第28話 それからの二人(終)
王都での夜会からしばらく経った、ある晴れた日の朝。
ダウズウェルの自室で、エレノアは机の前に立って手紙を読んでいた。
今日は余所行き用の少し厚手で滑らかな深い赤で襟に細かく刺繍の入ったドレスである。少し良いものなのは、武官を集めての武術大会に出席するためだ。相変わらず自由な外出はさせてもらえないが、以前より華やかな格好、格式高い格好をすることが増えたのでミシェルは活き活きしている。
特別に仕方ないと判断された来客応対をするとき、人前に出るときには緊張をほぐすおまじないとして、手紙を読み返すのは習慣になりつつあった。
「エレノア。支度できたか」
顔の右側から聞こえたローデリックの声にエレノアは振り向きながら、手紙を逆側に寄せて隠そうとした。しかし、わざと右側へ覗き込むようにして逆側へ伸ばしたローデリックの左手が、手紙を素早く取り上げる。
あまりに鮮やかな、最初から取り上げるつもりの手腕にエレノアは絶句する。
「何を見て……」
言いながら取り上げたものに目をやったローデリックは、自分が書いたものだと気づくと小さく咳払いをして視線を泳がせ、机の上の箱に目を留めた。以前取り寄せたストールが入っていた箱だ、ということを、丸投げする割に金銭に細かい彼はきちんと覚えている。
「おいこの箱はまさか」
「勝手に見ないでください」
妨害しようと身を乗り出したエレノアを片手で押さえ込み、もう片方の手でローデリックは箱の蓋を取った。
貴族の書簡用ではない、すかしも飾りもない報告用の封筒がいくつか入っている。それから、明らかに質が良い、薄い紫の四角い封筒も。
心当たりしかないローデリックが遠慮なしに舌打ちをした。
「あれはいいが。他は何故取ってある?」
「別に良いでしょう、いただいたのですから私のものです。勝手にみないでって言っているのに」
どいて下さい、とエレノアはローデリックの腕を両手で押しやって箱から遠ざけようとするが、当然ながら夫はびくともしなかった。なんとか追い払おうとして足を踏む位置を変えてみるが、彼は笑うばかりである。
押しのけることを諦めたエレノアの手が奪われた手紙に向かうと、彼は一度わざと高く上げて弄んでから返してくれた。
「そんなのは猫のひげか蛇の抜け殻だろ、本体はここにいるのにな」
「そういうものを収集保管する愛好家がいるのをご存じないんですか?」
エレノアは取り返した手紙の皺をきちんと伸ばしてから箱に入れて蓋をする。ローデリックから遠ざけるように箱を机の奥に押しやった。
大真面目に箱の上に重しを乗せているエレノアを、ローデリックはじっと見下ろしている。
「そんなに価値があるなら新しいのを書いてやろうか」
「結構です、頂いた状況含めての価値ですので」
箱をしまい終えて振り返ったエレノアは真っ直ぐにローデリックを見上げる。
「意地悪を仰るくらいですから、あなたは私が書いたものは捨てたのですよね?」
「……いや、そういえば捨ててはいないな。戻ってきた時執務室に運ばせた中に入っているんじゃないか」
腕を組んだローデリックが思い出すように視線を脇に放った。少し考えていたが、視線をエレノアに戻す。
「お前の最初の手紙もある。別邸の連中が保管してくれていて良かった」
「私が手紙を書いたのは出征されている時です。別邸に手紙なんて」
言いかけたエレノアが固まった。別邸で書き物をしたことが一度だけ、ある。ダウズウェルに初めて来るよりも前だ。言いたいことをまとめるためにメモを取った。内容は、確か。
「返して下さい、何故持っているんです?」
「貰った」
声こそ出さないがどう見ても笑っているローデリックをエレノアは睨む。
「あげていません! そもそも手紙じゃないし、あのときだってあなたが勝手に取った? のだった、ような……」
「俺に伝えるための言葉が書かれているなら、俺宛だ。だからもう俺のもの。あれは状況含めての価値があるからな」
先ほどの自分の言葉で返されて、エレノアは音もなく口を開け閉めした。
以前アランが言っていたことは本当だった。辺境伯は嫌味な言い方をすることはあっても言葉数が少ない方だと思っていたが、事実ではなかった。こうして隙あらば揚げ足を取ったり、揶揄ったりしてくる。更に恐ろしいことにエレノアが強めに咎めても大して効果がない。
「もう、すぐそうやって意地悪する! ばか!」
そうすると最終的にエレノアができることは不満を込めて彼の腕や胸元を叩くこと位になる。ところが、彼は軽い笑いを漏らす程度にはそうされるのを楽しんでいるようなのだ。
悔しげにエレノアは一度黙り込んで、少し考えると顔を上げた。
「ローデリック様、耳を貸していただけます?」
いつもと違う反応を面白がったローデリックが少しかがんで、耳を寄せようとした。その瞬間エレノアが爪先立ちになって顔を近づけて唇と唇が触れ、かけたところで踵を落とす。
すとんと唇の位置がずれ、当然ながら触れることはない。
ローデリックが呆気にとられた顔をして呟く。
「おい」
「続きをしてほしければ、メモを返して下さい」
強い口調で言ってから、見返してくる視線に耐えきれずエレノアはふい、とそっぽを向いた。慣れないことをしたので顔が熱くなる。
「……メモはいいから口づけしてってことだな、ノラ?」
「えっ――」
意味ありげに愛称で囁いて近づいてきた夫の口を咄嗟にエレノアの手が塞いだ。ついでに抱き寄せようとして伸びてきた彼の腕はもう片方の手で叩く。
時々彼はこうして謎の理屈で言いがかりをつけてくるのできちんと指摘をしなければいけない、というのは最近エレノアが学んだことだった。
「違いますしそもそも今は駄目です、化粧が崩れます」
見合って数秒。
ローデリックの視線が逃げて行ったのをみて、エレノアは彼の口から手を離す。ローデリックはこれ見よがしに息を吐いた。
「しっかりしてきたな」
「あなたのご指導の賜物です」
なるほど、と呟いたローデリックが誤魔化すように、エレノアのこめかみに落ちている細い髪の束に指先で触れて揺らした。髪も乱れるのも困るが。
少しの間エレノアは彼の好きにさせていたが、今日の予定を思い出す。
「ローデリック様」
「……うん」
呼びかけて視線をやると、彼は見つめ返してからゆっくりと返事をしてエレノアの伸ばした手を掬うように取った。
エレノアが見上げる先で、ローデリックは姿勢を正す。目元が少し鋭い、辺境伯の顔になる。
「行くぞ」
「はい」
そうしていつものように見下ろしてくるその人に、辺境伯夫人は微笑むのだった。
(終)
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