第3話 踊らない夜
辺境伯のいう「すぐに」の日がきた。
王都は両家の中間地点よりはフリンツフッド子爵家に近い。時間の猶予が全くなかったフリンツフッド家にとっては少しばかり有難いことだった。
両家の親戚筋と、婚姻の仲介となった宰相を含めたごくわずかの関係者のみ参列でまず婚姻契約式が行われる。
緊張で強張ったエレノアの顔色は純白のドレスに溶けるように白かった。父、兄、それから夫であるダウズウェル辺境伯その人。参列者の中で知っている顔を繰り返しすがるように見ながら、婚姻契約書になんとかサインを終える。
それから慌ただしく淡い青のドレスに着替え、辺境伯にしてはささやかな披露のパーティに出る事になる。
実に三年ぶり二回目、いや、三回目だっただろうか。
飾り付けられた広間に出て行く手前で、エレノアは思わず足を止めてしまった。
手を、と隣に立つ辺境伯が腕を差し出してきたので、その先にある顔を見上げる。額を見せるように髪をあげているから見下ろしてくる鋼色の目がよく見えた。
一瞬だけで視線をそらし、ご迷惑をお掛けします、と言うと、織り込み済みです、と声が返ってくる。
都合が悪くなったら身を寄せるか、少し後ろに下がるように、と言われ頷く。引きずられていると気づかれないように、夫の後をついて歩き出した。
大勢の視線が集まってきて息が苦しい。
最初に、宰相を始め年配の、要するに身分や格が高めの男性たちが寄ってきた。
彼らは時折エレノアに目をやるが、殆どは視線を塞ぐように立ち位置をずらしてくれた辺境伯と会話している。何を言っているかは聞こえているようで余り意味が入ってこない。
人が入れ替わるときにだけ、笑顔を作ったつもりで一言だけ挨拶をする。
次に辺境伯と似た年齢の層がやってくる。
彼らは随分若い妻が選ばれた事に関心があるようだった。辺境伯に声をかけ、いくらかはエレノアに話題を振ってくる。
「辺境伯とは以前から面識が?」
「……先週からです」
「私がフリンツフッドを訪ねたときに偶然お目にかかって。どうしても、とお父上にお願いしたので」
口を挟んだ辺境伯が一呼吸、置いた。
「彼女に尋ねても、なんの惚気も出ませんよ」
空気がわずかに重くなって、声をかけてきた男性は曖昧な笑みで会話を切り上げた。
次に女性が声をかけてくる。
「ダウズウェルへお住まいを移されるのはご不安では?」
「不安ですが、仕方ありません」
「仕方ない……?」
「……嫁ぐというのは、そういうことだと思います。ですが、この方がいらっしゃるので……」
なんとか補足をした。この方がいらっしゃるからどうなのかはエレノア自身にもわからない。目を伏せると、あら、と好意的な声がしたので良しとする。
自分が答えていることが問題ないか段々と不安になってくる。
手を添えていた夫の腕に身を寄せると小さく、やれています、と声が落ちてきた。それを支えにして何とか体をまっすぐに起こす。
次第に年齢が下がってきて、エレノアと同じくらいの若者たちが遠慮がちにやってきた。
辺境伯への挨拶は恐る恐るという調子なのを見て、彼は少し身を引く。
よく似た化粧、よく似た色のドレスを着た三人組の令嬢がやってきてエレノアを囲んだ。仲の良さそうな彼女らは互いの顔を見ながら話しかけてくる。
「素敵な方と出会うのにはどうしたら良いのかしらって話していて」
「そうなんです、素敵な出会いのために色々努力はしているのですけど」
「私もお近づきになりたい人がいるのですけれど、気づいていただけなくて…」
話の行く先がわからずただ聞いていたが、エレノアから反応がない事に気づいた令嬢達が止まったので、ここで答えろということか、と判断して口を開く。
「皆で同じに揃えたら誰を選んでも同じです。敢えて選んでもらうのが難しくなるように思いました。現に今お一人ずつが印象に残りませんし」
音が止まったのはエレノアにもわかった。
「それぞれ、違う魅力をお持ちだ。妻のいう通り、定番を守るのも良いですが、違いを際立たせたほうがより魅力的、でしょうね」
辺境伯がこれまでより一段柔らかい声と微笑みを浮かべて令嬢達の目を覗き込んだので、失言については意識からはずれたらしい。彼女らは無邪気に祝福の言葉を残して去って行く。
夫の腕に手を添え直して、お上手ですね、と呟くと、あなたよりは、と返ってきた。
そんな時間がすぎ、最後に、フリンツフッド伯爵と令息にごく短い挨拶をした。次に会えるのがいつになるかはわからない。
***
陽が落ちて、エレノアはフリンツフッドから一人だけついてきた侍女と共に、王都にあるダウズウェル辺境伯の別邸に入る。
邸内に入ると辺境伯はまず上着を脱いだ。年配の侍女がすぐに上着を受け取り無言で下がる。
短く、息を吐く音がした。
「――楽にするといい」
上から二つ目のシャツのボタンを外しながら彼が振り返った。
声は迷いなく、強い。
庭園で会話したとき、そして式の間に短く会話したときのような丁寧に言葉を置く話し方ではない。これが彼本来の話し方らしい。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「想定より更に、ではあったな」
返答はため息を吐く音に紛れているが明確だった。
エレノアは息を詰めたが、すでに正式な手続きは済んでいると思い至って息を吐く。
「明日の朝には発ってダウズウェルへ戻る。お前の体調次第だが、3日ほどで到着だ」
「急ですね」
父と兄以外で初めてお前、と呼ばれてエレノアが目を丸くしながら返事をした。他人だった辺境伯が家族になったのだ、と理解する。
「言ったろう、すぐに嫁げる娘が欲しいと。暇ではない」
ついてこい、とエレノアと、エレノアの後ろに控えていたフリンツウッド家の侍女ミシェルに向けて手招きすると辺境伯は歩き出す。
彼にとっては普通の速さなのだろうが、体格が違うエレノアはついていくのに小走りと歩くのを繰り返さなければならなかった。
途中エレノアが後ろを振り返ると、ミシェルは距離を開けたまま静かに歩いている。目があった彼女が限界まで口角をあげたので、エレノアはその意味に気づいて小走りを止めた。
屋敷の二階に上がり、辺境伯は右手の廊下にある他より大きな扉を開けた。
エレノアが中に入ると、屋敷で自分が使っていたものよりはるかに大きな寝台があり、机やクローゼット、続きの間につながる扉がある。
「ここが寝室だ」
「随分と広いのですね? 机もあるし、一人で使うには十分すぎるような」
辺境伯が何も言わず、不自然な間があった。
彼は少し考えるように眉を寄せて、キョトンとしたエレノアを見ていたが、ミシェルが追い付いてきたのに気づいて小さく肩をすくめた。
「……この部屋はお前が使え。俺は別で休む」
「? はい」
素直に返事をする新妻の視界の隅で侍女が物いいたげな顔をした。
辺境伯は侍女に目を向ける。
「世話は任せるが、部屋のことはここの者に任せろ。仕事を奪いすぎるなよ」
それだけ言うと辺境伯は部屋を出て行き、侍女が無言で頭を垂れて見送った。




