2026/05/11「 彼の獄より満開の花束」
満開だった。
母さんが好きだった花だ。
私が見たことのなかった花が今、目の前で咲き誇っている。
生前、母さんはとある国で見た花のことを話してくれた。
それは桃色で、小さくて、それでいて荘厳な花だと。母さんは懐かしむように、それでいて憧れるように話してくれた。
あの人に似てる、とても綺麗な花だと。
私はその花を母さんの部屋に飾ってある写真の中でしか見たことがなかった。だからいつか、家族三人で見に行きたいと、そう、思っていた。
しかし、私が母さんと一緒にその花を見ることはなかった。
私が中学に上がる前に、母さんは突然この世を去った。
医者曰く、急性心筋梗塞と言うらしい。
前日まで、何なら朝には私と父を笑顔で送り出してくれたのに。それにもかかわらず、母さんは買い物に出かけた先のスーパーで倒れた。
その時に近くにいた別の客が救急車を呼んでくれたが、病院に着いた頃には既に息を引き取っていた。
母さんの死をきっかけに私の人生は一変した。
父は半年も経たないうちに再婚した。元々母さんと父の関係は良くなく、驚くことはなかった。
新しい母は元妻の子である私のことを避けた。
実家なのに、私の居場所は無くなった。
家での居場所を無くした私は、中学の卒業と共に家を出た。
高校へは通わせてもらえた。父も新しい母との時間を大事にしたいのだろうし、元妻の子に時間を割きたくないだろう。新しい母も私のことが嫌いのようだし好都合だったのだろう。
しかし学費以外の全ては自分一人で賄わなければならかったので、学校以外の時間はバイトに明け暮れた。幸いにもバイト先の人たちは優しい人ばかりで、一人暮らしの私に良くしてくれた。
そんな日々が続いたある日、その日は珍しくバイトも休みの日曜日だった。私の部屋に来客があったのだ。
一人暮らしを始めてから、宅配セールス以外の初めての来客だった。
「フローレオさん、であってるかしら?」
とても綺麗な人だった。
艶やかな――艶かしささえある黒髪は腰あたりまで伸びており、端正な顔立ち。背が高く一八〇近いと思う。そのモデルでもやって良そうなスタイルもさることながら、その宝石のような桃色の瞳に釘付けになった。
「ん? 違うの?」
桃色の瞳の女性は怪訝そうに眉間に皴を寄せた。
「あ、えっと、あってます、あってますよ。アイリス・フローレオです」
私はすぐに名乗った。すると女性は「そう。そっくりな赤毛だものね」、そう言って、部屋の中に入ってきた。
「あ、え、え? ど、どちら様ですか?」
「もしかして聞いてないの?」
申し訳程度の廊下の真ん中で女性は振り返り、聞き返した。聞いてないって、何を?
「はぁあ。まぁ、ワタシも時間が掛かったわけだからワタシの責任でもあるわね。ワタシは朔弥、草紙朔弥よ。貴女の母親との約束を果たしに来たわ」
極東の人、か……え? 母さん?
「約束? 母さん、との?」
「そうよ」
草紙さんは、私のパスポート(作った覚えもない)を真っ白なコートのポケットから取り出したかと思うと、私に差し出した。
なんでそんなものを持っているのか、とか。母さんとどういった関係なのか、とか。母さんとの約束ってなんなのか、とか。いろいろ聞きたいことはあったけど、どれ一つとして言葉にならなかった。
「行くわよ」
自信に満ちた、鈴のような凛とした一声で、私の不安は全てかき消されたからだ。
私はすぐに学校とバイト先に連絡を入れ、一週間の休みを入れた。学校は受験前最後のお休みと言うことで許可が下りたし、バイト先もいつも頑張ってくれてるからと言うことで問題なかった。どちらも優しい人たちばかりで、とても助かる。
そうして、私は出会ったばかりの草紙さんに連れられて、極東の国へと旅立ったのだ。
極東の国へ着くと、草紙さんが様々なところを案内してくれた。その中で母さんと話を聞かせてもらった。
彼女はこの国の出身らしく、母さんとは母さんがこの国へ留学した時に知り合ったそうだ。それにしてはだいぶ若く見えるが、気のせいだろうか。どれだけ多く見積もっても三〇代の前半。それでも無理があると思う。二〇代前半にしか見えない。
そうして草紙さんと母さんとの話を聞いていて、思い当たったのだ。
母さんが、懐かしむようにそれでいて憧れるように話してくれていた、あの人とはこの人のことだと。
そして、草紙さんも母さんのことを話す時は、無邪気な子供の様な笑顔で話してくれた。二人がどれだけよい関係性だったかが手に取るように分かった。それだけで私は嬉しかったのだ。
母さんと父との結婚生活は、娘の私から見ても決していい物には見えなかった。喧嘩こそなかったが、楽しい会話も無かった。日常の挨拶すらなく、必要最低限の情報共有だけの会話。
そんな鬱屈とした結婚生活を送っていた母さんが、あの花や草紙さんの話をするときだけはキラキラと輝いて見えたのだ。きっと素晴らしい時間だったんだと、幼い私が感じられられるほどに。
「着いたわ」
「――――――――」
言葉が出なかった。
連れて来られた場所は、小高い丘の上だった。
そこにある一本の木に私は目を奪われた。
大きく枝を伸ばしたその木は満開の桜の木だ。
輝かんばかりの桃色の花は咲き誇り、風に靡いて花吹雪を起こしている。
私は目の前の光景を目に焼き付ける。
これが母さんが見た、母さんが好きだった花。
「綺麗でしょう。あの子も桜が好きだったの。よくせがまれて大変だったわ。時期だってあるのにね」
目の前の桜の木を眺めながら、草紙さんが話し出す。その声色はどこか温かく、優しいものだ。母親が幼い我が子に話しかけるような、そんな声。
「今だって、冬で桜にはまだ早いって言うのにね。向こう側までやって来て、貴女に早く見せろって言うのよ?」
「え? 桜には時期が早いんですか?」
思わず聞き返してしまった。
「ん? そうよ。桜は春の花だから。こんなにも寒い冬には普通なら咲かないわ」
ならどうして目の前の桜は満開で、見惚れるほどに咲き誇っているのだろうか。
「どうして、って思ったでしょう? 簡単な話よ、ワタシが咲かせたの」
「……………え? 咲かせた?」
オウム返しを。
「ええ。あの子、貴女の母親であるカメリア・フローレオが、わざわざ地獄にまでワタシに会いに来て、咲かせて貴女に見せろってね」
草紙さんはさもなんでもない風にそんな話をする。
荒唐無稽な御伽噺のようなその話を信じろと言うのだろうか。
「隠していても仕方がないし、では、名乗りましょうか」
草紙さんは咲き誇る桜を前に、振り返る。
桜の木で影になっているはず彼女の顔で、艶かしい血のような桜色の瞳だけが怪しく光る。
……………桜?
「ワタシは草紙朔弥、否。ワタシの本当の名は――――」
続く言葉は、極東の国と言うよりは私の母国の言葉に近かった。
だからだろうか。その名の意味を理解できてしまったのは。
どうやら血は争えないらしい。
母さんも憧れた、美しきその名に恥じぬ、美しき女性に心奪われた。
「――――カニス・ニウェウス」
後になって知った話だが、極東の国にはその遺灰で花を咲かせた白い犬の御伽噺があるらしい。
勧善懲悪の御伽噺らしいが、どうして彼女は地獄へ落とされたのだろうか。
「やりすぎだね」
麗しき国津神は見上げる白犬に言葉を投げた。
「……反省していますわ。…………クーン」
白犬は首を深く深く垂れ、その隣で赤毛の少女がケラケラと笑っていた。




