閑話:月の満ち欠け
エルフ×探偵×魔法ミステリです。
日常と事件が交差する、連作短編風の物語になります。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
「手つかずの森に入ったのは初めてだったんですが、どの森にもあんなに怖い動植物がいるんですか」
妖精族の村から帰って、数日が過ぎた。
事務所はいつもの調子を取り戻している。先生は椅子に沈み込んで茶を飲んでいた。左腕にはまだ包帯が巻かれていて、茶碗を持つときだけ、そちらの手を使わない。
「妖精族が暮らしていた森のこと? あの森は特別よ。今でこそ交流があるけど、昔は妖精を捕まえようとする人が絶えなかったから、わざわざ危険な森に住んでるの」
何百年も前から、妖精族を捕まえることは禁じられていた。
けれど貴族や富裕層は、流通しているものであれば何でも手に入れられる。だからこそ、他では手に入らないものを求めた。
その一つが妖精族だった。
厄介なのは、彼らが簡単には罰せられないほどの力を持っていることだ。しかも妖精族の捕獲は、奴隷売買のように民衆の心が一斉に動く類の罪ではなかった。国家の根幹を揺るがすほどではない、という理由で、長く見逃されてきた経緯がある。
それを止めたのが、彼らの育てるカカオのような希少な植物だった。
貴族の間で人気が出たことで、興味の対象が妖精族そのものから、彼らの作るものへ移った。その結果、狩りの対象だったものが、急に保護の対象になった。
自分たちの都合に合わせて、他者の運命を簡単に書き換える。
私は湯呑みを両手で包んだまま、しばらく何も言えなかった。
妖精族の作る植物を、人が自分で作れるようになる日が来ませんように。そう願うくらいしか、私にできることはなかった。
*
「今度、安全な森にも行ってみましょ。栽培が難しくて市場に流通しないキノコとか果物とか、いろいろあるわよ~」
「そこは美しい木々があるとかじゃないんですか」
「エルフにとって森は自分の家みたいなものだから、なんとなくそういう感覚ないのよねぇ。自分の部屋の模様替えをしても、気分がいいのは数日だけ、みたいな」
「……そういうものですか」
ハーフエルフの私に、森に対するそんな感覚はまるでない。
血や種族よりも、生まれ育った場所の方が人を決めるということだろうか。
「まぁ、美味しいものなら妖精族の森にもたくさんあるんだけどね。マンイーターの球根とか」
「マンイーター──人食い花ってことですか」
「そうそう。抗えないくらい甘い匂いで誘き寄せて捕まえるの。力自体は強くないんだけど、頭が快楽に負けて抜け出せなくなって、そのままゆっくり消化されていくわ」
「なんですかそれ。激ヤバ草じゃないですか。絶対に行きたくないです」
ふふふっ、と先生がいたずらっぽく笑う。
人の歴史がこれだけ長く続いていても未知のものが多く残っているのは、こういう動植物がいるからだ。
冒険家もそれなりにいるが、そのほとんどが帰ってこない。挑む気持ちは分からなくもない。ただ、命を懸けてまで行きたいと思ったことは、私には一度もなかった。
先生はマンイーターの球根がいかに美味しいかを熱く語り始めた。
人を食べたかもしれない草の球根は食べたくない。そう思いながら相槌を打っていると、事務所の扉が叩かれた。
*
「レイリアさん、お届け物です」
「は~い、少々お待ちください」
事務所のポストに郵便物が入っていることはよくあるが、こうして届け物が来るのは珍しい。
思い当たるのは報酬のお菓子だが、まだ数日しか経っていない。
「『クレセント製菓』とありますけど、何でしょうか」
「あぁ、やっと来たのね。セラさんが卸先の製菓店に頼んでくれて、試作品を送ってもらえることになったの」
村ではほとんどの時間を一緒に過ごしていたつもりだった。いつの間にそんな約束を取り付けていたのか、私はまるで聞いていない。
「相変わらず抜け目ないですね」
「飽くなき探求心よ。さて、どんなものが入ってるかしらね~」
包みを解くと、中から綺麗な木箱が出てきた。手のひらに載るくらいの、細長い箱だ。表面の仕上げだけでも、中身に相応の値がついていることが分かる。
蓋を開けると、宝石と見まがうものが、三つ並んでいた。
左は丸く、中心が深い黒に沈んでいる。外側は透明なコーティングで覆われ、その中に金粉がきらきらと散っていた。
中央は細く反った三日月の形で、内側から淡く光っているように見える。
右は真ん丸で、黄色い光沢がある。角度を変えると、表面が光を返して輝いた。
「これは……月ですかね」
「そうね。新月、三日月、満月。店の名前にちなんで作ったものね」
チョコレートなのだろうけれど、この見た目からは味の想像がまったくつかない。
「私はどれを食べていいんですか」
「あら、エフィも食べるの? ダイエットしてるんじゃなかったっけ」
「我慢しすぎると反動がすごいので、たまにはいいんです。……でも、食べるのがもったいないくらい綺麗ですね」
「そうねぇ。せっかくだから、しばらく飾っておきましょうか」
私は思わず先生の顔を見た。
いつもなら「美しい料理は食欲を増進させるためにあるのよ」とでも言って、包みを解いた瞬間に一つ減っているはずの人だ。
「エフィ。何よその顔」
先生は木箱の蓋を閉じて、棚の上段へ手を伸ばした。
「私だって美を愛でる気持ちくらいあるわよ。──マムちゃんに食べられないよう高いところに置いて、次のお菓子が届いたときに一緒に食べましょ」
足元では、マムちゃんが食べられるものだと信じて涎を垂らしていた。
正直に言えば、私も内心はマムちゃんと大差ない。
それでも、待つのも悪くないと思った。どんな味がするのかを想像しながら過ごす一か月も、それはそれで楽しい時間になりそうだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回更新は9月8日(火) 20:00更新を予定しています。
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