閑話:エフィの休日――魔法学院の一日――
エルフ×探偵×魔法ミステリです。
日常と事件が交差する、連作短編風の物語になります。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
「ふわ〜、やっぱり広いなあ。講堂の場所を探すだけで、一苦労だ」
レイリア先生の勧めもあって、今日は魔法学院のオープンキャンパスに来ている。
とはいえ、どの講義にも参加できるわけではない。私が受けられるのは、魔法の歴史や、魔道具の使い方、魔法の回避法といった――実際に魔法を習得するもの以外の講義だけだ。魔法教育を受けていない一般人に、魔法そのものを教えるわけにはいかない、ということらしい。
今日、私が参加するのは、魔法の回避方法についての講義だった。何かあったときに身を守れるように、と先生が選んでくれたものだ。それに、私自身にも、以前から気になっていたことがある。先生が戦闘のとき、相手の魔法を先読みして、寸前で対抗魔法を張ってみせる――あの芸当が、いったいどういう原理で成り立っているのか。それを、一度きちんと知ってみたかった。
それにしても、まだ十時だというのに、食堂のほうから、もう良い匂いが漂ってくる。学生の数だけでも相当なのに、外部からの客まで押し寄せる人気ぶりだ。この時間から仕込んでおかなければ、とても昼には間に合わないのだろう。
講堂に着くと、その広さに驚いた。ゆうに百人は入るだろうか。講師の教授を中心に、扇形の席が階段状にせり上がり、そこに、ところ狭しと学生が座っている。
学院には不真面目な生徒も少なくないと聞いていたが、ここにいる誰もが、真剣な顔で講義に臨んでいた。こうして席を並べて一緒に聴いていると、私の中の学院への印象が、少しずつ変わっていくのを感じる。
「魔法とは、術者の持つ魔力と、そこかしこに満ちる魔素とを介在させ、具現化させる技術です。一般には、魔力を出しやすい手から発動することが多く――」
教授の説明は、明快だった。
魔法を放つとき、術者は、繰り出したい魔法に合わせて手を動かす。だから、その動作を見れば、相手が何の魔法を使おうとしているのかが読める。加えて、土・水・火・風の四元素は、それぞれ干渉する対象が異なるため、魔力が魔素に混じり合う、まさにその瞬間に、どの系統の魔法かを見分けられるのだという。
いちばん分かりやすいのは、土魔法だ。土に干渉するには、地面に手をつく必要がある。風魔法のウィンドエッジなら、薙ぐように腕を振るう。動作そのものが、これから起きる現象を、先に告げてしまうわけだ。
「ただし、よく似た動作の魔法も、少なくありません。相手が次に何を放つのか――それを常に想定しながら動く、その経験の積み重ねこそが、肝要なのです」
さらに、と教授は続けた。軍用の魔法ともなれば、殺傷力を高めるために、風と火を掛け合わせるような複合魔法が使われることも多い。そうなると、見極めの難易度は跳ね上がる。
聞きながら、私は、先生の戦い方を思い返していた。
先生は、事件に踏み込む前、いつも相手のことを、できる限り調べ上げる。どの系統の魔法の使い手なのか。癖はあるか。そうして得た手札を胸に、戦闘へ入っていく。あらかじめ知っているからこそ、相手の動作の、そのわずかな兆しを読んで、先回りできるのだ。あの、魔法のように見えた芸当の正体は――地道な下調べと、積み上げた経験の、賜物だったらしい。
一日、講義を受けてみて、濃い時間だったと思う。
もちろん、これだけで実戦に出られるはずもない。けれど、知っているのと知らないのとでは、天と地ほどの差がある。この先も先生についていくつもりなら、いっそ、きちんと学院に通うべきなのだろうか――
まあ、それは、追い追い考えるとして。
今日の二つ目の目的は、別にある。
学院の奥に、馬術競技場や牧場があることは、以前から知っていた。けれど今日、私が目指しているのは、そのどれでもない。この学院には、なんと、ドッグパークなるものがあるらしいのだ。
魔獣が跋扈するこの世界では、一度人に飼われた犬は外に放たれてはもう生きていけない。そうした犬たちを保護する学院のサークルがあって、その活動の場がドッグパークだという。
先に白状しておく。
私、エフィは可愛いものにめっぽう弱い。とりわけ、モフモフしたものときたらもう理性が保てない。ドッグパークには、きっと様々な犬がいるのだろう。それはもう、私にとっては天国も同然だった。
足早に向かってみると、そこは思った以上に広かった。いくつもの区画に分かれ、たくさんの犬が思い思いに過ごしている。私が真っ先に飛び込んだのは、小型犬の区画だ。
そこには、チワワやポメラニアンといったおなじみの犬たちに混じって、クラウド・ビションやフォレストコーギーなど、魔獣に近い血を引く珍しい種の姿もあった。
そしてその一角に――ほのかに光を放つ、一匹の子犬がいた。
サンシャイン・スピッツ、という犬種らしい。陽だまりの高原に棲むと言われ、その体はいつも淡い光をまとって、周りをあたたかく包み込む。人懐っこいのか、私に気づくと、すりすりと寄ってきた。毛並みは、雲のようだと称されるだけあって、見るからにふわふわだ。この子と一緒に眠ったら、いったいどれほど気持ちがいいだろう。
「ほわ〜、なんて可愛いの〜」
サンシャイン・スピッツは、ころんとへそ天になって寝転がると、「お腹を掻いて」と言わんばかりの、あざとくも可愛らしい顔で、こちらを見上げてきた。
こうなると、もう、我慢などできるはずがない。私は本能の赴くまま、その柔らかなお腹を掻きむしった。
「ほれほれ〜、ここがいいのか? ここが気持ちいいのか?」
サンシャイン・スピッツは、きゅうん、と甘い声で鳴いて、光る尻尾をぱたぱたと振った。腹を掻くたびに、体の光が、ふわりと明るくなる。まるで、気持ちよさが、そのまま光になって溢れ出しているみたいだ。指のあいだを、雲みたいな毛が、さらさらと流れていく。
だめだ。もう、だめだ。
「かわいいねぇ〜〜〜。君はどうして、そんなに可愛いのかな〜? お顔も可愛い、お腹も可愛い、光ってるところも可愛い。全部可愛い。百点満点。いや、一万点」
自分でも驚くほど、声が高くなっていた。日ごろ、事務所では努めて冷静に、感情を表に出さないようにしている。依頼人の前で取り乱すわけにはいかないし、先生の隣に立つ助手として、しっかりしていなければ、といつも思っている。
けれど、可愛いものの前では、その努力は、一枚残らず剥がれ落ちる。
これだけは、どうしようもないのだ。可愛いものを前にすると、私の中の何かが、決壊する。子供の頃から、そうだった。孤児院で猫を拾ってきては、院長先生に叱られていた。
「エフィ、あなたは普段あんなにしっかりしているのに、どうして生き物のことになると、人が変わるの」と。
変わるのではない。もしかしたら、こちらが、本当の私なのかもしれない。
「よーし、よし。こっちおいで。抱っこしてあげよう。おいで〜」
サンシャイン・スピッツは、ころんと起き上がると、短い足で一生懸命こちらへ駆けてきて、私の膝の上に、ぽふん、と収まった。あたたかい。ほんのりと、日なたの匂いがする。腕の中で、光る毛玉が、幸せそうに目を細めていた。
「ああ〜〜〜」
私は、言葉にならない声を漏らした。もう、この子を置いて帰るなんてできる気がしない。この子と暮らせるなら、私はどんな依頼だって引き受ける。事務所の家賃だって倍払ったっていい。
「連れて帰りたい……いや、だめだ、だめだけど……でも……」
膝の上の子犬に、額をすり寄せて、うんうんと唸っていたときだった。
「――エフィ?」
背後から、聞き慣れた声がした。
心臓が、跳ねた。
ゆっくりと、油の切れた蝶番みたいに、首だけで振り返る。
そこには、レイリア先生が立っていた。腕を組み、片方の眉を器用に吊り上げて、じっとこちらを見下ろしている。その顔には、ありありと「呆れ」と書いてあった。
「あなた、講義はどうしたの。終わったら感想を聞かせてって言ったら、ドッグパークに直行してたわけ?」
「せ、先生。これは、その」
「膝の上の、それは?」
「……サンシャイン・スピッツ、です」
私は、観念して、正直に言った。ごまかせるような状況ではない。膝の上では、光る子犬が、初対面の先生に向かって、無邪気に尻尾を振っている。
先生は、深々と、ため息をついた。
「まったく。普段はあんなに澄ました顔をしているくせに。依頼人の前じゃ眉ひとつ動かさないあなたが、犬一匹で、こんな……」
先生のお説教が始まる。私は膝の上の子犬を抱いたまま、しゅんと肩をすぼめた。ああ、やってしまった。オープンキャンパスの感想を聞かせる約束も、すっかり頭から抜けていた。助手として、これは、あるまじき失態で――
「……で。その子、どこで触らせてもらえるの?」
「え?」
顔を上げると、先生は、もうこちらを見ていなかった。
先生の視線は、私の膝の上の子犬に――いや、正確には、その光る毛並みに、釘付けになっていた。組んでいたはずの腕は、いつのまにかほどけて、指先が、そわそわと動いている。あの、食べ物を前にしたときと、まったく同じ目だった。
「せ、先生も、触りたいんですか」
「べ、別に。ただ、珍しい犬種だから、研究者として、生態に興味があるだけよ。学術的な関心。それ以上でも、以下でもないわ」
言っている間にも、先生は、もう膝を折って、しゃがみ込んでいた。おそるおそる、光る子犬に手を伸ばす。サンシャイン・スピッツは、新しい人間の手を、くんくんと嗅いで――それから、先生の指を、ぺろりと舐めた。
先生の、顔が、崩れた。
「……っ、な、なにこの子。あたたかい。ふわふわ。ずるいわ、こんなの。反則よ」
先生は、もう、取り繕うことすら忘れていた。両手で子犬を抱き上げ、頬ずりして、蕩けきった顔をしている。千年を生きた大魔法使いの威厳は、光る毛玉の前で、跡形もなく溶けて消えた。
「せ、先生。さっき、私に呆れてませんでした?」
「呆れてないわよ。これは、呆れるほうが、どうかしているの。こんなに可愛いんだもの。触らないほうが、罪だわ」
もはや、開き直っていた。
けっきょく、私たちは二人並んで芝生に座り込み、日が傾くまで、光る子犬を代わる代わる撫で回した。感想の報告も、今日二つ目の目的が何だったのかも、すっかりどこかへ行ってしまった。
「先生」
「なぁに」
「私たち二人とも、だめですね」
「そうね。でもいいのよ。今日くらいは」
先生は、子犬のお腹に顔を埋めたまま、くぐもった声で言った。その横顔が、あんまり幸せそうだったので、私は、もう何も言えなかった。
夕暮れのドッグパークで、光る毛玉ひとつに骨抜きにされた探偵と助手が、二つ。
――この日のことは、事務所に戻っても、お互い、暗黙の了解で、口に出さないことにした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回更新は7月14日(火) 20:00更新を予定しています。
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