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第21話 二人の休日・エレノア

 帰ってきたばかりの夫にしっかり寝ろと言われて承知の返事をしたエレノアだったが、その夜は不思議と寝付けなかった。

 彼の妻としてできることはなんだろう。

 考えてみたけれど、彼が喜びそうなことは未だによくわからない。さすがに少し疲れている様子ではあったので休んでほしいとは思う。具体的にしてあげられることは何だろう。

 夜明け前に少しだけ眠ったが、結局目が覚めたのはミシェルが起こしにくるより早い時間だった。


 時間に余裕がありすぎるのでいつもより丁寧に髪を整えてもらう。後れ毛が出ないように整えたまとめ髪には艶があり、更に余った時間を使っていつもより凝った化粧が施される。

 合わせ鏡で後ろがどんなに巧妙にまとめられているかエレノアが確認すると、このまま夜会へ出てもおかしくないくらい力が入っていた。特に出かける予定はないし、外出するならローデリックに同伴する以外にはないだろう。勿論、戦地から戻ってきたばかりのローデリックが外出するとも思えないのだが。

 鏡の中で、薄らと煌めきが乗った目蓋を交互に落として確かめる。少し影が落ちていた頬も、頬紅が乗ったせいかいくらかふっくらとして見える、気がする。

 ミシェルは、大変満足そうに何度もエレノアの周りをぐるぐると回って確かめていた。主が自分の屋敷から外に出ないので、着飾らせ甲斐のない日々を送っていたからだというのはなんとなく想像がつく。エレノアはそれを少しだけ申し訳なく思った。



 時間を持て余しているエレノアがいつもより早く朝食へ向かうと、食堂よりもずっと手前の廊下でローデリックを見つけた。


「おはようございます、ローデリック様」


 場所が違っても挨拶を変える理由は特にない。これまでと同じに声をかけた。

 声にローデリックが振り返って少し意外そうに瞬く。


「おはよう。随分早いな」


 手が届くほど近くに行くまでローデリックは足を止めて待ってくれていた。

 じろ、とエレノアの顔を眺めた後でローデリックが眉をひそめる。


「しっかり寝た顔には見えないが?」

「早くに目が覚めてしまったので」

「そうか。出かける予定がありそうだな」

「ないのはご存じでしょう。ミシェルが、化粧も時々しっかりやっておかないと腕が鈍ると言っていました」


 なるほど、と少し腰を屈めたローデリックが顔を近づけて来たので、エレノアは仕方なく視線だけ逸らせて観察を受け入れる。

 しばらく角度を変えながらミシェルの作品を鑑賞していたローデリックは姿勢を戻すと食堂へ向かって歩き出す。エレノアも距離を開けずに彼について早足になった。


「今日のご予定は?」

「質問がいつもと逆だな」


 エレノアの早足で行きすぎてローデリックより前に出ると、ローデリックは少し歩調を緩める。


「さすがに今日用事を入れたりはしないが、執務室で報告の詳細を確認はするつもりだ」

「いけません、今日くらいはゆっくり休んで下さらないと」


 そうは言っても、とローデリックが肩を竦める。

 休むつもりがなさそうなローデリックを休ませるのは妻の役割だろう、とエレノアは認識していた。今回は特にアランからの入れ知恵はないが、そこは力量の見せ所、とは言えないが、やってみるべきである。


「ローデリック様は休日は何をされるのですか」


 ひとまず探ろうとすると、ローデリックは少し皮肉るように鼻から息を吐いた。


「休日という概念は誰かに使われている者のためにある。それに、護衛を休ませようと思えば俺が大人しく机に向かうのが一番簡単だろうが」

「でも、今日くらいは、休んでいただきたいです」


 食堂に入る前にローデリックが足を止めた。


「今日はやけに食い下がる。俺にどうしろと言うんだ」


 何が喜ばれるかはわからない。だができることはあるはずである。


「……せめて午後は、私にお時間をください」


 考えてそう言うと、ローデリックも少し考えて、そうか、と頷く。一応は了承を意味しているらしかった。

 さて、休んでもらうにはどうすればいいだろう。



 ***




 昼食の後、エレノアはローデリックを連れて自分の部屋に戻ってきた。

 エレノアは部屋に入った後はいつものソファではなく寝台へと向かう。寝台の足下のほうに腰を下ろすと、部屋の入り口で足を止めていた彼を手招く。


「ローデリック様、こちらへどうぞ」


 声を掛けてもローデリックが動かないので、エレノアは寝台をポンポンと叩いて見せた。随分年上の彼にする仕草でないことはわかっているが、他に思いつかないので仕方ない。


「あの、こちらで横になってください。私が全て整えますから」


 繰り返して誘うと、ローデリックは何やら言いたげにしながらゆっくりと近づいてきた。彼はエレノアの表情を伺っていることがわかる視線のままで寝台に上がると、促されるままなんとも言えない表情で横になる。


 そのローデリックへ、エレノアは毛皮の寝具を掛けて寝台から降りる。予め寝台の脇に、机とセットでおいてある椅子を運んでおいたので、そこに腰を下ろした。

 ますます、ローデリックが妙な顔になる。


「……どういう意図か説明しろ」


 しばらく言葉を選んでいたらしいローデリックがようやく命令形で口にして、はい、と椅子に座ったままでエレノアが口を開いた。まるで口頭試験である。


「ローデリック様が休むのに外出では問題があるという前提でしたので、昼寝を提案します。ローデリック様のお部屋だと誰かが尋ねてくるかもしれませんし、よほどのことがない限り割り込みがないだろう私の部屋にお招きしました。で。適度に雑音があった方が気が緩むと聞いたことがありますので、私がつまらない話を延々して差し上げようと思っています」


 掛け布は絹の方がいいですか、とエレノアが尋ねると、ローデリックは横になったままで、昼寝か、と息を吐いた。


「俺が横になっているのにお前が椅子に座っていると見下ろされているようで違和感がある。監視だ、これは」

「そうですか」


 ふむ、とエレノアは思考を巡らせる。


 確かに横になったローデリックからみて、椅子に座っている自分の方が視線が上になってしまう。そしてこれは椅子に座るのではなく立っていても、遠くに座っていてもあまり変わらない。

 かといって、彼の様子が見えないところにいては意味がない。

 視線を高くせず、彼の様子が見えるようにするにはどうするか、と考えると答えが一つ見つかった。


「では、私もおそばで横になります」

「は?」


 ローデリックの疑問に答えるより前にエレノアは寝台へ膝をついて上がる。

 慣れた動きで横になると、彼は何も言わずに少し奥へずれてエレノアのための隙間を提供してくれた。二人が横になっても肩が触れ合わずに並べるゆとりがあるのは、さすがに辺境伯が用意した寝台である。

 毛皮の寝具はローデリックが使ったので、エレノアは絹の掛け布にくるまる。


「これでよし、です」

「良いのか……」


 ローデリックが納得していない様子だったので、エレノアは体を半分だけローデリックの方へ回した。


「これで良いんです。あとは私が延々どうでもいい話をしますから、ローデリック様は適当に聞き流して寝てください」

「……わかった」


 視線だけ寄越したローデリックが了解を示した。

 以前から思っていたが彼は付き合いが良い。状況が予定通りに進行したことにエレノアは安心した。視線をシーツに向けると、どれから話そうか、と記憶を辿ってから口を開く。


「先日買っていただいた本と、書庫にある本でダウズウェルの童話や伝承の類いを複数読んでいて思ったのですが、動物が象徴するものに地域性があるような気がします」


 息継ぎで言葉を句切ってローデリックの様子を窺うと、彼は上を見たままで小さく、うん、とだけ言った。興味がある風ではないが、おそらくは会話が途切れたのを無視できなかった、のだろう。

 これはいけない、とエレノアは一層面白くない方向へ舵を切ることにする。


「例えばダウズウェルには山が多くてそこに獣が出てくるという童話はたくさんありますが一番多いものは鳥だと思いました。フリンツフッドでは大抵狼や狐です。これは何故かということを考えていたのですがやはり山の険しさつまりは移動の困難さが影響しているのではないかと思ったのです。フリンツフッドでは山と言っても起伏のある森ですがダウズウェルでは起伏が激しくて岩山も多いです。そこを人間よりも軽快に移動していく優れた存在としてはやはり四つ足の動物より鳥だと言えます」


 エレノアはあえて ローデリックの様子を見ないことにした。内容も整理もせずに思いついたことを延々口にしていく。

 時々挟まってきていたローデリックの相づちが次第に少なく、小さくなっていった。


「――ですから結論として一番美味しい魚は鮭だと私は確信するに至ったのです。勿論これは料理人の腕が鮭に特化していた恩恵という可能性も否定できない話ではありますが……」


 どれくらいしゃべったのか。

 童話に出てくる動物に始まって、山でとれる果物の話。蜂蜜の種類がどれほどあり、味と効能がどれくらい違うか。ダウズウェルで食べた好きなものの話、一番好きな料理の話。

 正直言って蜂蜜の話で聞き手を落とせるという自信はあった。あれはフリンツフッドで生活歴を共有してきた兄ですら振り落としたとっておきである。


 エレノアは言葉を止めて、ローデリックの様子を窺った。


 目を閉じている。呼吸している。


 そのまましばらくじっとしていたエレノアだったが、上体を少しだけ起こしてローデリックの表情を確認した。

 目は閉じている。思ったより口元は固いままだが、こちらに反応しないので寝ている、と判断して良いだろう。


 眠っていらっしゃるところは初めてみました。


 心の中でだけ、エレノアは呟いた。

 夫婦として夜の時間を過ごすことはあっても、寝室は分かれているのが一般的だった。用が済むと片方は自分の部屋に戻って休むもので、エレノアがかつてそうしてしまったように部屋に戻らず眠ることは本来ない。


 つまり、ローデリックの寝顔を見るのはこれが最初で最後かもしれない。


 少し頬に触れてみようか、と思ったが折角眠っているのを邪魔してしまうかもしれないと思うと手が出ない。

 また横になって少しだけ、彼に触れないギリギリまで身を寄せてみる。微かに彼のあの香りがして、エレノアは息を深く吸った。


 ローデリック様。


 胸の中でだけ名前を呼んで、エレノアは目を閉じる。目を閉じると目蓋どころか全身が重いのがわかった。


 寝ている彼を見守っていられる機会は今しかないのに。

 少しは役に立っただろうか、他に、彼のためにできることはないだろうか。


 思いとは裏腹に、睡眠が足りていなかったせいか、ストンと意識が沈んだ。

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