前世の記憶
エルフ×探偵×魔法ミステリです。
日常と事件が交差する、連作短編風の物語になります。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
私たちはその日の午後、研究所へ向かった。
七階建ての白い建物で、敷地は端から端まで歩くのに数分かかるほど広い。以前にも先生と入ったことはあるが、そのときは一部の区画だけだった。
五階に足を踏み入れるのは、これが初めてになる。
「少しでも気分が悪くなったら、すぐに言ってちょうだい」
子供の頃に何階へ来たのかなど、覚えているはずもない。それなのに、階段を上がりきったところで足が止まった。
私は長く息を吐いてから、五階の床を踏んだ。
横に広い廊下が伸びていた。
両側にはガラス張りの部屋がいくつも並び、奥の方がかろうじて見えるくらいまで、ずらりと続いている。
「事件があってから、研究室の中が見えるようにしたのよ。妙なことが行われないようにね」
研究の内容にもよるが、基本的には一つの研究室に四つの部屋が割り当てられているのだという。
一つは教授の私室。一つは会議などに自由に使える部屋。残りの二つは、研究員が滞在して実験や記録を行う部屋だ。
教授の部屋は、どこも本と紙が雑多に積み上がっていた。棚に収まりきらない資料が、床にまで山を作っている。
一方で研究員の部屋は整然としていた。機材が並び、器具が定位置に収まり、床には何も落ちていない。
研究以外に興味を示さない教授が多いとは聞くけれど、どの研究室も似たようなものらしい。
先生の後をついて廊下の奥へ進むと、明らかに雰囲気の違う区画に出た。
「ここだけ、様子が全く違いますね」
扉も壁も古い。それだけではなく、この区画の部屋にはガラスがなかった。閉じた扉と、その両脇の壁があるだけだ。
何が中にあるのか、外からは一切分からない。
「まだ手がかりが隠されているかもしれないから、ここだけは事件当日から手を入れていないの」
先生は並んだ扉のうち、手前から三つ目の前で立ち止まった。
先生はゆっくりと取っ手を引いた。
部屋の中央に、寝台が置かれていた。
壁沿いの棚には、薬品らしき瓶が並んでいる。器具の載った台が、寝台を囲むように配置されていた。
ここまで通ってきたどの部屋にもあった、研究員の机も椅子もない。実験のためだけに作られた部屋だった。
先日、先生と調査に行った遺跡の一室と、どこか似た空気がある。人が長く使っていた場所なのに、人が過ごすためには作られていない。そういう部屋の感じだった。
「ここが、両親の研究室ですか」
「違うわ」
先生は寝台の縁に指を滑らせた。埃が線になって残る。
「ここは、エフィの夢に出てきた部屋。両親が最後に口論していたところよ」
言われてみれば、記憶の隅に引っかかるものがあった。
白い廊下の先。父の声が大きくなった部屋。母に手を引かれて出た場所。
「エフィの両親はね。『再生』の研究をしていたの」
「『再生』……ですか」
「研究室はいくつかに分かれていたわ。ポーションみたいに傷を治す魔法の研究。欠けた部位や、失った目を作り直す研究。そういう並びの中に、記憶の再生を扱う研究室があった」
両親が携わっていたのは、欠損部位の再生の方だったという。
分からないのは、記憶の再生を扱っていたこの部屋のことだ。薬品はまだ分かる。だが、研究室の真ん中に寝台を置いて、何をしていたのだろう。
記憶喪失や痴呆を治すための研究だと先生は言った。それだけ聞けば、立派な研究に思える。
「……表向きはね」
先生はそこで一度、言葉を切った。
「本当の研究は、前世の記憶の再生」
「前世の記憶、ですか。でも、命が終わって、また生まれるのは別の個体です。前世の記憶なんて、あるはずが」
「過去に、成功したと思われる実験例があったの。この研究は、それを再現しようとしていたらしいわ」
思われる、という言い方が引っかかった。
確実に成功したと分かっているのなら、先生はそうは言わない。それなのに、先生自身は成功したと思っている。そういう響きだった。
そこまで考えて、私はひとつ思い出した。
「先生。その言葉、前に見ました」
大掃除をした日。本棚から落ちてきた本。その背表紙に並んでいた先生の名前と、同僚の方の名前。
『前世の記憶』。
先生の指が、寝台の縁で止まった。
「よく覚えてたわね」
「あの本は──」
「その話はまた今度ね」
先生は振り返らないまま、そう言った。
いつもならはぐらかすときは笑うのに、このときは声だけが返ってきた。
「捕らえた犯人たちは、この研究室の研究員だったわ。ただ、全員がまともに話のできる精神状態じゃなくて、今も何も聞き出せていないの」
「全員、ですか」
「全員よ」
一人や二人なら、罪の重さに耐えかねて壊れたということもあるだろう。
けれど全員となると、話が違ってくる。
「それでは、両親が何のために殺されたのかは分からないんですね」
今朝の不安が、そのまま形になってしまった。
犯人が捕まっていても、事件が終わっているとは限らない。理由が分からないままなら、同じことがまた起きる可能性がある。
何かの目的のために両親が殺されたのなら、せめてその理由だけでも知りたかった。それすら叶わないのかもしれない。
「分かっているのは、犯人の一人の細胞を埋め込もうとしていた、ということくらいかしらね」
先生の見立てはこうだった。
記憶がまだ定まりきらない幼少期に他人の細胞を打ち込めば、記憶が書き換わるのではないか。そういう実験だったのではないか。
幼少期の記憶を取り出す検査をすると言って、両親に私を連れてこさせた。だが実際に行おうとしていたのは、得体の知れない細胞の注入だった。
それに気づいた両親が研究員と揉め、そのまま口封じのように殺された──というのが、今のところの推測らしい。
「エフィ」
先生が扉の方へ歩き出す。
私が顔を上げると、先生は廊下の先を見ていた。この区画の、まだ開けていない扉が並ぶ方向だった。
「両親が働いていた研究室へ行きましょうか」
その声が、少しだけ硬かった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
来週は休暇のため更新しないかもしれませんが、
次回更新は9月22日(火) 20:00更新を予定とさせてください。
続きが気になった方は、ブックマークや評価をいただけると励みになります




