魔獣討伐戦
エルフ×探偵×魔法ミステリです。
日常と事件が交差する、連作短編風の物語になります。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
ソイルベアーが地面を蹴った瞬間、私の体は動かなかった。
黒い塊が視界いっぱいに膨れ上がる。頭の中が真っ白になって、足が根を張ったように動かない。しかし、急に横から強い力で突き飛ばされた。
ドシンッ
轟音が体の芯まで響いた。
私が転がった先から顔を上げると、さっきまで自分が立っていた木の幹に、二本の角が深々と食い込んでいた。太い木が根元から軋み、葉と枝が降り注ぐ。
ソイルベアーが首を振って角を引き抜く。幹には穴が二つ残った。
「せ、先生……」
私を突き飛ばした先生が、少し離れた場所で立ち上がるところだった。左の腕から、袖に沿って血が滴っている。浅い傷ではなかった。
苦手な蜘蛛とはいえ、先生の言う通りにしていれば、蜘蛛が這い上がってくるより先に振り払えたし、声も上げずに済んだ。
「ごめんなさい。私……」
「謝罪はいいから集中して! エフィ、相手を見ながら少しずつ後退。戦闘範囲から離脱して」
先生は腰に吊るしていたショートソードを抜いた。刃を返し、木漏れ日の差す角度へ何度も傾ける。
反射した光がソイルベアーの目を掠めた。黒い頭が、私から先生へと向き直る。
注意を逸らしている。そう分かったからこそ、私はその場に留まりたかった。
けれど、ここで私にできることは何もないばかりか、邪魔になる可能性が高い。
苦渋の決断だったが、私は言われた通り目だけは逸らさず、一歩ずつ後ろへ下がった。
*
さっきの速度を見る限り、遠くから魔法を当てるのは難しそうだった。中途半端に当てて逃げられれば、この森で追いつける道理もない。
先生もそれを分かっているのだろう。二十歩ほどしか離れていない場所で、ソイルベアーと向かい合っている。
ソイルベアーが走り出し、先生と数歩の距離になると後ろ足だけになって立ち上がる。
離れた場所にいる私が、思わず後ずさった。
遠目からでも大きさは分かっていたつもりだった。だが立ち上がると、その印象がまるで変わる。頭の位置は枝葉に届くほど高い。横幅も相応にあって、正面に立った先生の姿が完全に隠れてしまった。
右腕が振り下ろされる。
先生は横へ跳ばなかった。振り下ろしの内側、開いた右脇へ体を滑り込ませ、転がりながらショートソードを腹へ突き立てる。
鈍い音がしたが、刃は入らなかった。
毛と皮に阻まれ、先生の力では突き通せていない。
振り向きざまに左手が薙ぎ払われる。先生は後方へ転がってそれをやり過ごし、最初と同じくらいの距離まで下がった。
「──やはり無理か」
先生の力では刃が通らないことを悟ったのか、先生は剣を鞘に戻した。
「アイシクルランス!」
先生が魔力を込めながら横へ手を振ると、その軌跡に沿って幾本もの氷柱が生まれ、ソイルベアーへ降り注いだ。
ソイルベアーは氷柱を浴びながら、意にも介さない様子で突進してきた。
魔法の打ち終わりを狙われた形だった。先生はぎりぎりで身をかわしたが、完全には避けきれず、肩口を掠められて吹き飛ばされる。
「くぅ」
地面に叩きつけられた先生の動きが、一瞬止まった。
その一瞬に、黒い巨体が覆いかぶさる。
「アースウォール」
先生と魔獣の間に、土の壁がせり上がった。
体当たり一発で、壁は呆気なく崩れた。魔力を練る時間がなかったのだろう。それでも、先生が体勢を立て直すだけの時間にはなった。
先生はソイルベアーの周りを回るように走り出す。動きながら、その動きを止めないように器用に手をつき、魔法を放つ。
「ボグフィールド」
土魔法と水魔法を組み合わせた広範囲魔法。一帯の地面が、水を含んだ泥へと変わっていく。
一点を狙う拘束魔法では、あの速さでは避けられる。だから面で押さえにいったのだと分かった。
目論見通り、ソイルベアーの前足が泥に沈む。もがくほどに深く沈み、巨体が傾いだ。
だが。
鋭い鳴き声が森を裂いた。
鋭い鳴き声をあげると共に巨体を持ち上げながら魔力を一気に増大する。
その瞬間、先生が動いた。
一拍早く両手が地面を叩き、土魔法が完成する。先生の正面、一直線に、いくつもの土の槍が地面から突き上がった。
先生は、地面に手がついたのを見た瞬間には既に横へ跳んでいて、槍が伸びきるより早く、泥を蹴って間合いを詰めている。
魔法を放った直後の硬直。それを狙っていた。
先生の手が、氷柱の刺さった箇所へ伸びる。
「フロストスパイク!」
傷口から魔力が流し込まれた。
一拍遅れて、ソイルベアーの背から、脇から、体のいたるところから氷の刃が噴き出した。内側から外へ向かって、突き破るように。
そして――その巨体が、ゆっくりと崩れ落ちた。
*
「先生! 大丈夫ですか!」
駆け寄ると、先生は倒れた巨体の傍らに座り込んで、荒い息をついていた。
「大丈夫よ。さすがにちょっと疲れたけど……」
私は先生の左腕を取った。血が肘まで伝い、袖が黒く変色している。持ってきていた布を裂いて、教わった通りに縛った。手が震えて、二度もほどけた。三度目でようやく止血できた。
「上手じゃない」
「……練習しました」
これまで人同士の戦闘は見てきたけれど、魔獣討伐を見たのは初めてだった。
動きそのものは単純だ。走って、殴って、突く。それだけなのに、一つ一つが人とは比較にならない。しかも魔法の間合いを測り、打ち終わりを狙ってくる程度には賢い。
無事だったことの方が、信じられなかった。
「先生が怪我をしたのは、私のせいです」
「よくあることよ。生き残ったんだから気にしなくていいわ。ただ、二度と同じミスは犯さないこと」
少しでも遅れていれば、最初の突進で既に先生は亡くなっていたかもしれない。自分のミスで簡単に人は死ぬのだ。私は、今日の経験を胸に刻んで、二度と同じミスはしないと心に誓った。
*
「久々にきつい依頼だったわ。魔獣討伐はほんと、割に合わない」
「でも、あんなに感謝されたのは初めてじゃないですか」
畑を荒らされることは、妖精族にとって死活問題だった。それだけでなく、彼らの命まで危うかった。それを依頼の範疇を超えて、危険を冒してまで討伐したのだ。あの喜びようも当然だと思う。
「宴会まで開いてくれましたね。王都では見ない料理ばかりで、どれも美味しかったです」
「そうねぇ。とても美味しかった。ただ、やっぱり少し小さかったわね」
体が私の顔ほどしかない人たちなのだ。当然、料理も小さいものばかりだった。
先生は皿の上の一切れを、二度も落としそうになりながら食べていた。それでもおかわりを頼まなかったのは、彼らが自分の体ほどある食材を何人がかりかで運び、一生懸命に切り分けているのを見ていたからだろう。私も同じ気持ちだった。
「ひょっとすると、カカオ一年分も思ったより少ないかもしれませんね」
それはそうよ。一年分といっても、一か月に一度、小さな菓子折りサイズのものが届くくらいだわ」
「それは楽しみです。私にも分けてくださいね」
「少しだけならいいわよ」
先生は笑ってそう答えた。
一か月後の菓子折りを楽しみにしながら、行きとはまるで違って景色を魅せる森の中を、私たちは帰っていった。
道の端では、あの兎のような花が、風もないのに揺れていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回更新は9月3日(木) 20:00更新を予定しています。
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