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閑話:舞踏会に向けて

エルフ×探偵×魔法ミステリです。


日常と事件が交差する、連作短編風の物語になります。


気軽に読んでいただけたら嬉しいです。

「いち、に、さん。いち、に、さん」


先生の掛け声に合わせてステップを踏む。

舞踏会に向けた、初めてのダンスレッスンだ。事務所の机と椅子は壁際に寄せられ、床の真ん中にぽっかりと空間ができている。


先生は王宮に勤めていた頃にさんざん練習をしたらしい。普段の姿からは想像もつかないほど背筋が伸び、顎の角度が固定され、差し出した手の高さがまるでぶれない。男性のパートを、こともなげにこなしている。


いつも床に転がって本を団扇代わりにしている人と、同じ人には見えなかった。本の間から落ちてきたあの写真の中の人と、今の先生が、ようやく私の中で結びついた。

一方の私はというと、自覚はしていたものの、絶望的にリズム感がない。先生のステップに対して、どうしても少しずつずれていく。

隣で踊っているマムちゃんの方がまだマシだった。といっても、掛け声に合わせて頭をニョキニョキと左右に振っているだけなのだが。


そして、踊り始めてもうひとつ気づいたことがある。

自分が思っていたよりも、はるかに運動音痴だということだ。

見たことはないだろうか。ボールを投げるとき、本人は体全体を使っているつもりなのに、まるで腕に一本の棒が入っているかのような投げ方になっている人を。

あれと同じだった。足を動かそうとすると上半身が不自然に固まり、上半身を動かそうとすると下半身が完全に止まる。何度繰り返しても、手足のかくつきが直らない。頭で思っていることが、体にまるで反映されない。


「痛っ! エフィ、足を踏んでもいいけど、一本の指だけ狙って踏まないでちょうだい」 「ごめんなさい。でも、狙って踏む技術があったら、たぶん踏んでないです」


遅れている分には、踏まれることはあっても踏むことはない。ところが遅れまいと早めに足を出すと、今度は確実に踏んでしまう。先生がかわしたりテンポを合わせたりしてくれているのに、それでも踏む。

マムちゃんが先生の足元を覗き込み、それから私を見上げた。


「子供の頃に運動していなかったようだし、急に体を動かすのは難しいわ。仕方ないわね。練習あるのみよ」


運動の能力は子供の頃にある程度決まると言われている。その幼少期を、私は孤児院で過ごした。

手伝いの合間はたいてい本を読んでいて、外で遊んだ記憶がほとんどない。そもそも孤児院に遊具はなかったし、外遊びといえば鬼ごっこのような、走るだけのものが主流だった。ダンスのように複雑な動きをする運動など、したことがない。

体を動かすということ自体が、この歳になって初めての経験だと言ってもいいくらいだ。護身術はある程度習っているけれど、武道家の稽古と比べればたかが知れている。


「あっ──」


足がもつれて、そのまま床に倒れ込んだ。


「大丈夫?」

「マムぅ~?」


マムちゃんが顔を覗き込んでくる。励まされているのだと分かると、余計に情けなくなった。

先生が手を差し伸べてくるが、私はその手をすぐには取らなかった。


「私、才能ないですね。やはり舞踏会には行かない方が」

「エフィ。いい?」


先生は手を引っ込めなかった。


「才能はもちろん関係するわ。人によって差は大きいし、それは覆せない。才能のある人なんて、せいぜい一割か二割ってところね。でもね。死ぬほど努力する人も、同じくらいしかいないの。両方に入る人となると、もっと少ないわ。才能があって努力もしている人には、たぶん届かない。でも、努力をしないその他大勢よりは確実に上に行ける。自分に才能があるかどうかなんて、努力してから決めましょう」


千年を生きるエルフの言葉には、その分の重みがあった。

先生は「さんざん練習をした」と言った。私はその時間を数えようとして、途中でやめた。何日でも何年でも、私が想像できる単位を超えている。

たかだか数日、数時間踊っただけで才能がないと言うのは、先生に対して失礼な気がした。


私は差し出されたままの手を取った。


「すみません。もう一度お願いします」

「そうこなくっちゃ」


先生が私を引き起こす。マムちゃんが定位置に戻り、掛け声を待つように頭を上げた。


「いち、に、さん。いち、に、さん」


*


そして、舞踏会当日。

練習の終わり頃には先生の足を踏まなくなり、自分でも上達している自覚が持てるようになっていた。


その状態で、初めて先生以外の人と踊った。

結果は散々だった。二歩目で相手の足を踏み、四歩目で自分の裾を踏んだ。相手の男性は最後まで笑顔を崩さなかったけれど、曲が終わったときの安堵の息までは隠しきれていなかった。


先生はちょうど別の相手に誘われていて、こちらを見ていなかった。

見ていたら、きっと「これも経験よ」と言って笑い飛ばしただろう。そして「次はもっと踏みなさい」とでも言ったに違いない。


壁際に戻って、私は自分の靴のつま先を見下ろした。

経験と失敗を重ねて、少しずつ成長していく自分を想像し、少しだけ楽しみになっていた。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


次回更新は8月25日(火) 20:00更新を予定しています。


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