第13話 アランからの依頼
「奥様」
奥様。私のことです。
それを頭の中で確認したエレノアは、足を止めてから振り返る。
「アランさん。何かご用ですか」
先ほど彼は執務室にいた。どうも自分をわざわざ追いかけてきたらしいアランが早足で近づいてきて、三歩手前で止まる。少し遠いが、当主夫人と文官の距離であればこのようなものらしかった。
「ご相談、というかお願いがありまして」
「ローデリック様にされた方が確実ではありませんか」
「閣下についてのことですので、奥様に」
「わかりました。なんでしょう?」
実は、とアランが声を小さくして言った。
「以前から閣下は遅くまで仕事をされていて、きちんと疲れを取っていらっしゃるのか疑問に思うことがあるのです」
「具体的にどの点でそう思うですか?」
少し言葉を探す間があって、アランが言う。
「……ため息が多いでしょう。それに、以前はもう少しふざけて冗談もおっしゃる方でした。どちらかと言えばおしゃべりで、決して口数の少ない方ではなかったのです」
おしゃべり?
エレノアの思考が止まる。
「本当にローデリック様の話ですか?」
「はい」
「それは、問題、かも、しれず……」
知っている夫が知らない夫になってしまう気はしたが、そもそも現在が良い状態ではないとアランが言いたいことは理解する。
では? と尋ねるとアランはもう一段声を小さくした。
「奥様がお休みになる前に、執務室にいらっしゃる閣下を迎えに来ていただきたい」
「……それは構いませんが、仕事を切り上げてくださらないのでは?」
「『話したいことがあるがここでは話せない、部屋に来てほしい』、そう仰っていただければ、妻からの相談として閣下も応じて下さるでしょう」
「とにかく執務室から出さえすれば、仕事を終えて休むだろうということですか」
「はい。お願いできますか? できれは今夜だけではなく、奥様が無理のない範囲で継続的に」
言われて少し考えてみる。夜には特に予定がない。対応は可能だ。
「やってみます」
そう答えると、アランは出会ってから初めて満面の笑顔を見せ、よろしくお願いします、と言って頭を下げた。
***
その日の夜。夕食後いつも通りどこかへ行ってしまったローデリックは、エレノアが寝る支度を調える頃になっても部屋には戻っていなかった。
そこでアランに頼まれたことを実行すべく、執務棟を訪れることにした。
夜勤の武官が数人いる他は、文官の姿はほとんど見かけない。
昼間にアラン自身が、私は定刻で退勤しますと言っていたので、文官の中で勤務時間の長さを熱心さとして評価する土壌がないことは感じられる。
周りがそうでない中でローデリックが遅くまで仕事をしている、というのはやはり良くない。エレノア自身は仕事があればあるだけ、だったとしても、だ。
執務室の札は、彼が在室していることを示していた。
扉を叩いて中へ入る。
「ローデリック様」
呼びかけると、彼は書類に落としていた視線を上げて意外そうに瞬いた。
「何かあったか」
「いいえ」
反射で答えてしまってから、ローデリックが眉をひそめたのでエレノアはミスに気づいた。
用事があってきたのだった。
幸いアランが具体的な言い方を指示してくれていたので、少し視線を下げてから台詞を思い出す。おそらく少し悩んでいる風を出すべき、のはずだ。
「話したいことがあります。ここでは話せないので、私の部屋に来てくださいませんか」
こういう感じだったはずだ。
それを聞いたローデリックは手に持っていた書類を机の上に戻した。
「わかった、行こう」
短く答えて彼がすぐに椅子から立ち上がったので、エレノアの方から、仕事はいいのか、と思わず聞いてしまった。
「お前が呼びにきたんだろう」
ローデリックの顔が、おかしなやつだな、と言っていた。




