持ち悪いとか思わないんですか?」
「まさか! 全然気にしてないわ」
徴候は多かれ少なかれ騎士団にいれば見かける事態だ。
お互いに協力して乗り切るのは当然だ。誰しもが通る道だから。
「あの、至らない私でよければ、よろしくお願いします」
グレンはそっとライラの手を握り、それから感極まったのか抱きしめてくる。
「ありがとうございます。お気持ち嬉しいです」
「私もよ」
仲直りできて良かった。そう安堵した直後、グレンがいきなりライラに前で跪き、こちらを仰ぎ見る。その眩しそうにまっすぐに見つめてくる彼の黒い輝く瞳が久しぶりな気がした。
「我が名、グレン・イシュルナーにかけて誓います。我が剣と命は、あなたのために。我が心は永遠にあなたにあることを」
グレンは固まるライラの手をそっと取り、その甲に口付けを一つ落とす。
その洗練された振る舞いは、同じ騎士でも思わず見惚れるほど美しかった。
ライラが平民から騎士になったのは二年前。騎士道の精神に触れたのは、ここ数年である。
騎士が名前をかけて誓うのは、命をかけるのと同じ意味だ。
だから、ライラが騎士になったときに宣誓できるように家名も贈られたのだ。
そのときに、ライラも今のグレンのように王家に忠誠を誓っていた。
ライラ自身の過去が、まさに今のグレンと重なる。
まさかここまで上司として敬ってくれるなんて。
ライラは感激のあまり、言葉を詰まらせそうになりなる。
「卿の想い、確かに受け取ったわ。ありがとう」
短いながらも、彼の騎士としての忠誠をしっかりと受け止めたのだった。
※
ライラが愛の誓いを受け入れてくれた。
信じられないほどの幸運にグレンは今でも目眩を感じる。
ライラに付き合っていた相手がいたと本人から聞いて、グレンの心は激しく揺さぶられていた。
彼女から愛を囁かれ、彼女の身体に触れ、親しげに彼女の名前を呼ぶ男がいたのだと。
身が焼かれるような激しい苦しみに襲われたとき、ようやくグレンは気づいたのだ。
ライラを一人の女性として愛していたのだと。
気づいてもなお治らない気持ちの荒ぶりに混乱しそうになったとき、ライラが抱きしめて宥めてくれたのだ。
あの彼女の抱擁のおかげで、それまでの負の感情が吹き飛び、彼女に触れられている幸せに満たされる。
我ながら現金なものだと自分自身に呆れたとき、ようやく落ち着くことができた。
激しい嫉妬心に身を燃やした心理状況をライラに気づかれたときは羞恥心で消えそうになった。
それだけでなく、彼女に抱きつかれたままの状態なのも、嬉しくて胸が熱くなりすぎて、頭が混乱しておかしくなりそうだった。
でも彼女はそんなグレンを否定しなかった。むしろ、一緒に二人の将来のことを考えていこうとグレンの気持ちを受け入れてくれたのだ。
一瞬、聞いた言葉をすぐには理解できなかった。だから思わず聞き返したくらいだ。
すると、勝手に恋心を募らせ、挙動不審な行動をしていたグレンを全然気にしないと朗らかに言ってくれたのだ。
感極まって彼女を抱きしめたら、彼女もグレンに応えてくれるように腕を回して抱きしめてくれる。
もう迷いや疑問はなかった。
ライラと想いが通じ合ったのだと。彼女の気持ちに誠心誠意で応えたい。
だからこそ、グレンは名前をかけた騎士の誓いでもって彼女に愛を捧げたのだ。
これは命をかけるのと同義。他の人は絶対に愛さないという唯一の誓いだ。
彼女もグレンの誓いを受け入れてくれたので、グレンは嬉しくてたまらなくなる。
ライラの前では格好をつけて平静を装っているが、顔がにやけそうになる。
ちょうど定時を告げる鐘が鳴り響く。
すると、鍛錬場で見学をしていた二人の騎士が、「失礼しました!」と逃げるように去っていく。
そういえば、グレンは余裕がなさすぎて二人のことが頭からすっかり消えていた。二人の気配すらなかったのもあったが。二人には恥ずかしい場面を見られて申し訳なかった。
あとで謝罪をしておこうと気をつける。
「イシュルナー卿もお疲れ様、今日はこれで帰りましょうね」
せっかく親密な関係になったのに他人行儀な呼び方なので、よそよそしさを感じる。
「これからはグレンとお呼びください」
「グレン殿?」
「敬称はいらないです」
「そう? なら私もライラでいいわ。人の目があるときは役職で呼んでもらわないと困るけど」
そう気さくに話してくれるので、彼女との距離がぐっと近づいた気がした。
「それではお疲れ様」
ライラが踵を返して去ろうとするので、名残惜しくてライラの手に思わず触れてしまう。
彼女は驚いたように振り返り、自分とグレンの手を見つめて頬を赤らめる。
「どうしたの?」
「まだ一緒にいては駄目ですか?」
「あっ、当たり前よ。時間厳守は大事なんだから」
ちょっと厳しめの目つきで気を引き締めてくる。
上司として立場を崩さないライラをグレンは誇りに思い、そんな彼女の隣に立つために相応しい人物になろうと改めて思い直していた。
「はい、分かりました。公私の区別はしっかりつけたいと思います」
「そうそう、メリハリは大事よ」
授与式まで残り日数をダンスの練習に当てようとしたが、なんと騎士団長の王女が「ライラのパートナーは私にしなくては」と言い出したので、練習まで結局王女が参加することになり、グレンの役目は終わりになった。
それでもライラの指導として練習に立ち会えて、少しでも役に立てて良かったと思う。
あの嬉しい二人の時間がなくなり残念だったが、グレンは当日ライラの補助を任されることになっている。
ライラが当日無事に陛下との謁見を果たせるように尽力しようと、グレンは期待に胸を膨らませながら、いよいよ彼女の晴れの日を迎えた。




