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第27話 あなたの望み

 しばらくそうしていたが、背中と腰に回った腕が一向に緩む気配がないため、体が彼に押しつけられた状態のエレノアは少しずつ息苦しくなってきた。

 彼の礼装は意外に装飾が多いし、今日はエレノア自身もドレスで布地がいつもより少ないため、密着させられると少し痛い。

 苦しいです、となんとか声を絞り出すと一拍おいて彼の腕が少しだけ緩んだ。


 そろそろ離してほしい、と言おうと少し首を後ろに反らすと、至近距離に彼の目があるのに気づく。

 今までで一番近い。真っ直ぐにこちらを見た鋼の目が細くなる。彼の顔が更に近づいてきても不安はなかった。

 互いの鼻筋が軽く触れて思わず目蓋を落とすと、次の瞬間に唇が、触れる。

 目蓋を持ち上げると、ローデリックの顔が一拍置いて離れた。


 ローデリックは何もいわず、エレノアが倒れ込まないように支えながら立ち上がる。いつも通りじっと見下ろす視線に戻ってから、ローデリックはいくらか遠慮がちに口を開いた。


「……嫌ではないな?」


「嫌では、ありません。でも、何故今……」


「義務で子を作るなら必要もないのに好きでもない奴とする必要はないが今俺はしたいしお前も嫌ではないと判断した」


 少しローデリックらしからぬ早口だった。

 確かに、恋愛物語の中でも彼の中でも、それなりに区別のあることのように聞こえる。


 でも自分は好きでもない相手としたことがないから――


 整理しようとして、ふと自分の考えを巻き戻す。

 口づけしても嫌ではなかった。自分は好きでもない相手としたことはない、と考えた。ということは、今したのは、好きでもない相手ではないということである。つまり。


「もう一度いいか」

「えっだっ駄目です!」


 思考に割り込んできた要求を反射で拒否すると、ローデリックが露骨に口をへの字にした。

 駄目と言った理由をまとめようとしても言葉が纏まってくれない。制止の意図を伝えるだけで精一杯だ。

 好きでもない、ではないから好きだとかそんなのは飛躍させ過ぎではないか。こんな極端な結論を出したところで受け入れるには整理検討の時間が必要だ。

 体は解放されているはずなのに、エレノアは先ほどよりも息苦しくなった。


「耳まで赤い」


 笑う音がして、何かがエレノアの耳朶をかすめたので思わず肩を竦める。抱き寄せられそうになって何とか逃れようともがくエレノアの耳元で、暴れるな、とローデリックの低い声がした。


「だからっ、待ってくださいって」


 焦ったせいか目の奥がじわりと熱を持って視界が少し滲む。

 腕の中にエレノアを閉じ込めたまま、間近で顔を寄せてきたローデリックがじ、と見つめてくる。


「その顔をされると待てない――と言いたいが。俺はお前よりは大人だから我慢してやってもいい」


 ふ、とローデリックが笑った。


「俺の名を呼べ、それで勘弁してやる」


 彼が許可を求めていたはずなのに何故か立場が逆転している。だがそこを指摘したり突き返したりする余裕はエレノアにはなかった。


「ローデリック、さま?」


 なんとか音を絞り出すと、ローデリックの指がエレノアのきっちりと編み込んで固められた髪の表面をなぞってから、うん、という声を残して離れた。


「早く切り上げはしたが、夜会というだけでお前も疲れただろう。休めるように髪を解いてもらえ」

「はい、それでは」


 エレノアは二、三歩後退して、少し迷ってから床の紫の封筒を拾う。別に欲しくはないが、彼が用意したものを無視していくのも違うはずだ。


「これは誠意として受け取っておきます。でもいくら仮定の話でも、次にこれを使えとか使っても良いとか仰ったら。あなたのこと、嫌いになりますから」


 ローデリックが少し目を丸くしたのを見てから体の向きを変え、部屋を出ようと歩き出す。ミシェルに髪を解いてもらって、いや、これだけ固めてあるから髪自体を洗ってもらわなくてはさすがに寝るわけにはいかない。


「それは困る。が、嬉しいことを言ってくれる」


 後ろから軽い調子の声と気配がついてきた。多分笑われている。エレノアは真面目に警告しているというのにだ。


「そうやってすぐ茶化す。言葉には気をつけてください」

「お前がそれを言うか」


 今度ははっきりと、すぐ後ろで笑う声がした。

 エレノアを追い越したローデリックの腕がドアを開けてくれる。部屋の外に出ると、エレノアは立ち止まって廊下の左右を見て自分の部屋がどちらだったか首を捻った。


「お前だけだ。大事にする。これから先も俺といてくれ」


 後で部屋へ行く、という音を残して、エレノアが振り返った時にはドアは閉ざされていた。

 鍵をかけているのか押さえているのかはわからないが、ドアノブが全く動かない。エレノアはドアを平手で叩いた。


「そういうことは顔を見せて仰ってください」


 人の顔はじろじろ見るくせに、ずるい。

 少し待ってみたが返事はなかった。不公平だが粘っても仕方がないので部屋に戻ることにして歩き出す。


 この高いドレスから着替えて、髪も解いてもらって。それよりまずこの封筒についてミシェルにどう説明しようか、と考える。彼の誠意だ、と言ったらミシェルは金銭的なものだと考えて金額を確かめようとするだろうし、実際の用途を説明すると間違いなく怒る。





 エレノアが用意された部屋に戻ると、着替えと髪を洗う準備を済ませたミシェルと、数名の侍女が待っていた。

 上から下まで検査する視線を動かした頼りになる侍女は封筒に目をやって予想通りに口を開く。


「そちらは?」


 エレノアは一瞬、考える。やはり具体的な説明は無しだろう。答えるのに息を少し、長めに吸う必要があった。


「ローデリック様から、頂いたのです」

「左様ですか。では私達が触れるわけにはいきませんね」


 エレノアには侍女たちの微笑みを深くした目配せの意味を読み取ることは難しかったが、管理を任せて欲しいという意図が伝わったのでホッとした。

 封筒を机の上に置いてミシェルのところへ戻る。

 誰かにいつ頃着替えが終わるか伝言させた方が良いのだろうか。でも部屋に来るよう催促していると思われたら癪だ、先程言い逃げされたばかりだし。


「お着替えをいたしましょう」


 促されて頷くと、他の侍女達も一斉に動き始めた。

 ミシェルをはじめとして彼女らがエレノアの顔を見ては微笑んでいる意味も、自分の顔が妙に熱く感じる意味も、考えないことにして目を閉じた。

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