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第14話 ハニーミルクをお好みで

 エレノアの部屋でローデリックがソファに腰を下ろした。その後ろで、エレノアはミシェルに飲み物を用意するように指示をする。


「それで、話というのは?」


 ローデリックが振り返らずに尋ねてくる。

 話題を探しながら、自分は部屋のどこにいればいいのかとエレノアがうろうろと視線をさまよわせた。振り返った夫は自分の隣に座るよう手で示す。


 先日彼の部屋で二人がけでも十分な大きさだと思っていたソファが、ふかふかしたクッションと大柄なローデリックのせいで隙間はわずかしかない。

 彼が示した隙間に何とか腰を下ろすと、ほとんど夫と肩が触れる距離だ。


「……昼に話した札の件ですが」


 そう切り出すと、うん、と短く相づちが返ってくる。

 エレノアが誰かに提案した時点で彼は報告をほしがっていたようだったので、伝えておく必要がある。


「厨房で、食事量が足りないと揉めていることがありました。文官はともかく、武官は入れ替わりで食事をするので、足りない分は都度何か追加で作ることで対応していたそうなのです。その追加分が遅いと口論になっていました」

「そうなのか」


 ローデリックが相づちを打つ。彼の表情からは、知らなかったのか、知らないふりでそう言っているのかエレノアには見分けがつかない。


「登城した人間から札を預かることで、最低量の目安を把握してはどうか、もしくは、実際に食事をする人数を札で連絡するのはどうか、と提案しました。私は、やり方の案は伝えましたが、やると決めたのも、実際に札を用意したのも厨房の人たちです。ですから、私から報告する必要がないと思っていて……」

「報告の必要性の話ならもういいと言っただろう」


 ふ、とローデリックが息を吐いて視線を床へ向けた。

 やはり呆れられてしまったのだろうか、肩を落としかけて、一つ思い出す。

 エレノアよりも少し高い位置にあるローデリックの顔を見上げる。


「今どんなやり方をしているのかを聞く前に、食事がないと困ってしまうだろうし、少人数のために別で作るのも大変だと思う、と言いました」


 彼の視線がまたこちらに戻ってくる。


「必要量を伝えるのは食べる側の、必要量をどうやって用意するかは厨房の裁量なので今のやり方を変えるべきという意味ではない、とも言いました。この前のように変な空気にならずに、聞いていただけたと思います」


「ローデリック様が教えてくれたおかげです、きちんと聞いてもらえたのは。提案が通ったかどうかよりも、それをお伝えしなければといけませんでした」


 ローデリックが口を開いたので、エレノアは一度言葉を切った。

 そのために呼んだ、というのは耳障りはいいが嘘になる。でも感謝しなければと考えたこと自体は本当だ。


「ありがとうございます」


 一拍おいて、見返すローデリックの目が細くなった。うん、と小さい息が落ちる。


「引き続き、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」


 今度はローデリックがはっきりと笑い声を漏らした。

 彼は手を伸ばして、何をするのかと身構えたエレノアの頭に軽く触れる。


「お前にしては頑張った」


 一言だけで、エレノアの内側でじわりと温度が上がる。

 はい、と答えると、ローデリックの掌が髪の表面を滑って、一房すくい上げた。


 カチャリ、とソファの前に置かれた茶器が音を立てて、エレノアは思わず視線をそちらへ向けた。


 いつの間にか戻ってきていたミシェルが、すまし顔で二人のための飲み物をローテーブルに置いて、部屋の隅へと下がる。

 エレノアがいそいそと自分のカップを取るために身を乗り出したので、ローデリックの手から髪がするりと落ちた。


「……嬉しそうだな」

「ええ。蜂蜜、ローデリック様が取り寄せて下さったのでしょう? それも、ありがとうございます」


 カップに口をつけると、蜂蜜の甘みと乳の香りが舌から鼻へ抜けていく。

 何を飲んでる、と声がして振り向くと、ローデリックはエレノアの手元をのぞき込むように体を寄せていた。

 カップの底を両手で支えるようにして彼の方に差し出す。


「山羊の乳に蜂蜜を入れたものです、美味しいので試してみてください」


 答える代わりに大きな右手が上から縁をつかむようにしてカップを取り上げた。


「スープ以外で乳を温めたものを飲む機会はないな」


 そう呟きながらローデリックがカップに口をつけ。

 

 次の瞬間、咽せた。


 同時にエレノアの顔に飛沫が直撃して、エレノアは思わず目を閉じた。ローデリックが激しく咳き込む音がする。


「――すまん、大丈夫か」


 んん、と咳払いを繰り返しながらローデリックがそう言い、エレノアは指先で目元を拭ってから目を開けた。

 ローデリックの服の胸元から下に白い滴が散っていた。黒い服を着ているので余計に目立つ。


「ミシェル、ローデリック様のお召し物が」


 声をかけた時には柔らかな布を持ってミシェルが間近にいた。エレノアの顔を手早く拭き、ローデリックが脱いだ上着を受け取る。


「手入れをするように依頼して参ります」


 一礼して下がろうとするミシェルをローデリックが呼び止めた。


「急いで戻る必要はない。他の用事があればそれを優先しろ」

「……かしこまりました。ではお言葉に甘えて、他の用事も片付けて参ります」


 ミシェルの視線を受けてエレノアが頷くと、侍女は乳の香りを微かにさせる布を抱えて部屋を出た。

 扉が閉まるのを見届けてから、エレノアはおそるおそるローデリックを伺う。


「お口に合いませんでしたか」

「さすがに甘すぎる、俺は苦手だ。お前相当な甘党だな」

「……そうでしょうか」


 不思議そうなエレノアの頬にローデリックの指先が触れた。

 顔を上げると、濡れていないか? と言いながらローデリックの指が頬を滑って耳や顎の縁を微かになぞる。

 肌が粟立つのを感じ、平気です、と答えて身を引こうとしたエレノアの腰に腕が回り、顔を上向かされた。


「……」

「夜に部屋に誘ったのは、こういうことだろう?」


 エレノア自身はこういうつもりではない。

 だが、アランが部屋に呼ぶ以上のことを言わなかったのは、こういうことだったのだろう、と理解した。仕事から意識を切り離せるのは間違いない。これも妻の役割ということだ。

 であれば、体調に問題がない以上拒否する理由はない。


「そう? です、おそらく」

「……体調に問題があるなら止めても良いが」


 彼は何かを察したようで、確認を挟んでくれた。

 初めての夜のことを思い出す。思い出す、というにはいささか記憶が曖昧だが、一般的にはあのときよりは楽、なはずだ。

 それに、彼が無理強いや乱暴をする人ではないことは理解したつもりだ。

 一つ、大きく息を吸う。


「問題ありません」


 わかった、とローデリックが呟いてエレノアを抱き寄せる。

 エレノアは体が硬くなるのを感じた。反射で突っ張ってしまいそうな手の置き場所をどうすればいいかわからず指を握りこむ。

 以前教えられた通りに大きくゆっくりと息をしながら、少しだけローデリックに体の重みを預けた。

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