街灯守りの老人
エルフ×探偵×魔法ミステリです。
日常と事件が交差する、連作短編風の物語になります。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
魔法とは、要するに速さの勝負なのだという。
「魔力を魔素に干渉させて、はじめて魔法は発動するの。この干渉にかかる時間の差が、そのまま練度の差」
事務所のソファに深く沈み込んだレイリア先生が、片手で林檎を宙に放りながら気だるげに言った。窓から差す光に、金色の髪が細く透けている。千年を生きたエルフとはとても思えない、二十歳そこそこの少女のような姿。けれど魔術を語るときの声にだけは、その年月の底がのぞく。
「そこらの有象無象なら、魔素への干渉が始まった瞬間に、火か水か地か風か──どれを使うつもりかまで読めるの。動作も遅いから、その中で何の魔法を放つのかも丸わかり。だから」
「熟練の魔法使いが、練度の低い魔法使いに負けることは、ほぼありえない」
私が言葉を継ぐと、先生は林檎を受け止めて「そういうこと」と頷いた。
先日、学院で魔法の回避方法についての講義を受けたばかりだった。あのときは理屈の輪郭をなぞっただけだったが、こうして改めて聞くと、回避とは結局「相手の干渉を先に読む」技術なのだと腑に落ちる。速く撃つのではなく、速く読む。それが本当の強さらしい。
「じゃあ、先生に勝てる魔法使いなんて、いないんじゃないですか」
「いるわけないでしょ。千年よ、千年。……と言いたいところだけど、達人に至ればほぼ差はないわ。あと大事なのは戦闘経験。湿度が低いと水魔法は時間がかかるし、状況に応じた魔法運用が必要になるから……それにしても、お腹すいたわ」
結局そこへ着地するのが先生だった。私は眼鏡の位置を直しながら壁の時計を見上げる。いつのまにか昼休憩の時間だ。
「エフィ、今日はわたしのおごり」
先生が跳ねるように立ち上がる。おごり、という言葉に私はわずかに身構えた。この人が自分から財布を出すのは、たいてい食べたいものが先にあるときだ。
「黒星子の担々麺。あの黒いゴマの、香りの濃いやつ。あれが食べたくて仕方ないの」
やはり、と思ったが口には出さなかった。芳醇な香りが評判のあの店の担々麺は、確かに私も嫌いではない。マムちゃんの皿にご飯を足してやってから、私は先生の後を追った。
*
通りは昼の光でよく乾いていた。人の流れをかき分けながら店へ向かう途中、先生がふと足を止めた。
視線の先に、一人の老人がいた。
背を丸め、通りの端に立つ街灯──魔道具の街灯に、片手をそっと当てている。指先から、ごくかすかに魔力が流れているのが見て取れた。生活用の魔道具に魔力を充填する、それ自体は珍しい光景ではない。けれど、その手つきがどこか丁寧すぎた。壊れ物を扱うような、あるいは古い友人の肩に手を置くような。
「……見たことある顔ね、あの人」
先生が眉を寄せて呟く。誰、と問い返す前に、先生はもう歩き出していた。私は慌てて続く。
「ちょっと。おじいさん、それ、何をしてるの?」
先生の声に、老人がゆっくりと振り向いた。落ち窪んだ目が、私たちを見ているようで、どこも見ていないようだった。
「……ああ。……灯りが、ね。灯りが、消えないように」
「消えないように?」
「そう。……そうだったかな。……いや、どうだったか」
老人の言葉は、途中でほどけて消えていく。何を尋ねても、返ってくるのは輪郭のぼやけた相槌ばかりだった。自分が何をしているのか、当人にも分かっていない──そんな印象を受けた。やがて老人は、私たちの存在すら忘れたように、ゆっくりと通りの奥へ歩き去っていった。
先生は、その背中をしばらく黙って見送っていた。
「先生」
「……うん」
声だけ返して、先生は街灯に歩み寄った。指先で表面をなぞり、それから目を細める。私も横に並んで覗き込んだが、私の目には何の変哲もない街灯にしか見えない。
「魔力が、たっぷり充填されてる」
先生が言った。
「それだけじゃない。魔力回路が、きれいに掃除されてる」
「掃除、ですか」
「魔力回路はね、塵や埃が入ると魔力の通りが悪くなるの。人間の血管に汚れが詰まるのと同じ。放っておけば、灯りはだんだん暗くなって、いずれ点かなくなる」
先生は街灯の根元をそっと叩いた。
「この街灯は、その逆。まるで新品みたいに手入れされてる。……あのおじいさんが、やったのね」
担々麺のことは、いつのまにか二人とも口にしなくなっていた。
*
結局その日、店には寄らなかった。
街灯を隅々まで調べても、それ以上のことは何も出てこなかった。魔力の残滓から老人のものらしき痕跡はたどれたが、それが誰なのかまでは分からない。犯罪の匂いがあるわけでもない。ただ、老人が街灯をひとつ、丁寧に世話していた。それだけのことだった。
それだけのこと、のはずだった。
けれど先生は、めずらしく引き下がらなかった。近くの店先や家の戸を叩いては、あの老人について尋ねて回った。
「ああ、あのおじいさんね」
乾物屋の女将が、思い当たった顔をした。
「よく見かけるよ。いつも同じくらいの時間に、通りを歩いてる。なんだか、あちこち確かめながら歩いてるみたいでねえ。街灯だったり、路地の奥だったり。──でも、誰かに何かするわけじゃないし、悪いことをしてるふうでもないから、みんな気に留めてなかったよ」
「同じ時間に、同じ道を」
先生が繰り返す。
「そうそう。律儀なもんだよ。雨の日でもね」
女将に礼を言って、私たちは通りに戻った。日はもう傾きかけている。
「先生」
私は尋ねた。
「これは、事件……なんでしょうか」
先生は答えなかった。傾いた光の中で、遠く、あの街灯を見つめていた。
「わからない」
やがて、先生は静かに言った。
「でもね、エフィ。あの手つき。あれは、ただの手入れじゃなかった」
その横顔が何を思っているのか、私には読めなかった。ただ、先生が「見たことのある顔」と呟いたことだけが、胸の奥に小さく残っていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回更新は7月16日(木) 20:00更新を予定しています。
続きが気になった方は、ブックマークや評価をいただけると励みになります




