第十話 体格差は重要
授与式の流れは早々にグレンはライラに伝え終えた。
既に騎士の任命式などライラがいくつか経験していたので、それほど変わりはなかったからだ。
問題はダンスだ。
グレンは自分の発言をこれほど後悔したことはなかった。
ライラに男性パートを覚えてもらうと言ったが、自分たちの体格差をあのときは全く想定していなかったからだ。
男性は女性の背中に手を添える。ところが、大柄なグレンの背にライラが手を回そうとすると、どうしても腕の長さに余裕がなくて、身体がかなり密着せざるをえないのだ。
しかも、もう片方の手はライラの手をすっぽりと包み込むように握っている。
彼女の柔らかい女性らしい感触が、グレンの脳髄を突き刺して止めをさそうとしてくる。息遣いが荒くなり、もはや怪しさでいっぱいになっている。
「ごめんね? 嫌じゃない?」
鍛錬場で困ったように見上げるライラの紫の瞳が、なぜかうるうると潤んでいるように見える。こんな可憐な様子の女性のそばにドキドキと激しい鼓動と息を吐いている大男がいると、まるで存在自体が変態そのものだと思わずにいられない。
良心が訴えるのでライラから離れたくなるが、今は練習中だったので逃げられない。
「全然大丈夫ですよ」
言いながらグレンは自分の正気がどこくらい保つのか心配でたまらなかった。
とにかくダンスの練習を終えて早く解放されようと強く心がける。
なぜか今は二人きり——ではない。
隊長の計らいで勤務時間を使っての練習なので、国立学院を卒業していない若い騎士が後学のためにと見学している。
その目つきには緊張が含まれていて、まるで監視されているようだ。
居心地の悪さを感じるが、ライラと二人きりにならずに済んだ安心感もある。
もしも、この状況で二人きりだったら、理性がすぐに擦り切れて危険な状態になりそうだった。
今は仕事だと自分に言い聞かせて、ダンスに集中する。与えられた時間は少ない。詰め込むように説明を始める。
動きの型を覚えたら、なんとか初日でダンスは形になった。あとは細かい足の運びや体勢を微調整していけば徐々に洗練されていくはずだ。
「イシュルナー卿、今日は本当にありがとう」
練習が終わり、微笑みながら礼を口にするライラがグレンから当たり前だが身体を離す。彼女の温もりがなくなり、胸にぽっかり穴が空いたような喪失感に急に襲われる。
最後に離れようとした彼女の手を逃さないと思わず握りしめてしまう。
「ど、どうしたの?」
戸惑う視線で我に返る。離そうとしたが、筋肉がかなり強張っていて、ぎこちなく指を動かす。
「申し訳ございません、緊張していたみたいで、固まってしまいました」
慌てて誤魔化すと、ライラはふわりと柔らかい笑みを浮かべる。
「こちらこそ本当にごめんなさいね。イシュルナー卿に慣れない女性パートを踊らせてしまって」
「いえ、お気になさらないでください。騎士科でダンスも習うんですが、女性が少ないので、男子でも踊らされるんですよ」
「そうなの? それは想像するだけで、ごめんなさい、うふふ、ちょっと大変そうね」
ライラが笑いを堪えてプルプルと小刻みに震えている。
そんな些細な仕草がグレンの心を激しく揺さぶる。後ろから矢で何度も射抜かれているみたいだ(※本人は気づいていないが、刺さっているのは全てハートの矢)。
「そうそう、ちょっとイシュルナー卿に個人的に聞きたいことがあって」
「個人的に、ですか?」
「そうなの」
胸の鼓動が一際激しくなった気がする。
ライラがプライベートに興味を持ってくれた。そう気づいただけで、浮き足立つ気分になる。心が弾むように楽しくなり、ソワソワと落ち着かない。
「は、はい。答えられることなら」
※
ライラはダンスとは無縁の生活を送っていたので、正直甘く考えていた。
普段男性と混じって訓練しているので、同じ感覚でいたのだ。
ところが、グレンの背中に手を回したまま姿勢を保持すると、ライラの胸が彼の分厚い腹筋にかなり密着しなくてはならなかった。抱きついた格好になり、痴女のようで大変申し訳なくなる。
彼も仕事とはいえ、上司に抱きつかれて困惑しているのか、身体が小刻みに震えているのが伝わってくる。
でも不謹慎だが、騎士の逞しい筋肉をこれでもかと堪能できて正直嬉しい誤算である。
ライラも引き締まった身体はしているが、やはり男性には敵わない。立派な盾のような身体に触って感触を確かめてみたいと興味を持っても、本能のままに触れたら、相手にとってはただの嫌がらせである。ライラが副隊長という立場を利用したと訴えられたら一発処分ものだ。
今はグレンの胸筋、腹筋、背筋に今なら触りたい放題。
元カレはヒョロヒョロのもやしみたいな体型だったので、彼では満たされなかった欲求だ。
こんな心が邪な上司で申し訳ない。
差し出された生贄のような扱いになったグレンに素直に謝ると、急に彼の身体が熱を帯び、呼吸が明らかに荒くなる。
――徴候だわ!
まだ軽度だから近くにいなければ分からない程度だが、これが悪いほうに変化したら彼だけでなく周囲に被害が及ぶかもしれない。
とても危険な状態だった。
背後で控えている部下たちも気づいたのか顔色が変わっている。
彼らはグレンの監視のために控えてもらっていた。彼にもしも異変があった場合、ライラ一人では手が足りないからだ。
必死に体調の変化に堪えているのか、グレンの表情には余裕がない。
しかし、そんな状況でも依頼された仕事を真面目にこなそうとする。
ダンスの説明に集中したほうが気が紛れるのか、熱は少し落ち着いたようだ。
ライラも何事もなかったかのように振る舞う。
ダンスの練習が終わり、彼から離れようとしたときのグレンの様子もおかしかった。
あの手の動きは不自然だった。
困ったように見えたグレンの表情。心なしか寂しそうに見えたのは気のせいだったのだろうか。
グレンは自身の体調の異変に気づいているはずだ。これだけ違和感があるのだから。
でも、何も相談してこない。いや、できないのかもしれない。
異動してきたばかりで、まだお互いに距離がある。常識の違いで多く指摘してきた上司に体調不良という自分の弱みを打ち明けられるわけがない。
使えないと評価を下されたら、なかなか挽回は難しい。
勝手に避けられていると思い込んだ自分が情けなかった。
ライラがすべきことは部下の信頼を得ることだ。そのためにはまず互いを知ることが大事だろう。
そう、ライラは知っていた。
世間話の大切さを。
「イシュルナー卿は休日どんなところに食べに行くの?」
「食事、ですか?」
「そうそう、みんなに聞いて教えてもらっているの。最近、彼氏と別れて自由時間が増えたから、色んな店を開拓しようと思って」
特に差し障りがない話題だと思ってライラは口にしていた。
ところが、目の前にいたグレンから、急に異質な気配が漂ってくる。ゾッとするような威圧感。
周囲にいた部下たちが、咄嗟に身構える。
「……彼氏が、い、いたんですか?」
グレンの声は酷く掠れていた。




