閑話:食欲の秋、はじめました
エルフ×探偵×魔法ミステリです。
日常と事件が交差する、連作短編風の物語になります。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
王都は夏を過ぎ、秋の季節が訪れている。
読書の秋、ということで今日は本屋に来ている。私の数少ない趣味の一つだ。
ここ「エルフィン書店」は、王都で最も大きい本屋で、専門書から大衆雑誌まで、ここに来ればないものはないと言われている。
最近私は、恋愛小説にはまっている。
昔は苦手だったのだが、大人になったことで、羨望だったり、子供の頃を回顧したり、そういった様々な視点で見られるようになり、感情移入して読めるようになったのだ。
ただ、現実の私には、今までそういったことは一度もないのだが……
「お、エフィ。本屋にいるなんて珍しいわね」
「先生!?」
恋愛小説を物色していた私は、気恥ずかしさのあまり慌てて本を隠した。
休憩時間に本を読んでいることを先生は知ってはいるものの、恋愛小説を読んでいることは、まだ知らなかった。
「何を探しているの?」
「い……いやっ、魔法の歴史について少々……」
「ふ~ん……なるほど。エフィもお年頃だもんね」
咄嗟にごまかした言葉だったが、恋愛小説のコーナーであったため気付かれたのだろうか、先生が少しにやついた顔でこちらを見てくる。
事務所で読んでいれば、いずればれることではあるので隠すつもりはなかったのだが、こういう形でばれるとは思っていなかった。
「先生は何の本を探しているんですか?」
「自分で書いた本の……いわゆる、サクラかな」
「サクラ……?」
「そうそう。出版社に頼まれてね。お堅い本なんだけど、とりあえず手に持って読んでもらわないことには始まらないから、山積みになっている本の場所で、三十分くらい立ち読みしてくれっていう依頼」
「それで、通りすがりの人が読んでくれるんですかね」
「いや~、私はないと思うんだけど……でも、よくあるのよね、こういう依頼」
雑誌に載っているような小説ならともかく、確かに内容が難しい本については、タイトルがよほど興味を引かない限り、手に取ることはない。
私も専門書などは、分かりやすいかどうか立ち読みをしてから決めることはあるが、人が手に取っているかどうかで自分も読むかと言われると、多分ないだろう。
「なるほど……三十分も自分の本を読むのは大変そうですね。お疲れさまでした」
「あ~、まだ終わってないわよ。というか、図書館とか本屋で物色したり、立ち読みしたりすると、なんだかトイレに行きたくなるのよね」
「それは、ちょっと分かるかも。本の独特な匂いでリラックスできるからとか、聞いたことはあります」
本屋に入ったときのこの現象は諸説あるらしいが、直す方法は見つかっておらず、本屋に入るとすぐに催してくるのは困ったものだ。
「せっかく休日に会ったんだし、このあと、例のカレー食べに行くのはどう?」
「いいですよ。先日から口の中がずっとカレーになっていて、早く食べたいと思っていました」
「わかる~。私ももう口がカレーよ。なぜかカレーの味まで出てくるわ」
脳の仕組みというのは不思議なもので、記憶していたものが実際の映像として出てきたり、こういった味すら、なんとなく口の中に蘇ってきたりする。逆に、良い方向に思い出補正されることもあるので、二回目に行ったときにがっかりすることもあるのだが。
*
先生は元から目を付けていたのか、ここ「ターバンカレー」へと一直線に足を運んだ。
昔から人気のようだが、いつも並びがすごくて、一人では躊躇していたとのことだ。
推測だが、一人で待っていると頭の中がカレーでいっぱいになり、長い時間待ちきれないのだと思う。
私は割と本などを読んで待つことができるので苦にすることはないが、お腹が減っているときは、おそらく耐えきれないと思う。
小一時間は待っただろうか。ようやく私たちの番がやってきた。
店の中はこじんまりとしていて数席しかなく、時間がかかる理由が分かる気がした。
この店は、世界で最も大きな川と肥沃な土地を持つターバル国から来た、ヒスイ族という珍しい種族の夫婦が営んでいた。青い肌に、鉱石のようなものを身に持つ特徴的な種族で、しばしば好事家から狙われることもあるらしい。
同時に、彼らの種族はスパイス調理に長けており、世界の愛好家から保護される対象でもある。
そんな話を先生としながら待っていると、頼んでいたカレーが、ついに運ばれてきた。
「わ~、凄いボリュームですね」
私が頼んだのは、タンカレーに、お薦めだという焼き野菜をトッピングしたものだ。色とりどりの野菜が、これでもかと山盛りにのっている。
「こっちも凄いわよ。ゴロゴロと大きな塊の肉がたっぷり入っていて、その上に、香ばしく炙られたチーズがのっているわ」
先生が頼んだのは、ロック牛という種の肉が入ったカレーで、赤身と脂身の配合バランスがよく、最高級とも称される肉の一つだ。
「先生の希望通り、ルーはドロッとしていますね」
「最近流行っているのは、ルーがサラッとしているか、汁を飛ばして具材にスパイスをまとわりつかせたタイプだけど、私は昔ながらの、このドロッとしたルーが好きだわ」
「家庭でも、こういうタイプの方が多いですもんね。私も、施設でよく出されたカレーが一番好きでした」
何気なく口をついて出た言葉だった。先生は「そう」とだけ言って、それ以上は聞かなかった。そういうところが、この人のいいところだと思う。
ルーは、そこまでスパイシーという感じではないけれど、濃厚で複雑な味わいをしている。
まず、タンにスプーンを入れると、驚くほど柔らかく、何の抵抗も感じないまま切れてしまった。
そのまま口に入れると、タンを煮込んだときの独特な風味が先に感じられ、後から濃厚なルーの味と絡み合い、これまでにない素晴らしい味わいをしていた。そして、ほとんど噛む間もなく、とろけるように喉を通り、余韻がいつまでも残る。
「これほど複雑な味が調和しているカレーを、初めて食べました」
顔を上げて、私は固まった。
先生の皿が、すでに空になっていた。
あれだけの量が、あの大きな肉の塊が、どこにも見当たらない。私がタンを一切れ味わっている間の出来事だった。
「先生……もう食べ終わったんですか」
「ん? ああ、美味しくてつい」
先生は、名残惜しそうに皿の縁のルーをスプーンでこそげ取っている。千年を生きた大魔法使いの所作とは、とても思えなかった。
「おかわり、頼んでいいかしら」
「まだ半分以上並んでる人がいますよ」
「じゃあ、エフィのそれ、一口ちょうだい」
「まだほとんど食べてないんですが」
「一口だけ。ね?」
断る間もなく、先生のスプーンが私の皿に伸びてくる。私は反射的に、皿を胸元へ引き寄せた。マムちゃんが果物を守るときと、同じ動きをしている自分に気づいて、少し情けなくなった。
「エフィ。あなた、育てた覚えはないけど、食べ物への執着だけはわたしにそっくりね」
「どちらかというと、マムちゃん経由で先生から伝染した気がします」
「失礼ね。わたしは人の皿は狙わないわよ」
「今まさに狙っていましたよね」
結局、私はタンを一切れだけ差し出した。先生は満足そうにそれを頬張った。
窓の外では、色づいた街路樹の葉が、風にはらはらと落ちている。読書の秋にふさわしい、穏やかな午後だった。
もっとも、私の隣にいる人にとっては、どうやら違う秋が来ているらしい。
デザートを待つ間、先生は幸せそうに頬杖をついて、厨房のほうを眺めていた。その横顔は、どんな稀覯本を前にしたときよりも、生き生きとしている。
「先生。今日は、読書の秋のはずだったんですが」
「あら」
先生は、運ばれてきたデザートに目を輝かせながら、こともなげに言った。
「わたしにとっては、一年中、食欲の秋よ」
この人には、四季がないのかもしれない。
そう思いながら、私は自分のカレーに向き直った。うかうかしていると、これも危ない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回更新は8月11日(火) 20:00更新を予定しています。
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