第18話 単身赴任の過ごし方(ローデリック)
ダウズウェルの騎士団は規定通り、小競り合いが続く北北西方面に陣を張った。
前方には金銭で雇われた傭兵団、ダウズウェルの住人で構成される騎士団はその後ろにつく。ダウズウェル辺境伯は最後尾に近い位置にいた。
妻に詳細な説明を渋る程度には、ダウズウェル騎士団の陣中生活は手慣れたものだ。辺境伯だけでなく高位の武官には専用の天幕があり、城の環境には到底及ばないまでも執務室と寝室のスペースは確保されている。食事も簡易な食事を提供する料理人がいて、干物をワインで流し込むような粗末なものではない。
ダウズウェル辺境伯の公務の一部で慣れたものだ、ローデリックが今更何かの感慨を持つことはない、筈である。
ローデリックが自分の天幕で前線からの報告に目を通している時だった。
「閣下! アランからの報告だ」
おそらく当人に大声を出したつもりはないのだろうが、自分の天幕に声を吹き込まれてローデリックは顔をしかめた。
天幕には扉がなく、辺境伯に次ぐ地位のバーソロミューがいくつかの紙を片手に少し頭を屈めて入ってきた。
「声量を抑えろ」
「うん? なんだ、不機嫌だな」
短く言い捨てた辺境伯の態度が部下に響いた様子はない。
バーソロミューが持っていた紙を辺境伯の簡易な机の上に置くと、ローデリックが一番上の封筒を手に取って中の紙を机に落とした。
「今回は雪の季節でなくてまだ良かったな。洗濯が多少は楽だ」
「そうだな」
ローデリックが紙を取り上げて開くと、バーソロミューは当然のように斜め後ろに回ってアランからの報告書を覗き込んだ。
来客応対や贈答の対応、及び他領からの情報などが簡潔に共有されている。まだ陣を敷いて一週間程度でしかないので報告の内容もごく少ない。
いつも通りの黒インクでの報告が終わったあと、濃紺インクで追記があった。
『執務室付近に妖精がでるという話になるのも時間の問題です。定期連絡のついでに簡単で構いませんので、奥様に近況を知らせて差し上げて下さい』
バーソロミューが笑い、溜め息をつくローデリックの肩を叩いた。
「また妖精騒動か。きちんと言い聞かせておかないからだぞ」
「何が妖精だ、文官は暇なのか」
「まぁそう言うな。嫁がいない男からすれば若くて綺麗なお嬢さんが目の前に」
「――止めろ」
語調を強く遮られたバーソロミューは、了解を示すように片手を上げて見せる。
「そのうち剣か槍の大会でもやって隣に奥様を座らせるか? それでうちの若いのには一発だし、文官連中にも自然と知れ渡る」
「良いな」
傭兵団からの報告だが、とバーソロミューが話し始めてそのまま現状整理をするが、戦況、と言うほどの情報はまだなく、仕事の話はすぐに終わってしまった。
それはそうとして、と赤毛の男がにやついたのでローデリックは口をへの字にして身構える。
「手紙を出すなら『愛してる』くらいは書いて差し上げるといいんじゃないか? 直接言えてないんだろう」
「くだらないことを言うな。共有は終わったろう出て行け」
しっしっ、と手を振るとバーソロミューは素直に天幕を出て行った。
一人になったローデリックはペンを持ってふと考える。
書き出しに挨拶は必要か?
妻に状況と注意を伝えるだけだ、私信ではない。
彼女が黙っていれば、つまり、容姿が異性の関心を引くことはローデリックも理解している。歳が近いなら尚更だろう。
彼女が書庫の目録を作るため日中の執務棟に出入りしている間、年若い文官や武官達が彼女を妖精だと噂するのは知っていた。実際、必要以上に馴れ馴れしくしているのを確認した一人は配置換えで遠ざけもしたが、あくまでそれは、領内の管理のために過ぎない。
少しの間考えて、挨拶無しで書き出した。
『辺境伯は後方で報告を受けるだけであり、俺の体調も問題ない。こちらの様子について細かく知りたいのであればアランに確認するように。
お前は執務棟を意味もなくうろつくな。短くであれば、定期連絡便にお前の私信を含めて寄越しても構わない』
愛している、と書く理由は何もない。
第一、結婚を課せられた義務だと思っている彼女のことだ。
そんな言葉を、欲しがるものか。
***
数日経って、アランからの定期報告が再びローデリックの元に届いた。
今回は私信が一通追加になったと記されていて、確かに報告用では見ない封筒が一つ増えている。
ローデリックは天幕の入り口に誰もいないことを確認して、報告用ではない封筒から便箋を取り出した。
ああ、この字は見覚えがあるな。
自慢げに見せられた目録の文字。
あの夜、小さな紙にみっちりと詰められていた字だ。
一枚目に体調とダウズウェルに変わりがないこと。書庫の目録から検索ができるように書庫に文字や番号を振る準備をしていて。
それから、二枚目に連絡がきて安心している、問題なく事態が収拾できるよう願っていること。
それらが少し癖のある字と妙に硬い言い回しで綴られている。便箋二枚で収まっているが、一枚目と二枚目の文章のつながりは少し不自然だった。話し出すと長い彼女にしては短く収めているところから考えると、二枚目以降も何かを書いていたが、短く、という指定を考慮して削ったのかもしれない。
大真面目に長い長い報告をしてから少し気まずそうにする彼女の姿を思い浮かべるのは簡単だった。
「にやついてる」
声がして手紙から目を上げると、いつの間にか机を挟んだ正面に奇妙なものを見る顔のバーソロミューがいた。
いつも通りのぞき込まれそうになって、お前に関係ない、と手紙を手早く畳むと、大柄な赤毛の男は表情を崩した。
「なんだ、奥様からの恋文だったか」
「違う」
ローデリックが即答すると、いやぁ、とバーソロミューが笑った。
「私も愛してる、って書いてもらえたか?」
「俺がそれ書いた前提で話をするな」
「何にせよ、用事もないのに返事が来たんならそうだろ」
ローデリックは口を開いたがうまく言葉が出せず、指先が何度か机を叩いた。
何の用だ、と苦し紛れに話題を切り替えるとバーソロミューは笑いを収め、実務の打ち合わせを申し出た。
**
バーソロミューが退出し、一人になったローデリックは机を片付けて天幕を出た。
天幕の脇に立っている若い騎士に労いの声を掛けてやる。
外套の裾が風に煽られて翻った。遠くに白く砂が巻き上がったのが見える。
この辺りは切り立った山肌で風の通り道が狭くなる地形で、常に風が強い。天幕の付近は砂埃を抑えるため頻繁に打ち水をしてあるが、遠くから運ばれてくるものは防ぎようがない。砂埃を浴びていると衣類をこまめに手入れをしても無意味だった。ローデリックだけでなく高位の武官は交渉用の衣服を一揃え別に保管している程である。
やはり、いくら後方とはいえあいつを連れてこなくて良かった。
エレノア自身はもしかすると気にしないかもしれないが、彼女の生活に不足があることを想像するとローデリックの方が耐えられそうにない。妙に協力的だが、あくまで彼女は辺境伯の都合と権力で無理矢理引き取られて来た、いわば一生の客人だ。不自由はさせたくない。
エレノアは手紙で問題がないと書いていた。しかし、立場や理屈さえ通っていれば、不安や不満があっても従おうとするのが彼女である。彼女が今何を考えているかは顔を見なければわからない。
城の方角に目をやる。稜線に遮られて街や城の様子を見ることはできない。当然ながら、彼女のことも。
早く帰りたい。
浮かんできた言葉をなんとか飲み込んで、辺境伯は天幕へと引き返した。




