2026/05/12「忘却さえも輝き照らす」
私には恋人がいる、らしい。
ベッドの上。
自宅のではなく、病室のベッドの上で目を覚ました私を出迎えたのは、栗色のウルフカットの可愛い女性と看護師さんだった。
私はこの女性と出かけており、その道中で階段から転げ落ちたらしい。
「つまり、記憶喪失。と」
状況的にそう言うことらしい。
「ワタシの事、覚えてない、んだよね……?」
女性は今にも泣きだしそうな声色で尋ねる。
「はい、申し訳ございません、可愛いお嬢さん」
私の言葉に、終ぞ涙は零れてしまった。私はそれを指で拭う。涙を拭ったはずなのに、彼女は声を上げて泣き出してしまった。
そこから診察やら検診やらをこなして、翌日には退院できるとのこと。
そして翌日、退院の日。
迎えには、昨日泣き出した女性がやってきた。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
病院を出た私は、隣を歩く彼女に声を掛けた。
「なにー?」
私の手を取って歩く彼女は歩みを止める。
「貴女が私の恋人って言うのは、本当ですか? 正直、貴女のような可愛らしい女性が私の恋人と言うのが中々に信じられなくて」
「うん。舞ちゃん、ワタシは貴女の恋人だよ。それと、アスハって呼んで? 」
そう言った彼女の貌には悲愴の笑顔が張り付いてた。
「そうなんですね。わかりました、アスハさん」
「うん。行こっか」
アスハさんに手を引かれて、私たちが住んでいたマンションの一室へと帰ってきた。
「さ、入って。案内するからさ」
そこからアスハさんによりお部屋案内が始まった。
「ココが寝室ね。ベッド一つしかないけど……大丈夫?」
「はい、それはもちろん」
寝室には中央に大きなダブルベッドが置かれていた。お香でも焚いていたのだろうか、甘い匂いが漂っている。
リビング、お風呂、各自の部屋、と案内は続いた。
全ての部屋の案内が終わっても、私は何一つ思い出すことはなかった。
―――――――――――――――――――――
アスハさんと生活を始めて一月が経った。
未だに私は何一つ思い出すことはなく、仕事にも支障が出て来てしまって、そのまま辞めてしまった。元は共働きだったが、アスハさんが働いてくれている。
私は日がな一日家に居て、家事をこなすだけの日々が続いた。
今日もまた、アスハさんを見送ってから家事を始めた。
掃除をしているとチャイムが鳴った。どうやら宅配のようだ。
小さな段ボール箱を受け取る。私宛の様だ。宛名は…………アスハ、さん?
「何でしょうか?」
段ボールを開ける。
「こ、れは……………アスハさん!」
私は思わず声を上げてしまった。
今この場に居ない、愛しい人の名前を呼ぶ。
思い出した。
思い出しました。
思い出しましたよ。
アスハさん!
私が記憶を無くしたあの日、私たちは今日の為に買い物に行ったのです。本当ならばアスハさんは今日はお休みのはずでした。
きっと、私に気を使って仕事に行ったんです。
でも、今日は。
今日は―――
私は部屋を飛び出しました。
―――――――――――――――――――――――
「ただいまぁー」
……………。
沈黙が帰ってきた。
あれ、舞ちゃん?
いつもなら、記憶がなくなってワタシのことを憶えていなくても、それでも出迎えてくれていた舞ちゃんの出迎えが無い。
「舞ちゃん?」
依然返事はない。
いない? 出て行った? 舞ちゃんが?
「舞ちゃん!」
イヤな妄想が頭を支配して、ワタシはリビングのドアを開け放った。ほぼ蹴破ったと言ってもいいだろう。
「舞ちゃ、ん? …………はぁあ、よかったぁ」
安堵でへ垂れ込んでしまった。
舞ちゃんは机で眠っていた。
「もう、変に心配しちゃったよ――――あれ、これ」
机の上に置かれていた段ボール。それはあの日、ワタシが舞ちゃん宛に送ったものだった。
刻印を入れたペアリングと、手紙だ。
舞ちゃんは直接言ってくれればいいと言っていたけど、直接言うには気恥ずかしさが合って、結局手紙を書いて一緒に入れたのだった。
手紙は封が開いてる。読んでくれたんだろうな。
「ありがと、舞ちゃん」
「んん………あ、アスハさん………は、アスハさん!?」
前髪に触れると舞ちゃんが驚いたように跳び起きた。今まででも見たことない驚き方だ。
「ただいま、舞ちゃん」
「おかえりなさい、アスハさん」
――――――――――――――――――
眠ってしまっていた私が目を覚ますと、アスハさんが帰って来ていた。
「ただいま、舞ちゃん」
「おかえりなさい、アスハさん」
彼女が荷物などを部屋において、リビングに戻って来てから私は口を開いた。
「アスハさん。思い出しました、貴女のことも、貴女とのことも――――って、え? ど、どうしました?」
アスハさんはツーっと静かに涙を流した。
「本当に?」
「え、あ、はい。思い出しましたよ。愛しい貴女のことも、貴女との尊き今までのことも」
そこで彼女は私を正面から抱きしめた。私の胸に顔を埋めて泣いている。私はそんな彼女の頭を撫でる。
「今日が記念日だってことも、思い出しました。すみません、記憶が無かったとはいえ」
そこで私は私の胸を枕代わりに泣き続けているアスハさんをソファに座らせる。
「こんなことで許されるとは思っておりませんが」
アスハさんの前に傅く。
「アスハさん、私のフィアンセになってくれませんか」
言って、ペアリングを差し出した。
彼女は目を見開いた。
「はい! 喜んで!」
太陽の様とはまさにこのこと。
夕暮れに輝く笑顔の彼女は、私の世界を輝き照らす太陽に他ならない。
私の明日を照らし続ける、太陽だ。
「まぁ、買ったのワタシだけどね」
「仰る通りで……あ、でも夕食は豪華にしてありますよ?」
「フフ、ありがと」




