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ここのえのたんぺんしゅう  作者: 九重 楓


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9/10

2026/06/09「ウィータエ・ウィア・アストラ・エスト」

 私が彼女と初めて言葉を交わしたのは、晩秋の頃、仕事帰りに立ち寄った美術館でのことだった。彼女はそこの学芸員だった。

 閉館時間まで近かったこともあって、館内にはお客さんは私しかいなかった。

 

 美術に造詣の浅い私はふらふらと回っているだけだった。そんな私に声を掛けてくれたのが彼女だった。


「美しい白銀の嬢さん、おひとり? もしよかったら一緒に回ってもいいかしら? 見ての通り閑古鳥が鳴き止まなくて暇なの」


 学芸員とは思えない口調に驚きはしたものの、彼女に興味があった私はその提案を受けた。


「ええ、構わないわ」

「ありがとう。ステラよ」


 ステラと名乗った彼女は手を差し出した。差し出された手をどうしていいのかわからず、思わず握ってしまった。

 どうやら正しかったようで、彼女はにこやかに笑んで握り返してきた。


「ルカよ」

「よろしくね、ルカ。じゃあ、あちらから回りましょうか」

 

 そう言った彼女は私の手を握ったまま、白銀の髪を揺らして歩き始めた。



 彫刻の前に来るステラは饒舌に説明を始めた。説明自体はあまり覚えていないが、彫刻の話をしている時の彼女の横顔はどこまでも楽しそうだった。時折興奮したように指をさして、ココがどうとか、この曲線がどうとか、この時代のとか、いろいろと説明してくれていた。

 そんな彼女の横顔に見惚れていると、ステラが私の顔を覗き込んできた。


「ルカ、あなたも緋色の瞳なのね」

「え、ええ」


 突然目の前にあったステラの顔に驚いて、うまく言葉が出てこなかった。


「中々珍しいわよね、緋色の瞳って。わたくしもそうなのだけれど、もしかして遠縁の親戚だったりするのかしら?」


 冗談を口にしながら彼女は、次のエリアへと私の手を引く。


 ステラと共に美術品を見て回る。

 どうやら彼女は彫刻が特に好きらしく、彫刻以外の美術品はそこまで詳しくないとの事だ――素人の私からすればそれでもだいぶ詳しいと思うが。それでも一生懸命に説明してくれるので、確かに勉強になった。



 ゴーン、ゴーン、ゴーン。



 鐘が鳴り響く。


「あら、閉館時間の様ね。今日はどうだったかしら?」

 

 鐘は閉館時間を知らせる為の物らしい。美術館ではこういった鐘は普通の事なのだろうか。


「楽しかったわ。私だけじゃこうはいかなかったと思う」


 素直な感想を彼女に伝えた。私一人だけでは多分途中で帰ってしまっていただろう。


「そう? 楽しんでもらえたのならわたくしも嬉しいわ」


 そう言って彼女はにこやかに笑った。



 入り口まで戻って来た時だ。


「ルカ、あなたこの後は暇だったりしない?」


 退館しようとする私の背中にステラが声を掛けた。


「え? 明日は休みだから、用事も特にないけれど」

「そうなの? わたくしも明日は休みだし、よかったら一緒にディナーでもどう?」


 初対面の相手をディナーに誘えるなんて、ステラは中々に距離の詰め方が早いようだ。他の相手だったら断っていただろうけど、貴女からの誘いなら断る理由もない。


「ええ、構わないわ。行きましょう」

「やった。じゃあ、入口の門で待っててもらえる? 閉館作業をさっと終わらせちゃうから」


 言うが早いか、ステラは足早に従業員専用の通路へと消えていった。


 ステラとディナ……。


「ふふふ」


  

 

 言われた通り美術館の入口にあたる門を目の前にして、街灯に背を預けた。

 時折吹く北風が冬の到来を告げている。コートを羽織ってきてよかった。


 街中にあるこの美術館は一見すると教会(チャペル)の様だ。全体的に白い外観に周りには庭園があって、その中にも彫刻など美術品が展示されている。先程の鐘の音も建物の上部に取り付けられたものが鳴らされたのだろう。




「お待たせ。少し時間が掛かっちゃったわ。ごめんなさい」

 

 ステラがやって来た頃には辺りには夜の帳が下り切っていた。


「それほど待っていないわ。それで、どこへ行くの?」

 

 私はあまりお店に詳しくないから、彼女に連れていってもらった方がきっといい。自炊もしなければ外食も滅多にしないから。


「近くにワインとピザの美味しいお店があるの」


 ピザ……。


「そう。じゃあ案内をお願いしてもいいかしら」

「ええ、もちろんよ。こっちよ」


 そう言って彼女はまたも手を差し出した。今度は明確な意思を持って私はその手を取った。彼女の手は少しひんやりとしていた。


 ピザ……楽しみだ。



 ステラに連れられてやって来たのは、美術館から十分ほど歩いた所の洒落た居酒屋だった。店内は女性客がほとんどだった。どうやら女性人気のお店らしい。



「今日は急に誘ったのにありがとね」


 ワインとピザを楽しんでいると、ステラが徐に言った。


「私も、美味しいお店教えてもらったから」

「ふふ、あなた良い人ね」


 肘をついて、彼女は小さく笑む。その頬が染まっているのは酔いが回っているからだろうか。


「ホントはね、あなたのこと前から知ってたの」

「え?」


 彼女の言葉に口に運ぼうとしていたピザを止めた。

 私を知っていた? どういうこと?


「少し前にね、街であなたを見かけたの。白銀の髪で緋色の瞳の美しい人だ、て思ったわ」

「そう、なの?」

 

 髪は手入れしているから少しは自信があったけれど、面と向かって美しいと言われるとすこし気恥ずかしい。


「そうよ。あの日からあなたのことが頭から離れなかったもの。だからね、今日あなたが来てくれて本当に嬉しかったわ。わ、あの人だ、ってね」


 ステラは本当に嬉しそうににこやかに笑う。頬が染まっているのは、チークや酔いだけが理由じゃない気がする。


「だから思わず声を掛けちゃったわ。ま、それが正解だったわけだけど。それで、あなたと美術館を回って、話をして確信したわ」


 そこでステラは言葉を切った。私はその後に続く言葉が何かを予想する。彼女が何を確信したのか。


「わたくしの一目惚れは間違いなんかじゃなかったってね」


 ん? 今彼女は何と言った? 聞き間違い?

 ひ、一目惚れ?


「だからね、今日こうしてあなたをディナーに誘ったのは、告白をする為なの」


 それを言葉にする前に言う人がいるとは思わなかったし、聞き間違いではなかった。


 ステラが私に惚れている。

 私と同じ白髪と緋色の瞳を持つ、美しい女性。そんな彼女が私のような人間に惚れている。

 本当に、良いのだろうか?


「ルカ、わたくしはあなたが好きよ。あなたの恋人にしてほしいの」


 本当にいいのだろうか。

 私のような人間が、彼女のような人と恋仲になっても。

 私だってステラに興味があった。私と同じ色を持つ綺麗な人だって。それでいて、私のような人間にも気さくに話しかけてくれて、あまつさえ惚れていると言ってくれた。

 私だって、あなたのことが好きよ。


 でも、それでも……。



「返事は今すぐじゃなくてもいいわ。だって、わたしくたちは今日初めて言葉を交わしたんだもの」

「い、いや、そうじゃないわ」

「え?」

「私……私は、貴女とは恋人にはなれないわ。だって、貴女にはもっと相応しい人がいるはずなんだから。私みたいな人間じゃ釣り合わないわ」

 

 そう、私のような人間が貴女の恋人になるのは間違っている。だって私は、


「何を言っているの? そんなことが理由でわたくしと恋人になってくれないって言うの? そんな理由で納得できるわけないじゃない。だって、わたくしが貴女が良いって言ってるのよ? それを、何がもっと相応しい人がいるはずよ。わたくしに相応しい人はわたくしが決めるの。そして、わたくしは貴女が良いって言ってるのよ、ルカ」


 緋色の視線が真っ直ぐに私を射抜く。その言葉には一切の嘘がないかのようだ。実際に彼女の言葉に嘘はないのだろう。真剣そのものの表情が物語っている。


 本当にいいの? 彼女の言葉をそのまま鵜呑みにして。彼女の隣に私がいても。


「本当に、良いの?」

「ええ。わたくしがそれを望んでいるんだから。あなたさえよければ、一生隣に居てもらうわ」


 目尻が熱くなる。ああ、こんな気持ちになったのは初めてだ。


「う、うん」

「よろしくね、ルカ」


 ステラは私の手を握って満面の笑みを浮かべた。


「もう、何泣いているのよ。可愛い顔が台無しだわ」


 彼女が指の腹で私の涙を拭う。こんなにも嬉しいことがあって良いのだろうか。


「さ、飲みましょう? 夜はこれからなんだから」




 ―――――――――――――



「今から帰るわ。ええ、大丈夫よ。愛してるわ」


 電話を切る。

 今日の仕事はこれで終わり。

 久々の大仕事だった。でも、予定時間通りに終わってよかった。今日は遅くなるわけにはいかないから。


 家に帰ればステラが夕飯を作って待っている。

 あの日以来、私の毎日は彼女に照らされている。


「私は帰るから、後は頼んだわ」


 作業を続ける同僚の背中に声を掛ける。


「ああ、今日で一年だったっけ? 記念日は大事にしないとね」


 同僚は立ち上がって、私の頬をハンカチで拭った。

 頬に付いていたとは気が付かなかった。家に着く前に全身を確認しよう。あと、臭いも。


「大事な日なんだから、綺麗にしないとね」

「ありがとう。それじゃあ、任せたわ。あと、あなたも全身酷い有様よ」


 仕事場を後にした私は、愛する人の待つ家へと急いだ。



 ――――――――――――



「あのルカに恋人ができるとはね……」


 仕事の残りを押し付けられた同僚である赤毛の女性――セレンが独り言ちる。


「それにしても、あの子は自分の仕事のことを伝えてあるんだろうか……ま、伝えられるわけないか。私でさえ家族には言ってないんだからさー」

 キャハハ


 セレンは仕事の残りを片付けながら笑う。


 彼女たちの仕事は何でも屋。

 そう、何でも屋、だ。


「そう言えば、私も酷い有様って……………うわぁ、真っ赤だ」


 スマホで自分の顔を確認したセレンが零した。

 

 彼女の言う通り、彼女の顔は真っ赤だった。

 

 真っ赤な返り血で穢れていた。



「さっさとデータ貰って帰らなきゃ」

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