再構成
エルフ×探偵×魔法ミステリです。
日常と事件が交差する、連作短編風の物語になります。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
許可証が下りるまでに、三日かかった。
王都の発行した立ち入りの許可証と、知り得た秘匿情報を一切外に漏らさないという、法務院の作った契約書。その二枚を懐に、レイリア先生と私は、ふたたび研究棟の前に立っていた。
「気が重いわ」
先生は、いつものぼやきを口にした。けれど、今日のそれには、お茶菓子の話をしていたときのような軽さはなかった。
転移魔法の研究室は、研究棟の奥まった一角にあった。扉をノックすると、しばらくして、くぐもった声が「どうぞ」と返ってくる。
中は、想像していた通りの研究室だった。本が、床から天井まで積み上がっている。紙の束が机という机を埋め、インクと古紙の匂いが、部屋にこもっていた。その中央に、一人の男が座っていた。
黒い短髪に、細長い顔。眼鏡の奥の目は、こちらを値踏みするように細められている。白衣の襟元まできちんと留めた、几帳面そうな男だった。メルディウス、と名乗った。
「探偵のレイリア先生に、わざわざお越しいただけるとは。光栄ですな」
口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。
「実験室を、見せていただきたいの」
先生は前置きを省いた。メルディウスの眉が、わずかに動く。
「それは、難しい。転移魔法は、いま最先端の分野です。実験室には、まだ世に出していない技術がいくつもある。部外者にお見せするわけには――」
「これでも?」
先生は、許可証を取り出して、机に置いた。続けて、契約書も。
「王都の許可証よ。それに、知ったことは口外しないという、法務院の契約書も用意してきたわ。これで、見せられない理由はなくなったかしら」
メルディウスは、二枚の書面を、長いこと見つめていた。眼鏡の奥の目が、せわしなく文面を往復する。やがて、彼は薄く息を吐いた。
「……仕方がありませんな。どうぞ、こちらへ」
その引き際の早さが、かえって私には引っかかった。本当に隠すものがあるなら、人はもっと粘るのではないか。それとも――隠すべきものは、もう、消してしまった後なのか。
実験室は、研究室の奥の扉の、さらに先にあった。
メルディウスが鍵を回し、扉を開ける。中へ足を踏み入れた瞬間、私は、息を呑んで立ち止まった。
棚が、壁という壁を埋めていた。その棚に、ずらりと、硝子の容器が並んでいる。透明な液に満たされた容器の中で、揺れているもの。動物の、臓器。そして――まぎれもない、人の、手や、指や、その他の部位。ホルマリン漬けにされた、人体の断片だった。
部屋の反対側には、檻が積まれていた。中で、何かが身じろぎする気配がある。獣の、低い唸り。
「……これは」
私の声が、震えた。
「落ち着いて、エフィ」
先生が、静かに言った。
「研究のために、自分の死後、肉体を提供する人は珍しくないわ。きちんと届け出をして、本人の同意のもとで使われるなら、これは違法でも何でもない。医学も、魔法学も、こういう犠牲の上に積み上げられてきたの」
「その通り」
とメルディウスが、よどみなく引き取った。
「転移魔法は、物質を分子の単位まで分解し、再構成する技術。生体の構造を知らずして、語れるものではありません。動物実験も、そのために行っております。何ら、やましいことはありませんよ」
筋は、通っていた。表向きは。
私は、まだ早鐘を打つ胸を押さえて、なんとか頷いた。きちんと届け出をして、同意のもとで――そう聞けば、確かに、これは研究の風景なのかもしれない。
けれど、レイリア先生は、頷かなかった。
先生は、ゆっくりと檻のほうへ歩いていく。一つ、また一つと、中の獣を確かめるように覗き込んでいく。そして、ある檻の前で、足を止めた。
「メルディウス教授」
先生の声が、低くなった。
「この子たちは、何かしら」
「動物実験用の、検体ですが」
「嘘ね」
先生は、檻を指さした。
「これは、動物実験に使ってはいけない種よ。法で、はっきりと禁じられている。それに――よりにもよって、なぜこの種なの? 普通の動物実験なら、もっと扱いやすい種がいくらでもいる。あなたが、わざわざ法を破ってまでこの種を選んだ理由は、一つしかない。この種は、生体の構造が、人に近いの」
先生は、ゆっくりと棚のほうへ視線を移した。ホルマリン漬けの、人体の断片へと。
「あなたは、動物だけを相手にしているんじゃない。動物で精度を上げながら――もう、人間でも試している。違う?」
部屋の空気が、凍りついた。
「想像力が豊かでいらっしゃる」
メルディウスは、薄く笑った。
「しかし、それは憶測でしょう。証拠が、どこに?」
「証拠なら、あの焼却炉が教えてくれたわ」先生は、振り返らずに言った。「あれは、ごみを燃やす炉じゃない。火は、ただの見せかけ。あの装置の本当の役割は、送り先を設けない転移――物を、分子の単位まで分解して、そのまま霧のように散らし、跡形もなく消し去ること。転移魔法を、消すためだけに応用したのね」
私は、ようやく繋がりが見えた気がした。あの細い管。実験室から、焼却炉へと伸びていた、あの管。
「あなたは、生体の転移を繰り返している」
先生は続けた。
「分解して、送って、再構成する。でも、生体の再構成は、必ず失敗するの。一度分子にまでほどいた命を、寸分違わず元通りに組み立て直すなんて、できはしない。だから、送り先に現れるのは――組み上がりきらなかった、無残な何か。あなたは、その失敗作を、あの管を通して炉へ送り、分子の塵にして消してきた。灰の一粒も残さずにね。証拠が出てこないのは、当たり前。あなたは、最初から、証拠の残らない消し方まで、用意していたんだもの」
「……ほう」
メルディウスの声に、初めて、温度のようなものが混じった。怒りでも、恐れでもない。むしろ――感心、に近い響きだった。
「お見事です。しかし、推測の域を出ませんな。あの炉の中身は、もう何も残っていない。あなた自身が、火を消して、確かめたはずだ。何も、なかったでしょう?」
「ええ、何もなかった。でも、魔力の残滓は、しっかり残っていたわ」
それは、嘘だった。残滓は確かにあったが、炉そのものの魔力と区別がつかず、何も証明できていない。けれど先生は、眉ひとつ動かさずに、言ってのけた。
「学院の魔導士に頼んで、あの残滓を解析してもらったの。最後に消した失敗作が、何だったのか。もう、分かっているのよ」
その瞬間だった。
メルディウスの顔から、薄笑いが消えた。
「――馬鹿な。あの炉で、残滓が残るはずがない」
言ってしまってから、彼は、自分の失言に気づいたようだった。けれど、もう遅い。
部屋に、長い沈黙が落ちた。
「残るはずがない、ね」
先生は、静かに繰り返した。
「炉が、何もかも完全に消し去る装置だと知っている人間にしか、言えない台詞だわ。――ありがとう、教授。あなたが、自分で認めてくれた」
メルディウスは、しばらく、棚のホルマリン漬けを見つめていた。やがて、彼は、ふっと肩の力を抜いた。観念したのではない。もっと、ぞっとするものだった。彼は、笑っていたのだ。
「惜しかった」
と、彼は言った。
「あと少しだったのですよ。あと少しで、生体の再構成は、成功するはずだった。分解は、完璧なのです。送ることも、できる。問題は、組み立て直すときの、ほんの僅かな情報の欠落。送り先に現れるものが、いつも、ほんの少しだけ、元と違う。それさえ埋められれば――私は、魔法学の歴史を、塗り替えられた」
「何人、殺したの」
先生の声は、氷のようだった。
メルディウスは、その問いを、まるで的外れな質問のように聞いた。
「殺した? いいえ。実験です。前人未到の証明には、相応の手順が要る。動物では、どうしても埋まらない差があった。人で試すのは、必然でしょう。届け出のない検体が、多少――」
「多少、ですって」
私は、思わず叫んでいた。叫んでから、自分の声に驚いた。けれど、止まらなかった。
「人を、人を、手順だなんて。あなたは、何とも思わないんですか。命を、分解して、消して、それで――」
「思いませんな」
メルディウスは、本当に、不思議そうだった。罪悪感も、ためらいも、その顔には欠片もない。ただ、達成できなかった研究への、純粋な未練だけがあった。それが、何よりも恐ろしかった。彼にとって、人の命は、偉業のための材料でしかないのだ。最初から、ずっと。
「いい加減に、しなさい」
レイリア先生が、一歩、前に出た。
その瞬間、メルディウスが動いた。彼は、机の上の何か――小さな魔道具を掴み、起動しようとした。何の装置かは分からない。けれど、その手が完成するより、ずっと早く。
先生が、手をかざした。
風が、唸りを上げて部屋を走った。メルディウスの体は、見えない奔流に押されて壁際まで吹き飛び、魔道具は、彼の手を離れて床に転がった。彼が立ち上がろうとするより早く、土の魔法が床から這い上がり、彼の手足を、枷のように絡め取る。
それで、終わりだった。
戦いと呼ぶには、あまりにあっけない。たった数秒。けれど、その数秒で、先生はすべてを制圧していた。千年の力の前では、彼の悪あがきは、子供のそれにも満たなかった。
衛兵が来るまでの間、メルディウスは、床に縫い止められたまま、独り言のように呟き続けていた。組み立て直すときの、情報の欠落。あと少し。あと少しだったのに。最後まで、彼の頭にあったのは、消した命のことでも、罪のことでもなく、未完の研究のことだけだった。
実験室を出ると、廊下の空気が、やけに澄んで感じられた。
「先生」
私は、まだ少し震えている声で、尋ねた。
「あの人は、どうして、あそこまでできるんでしょう。何の罪悪感も、なく」
先生は、すぐには答えなかった。長い廊下を歩きながら、しばらく、考えているようだった。
「知りたい、という気持ちはね、エフィ。それ自体は、悪いものじゃないの。世界を前に進めてきたのは、いつだって、その気持ちだった」
先生は、窓の外へ目をやった。
「でも、それが、人の心を置き去りにしたとき。知ることそのものが、目的になって、そのために何を踏みつけても構わないと思ったとき。――あれは、ああいうものに、なるの。いちばん尊い気持ちが、いちばん恐ろしいものに化けるのよ」
私は、ホルマリンの棚を思い出して、また少し、寒気がした。
「ねえ、エフィ」
先生が、ふと立ち止まった。その横顔は、いつになく、遠くを見ているようだった。
「生体の転移を試した研究者は、あの男が、最初じゃないわ。きっと、最後でもない。同じ禁忌に手を出した者は、これまでにもいた。――もしかしたら、私の知っている誰かも」
その言葉の意味を、私はうまく掴めなかった。先生の声に滲んでいたものが、ただの感慨ではないことだけは、なんとなく分かった。けれど、それを問い返すのは、なぜか、ためらわれた。
「……何でもないわ。忘れて」
先生は、首を振って、また歩き出した。そして、いつもの調子で、少しだけ無理に、明るく言った。
「さあ、帰りましょう。――こういう日はね、甘いものに限るの。学食のプリン、まだ間に合うかしら」
その背中を追いながら、私は、思った。先生がああして、わざと食べ物の話に逃げるとき。それはたいてい、本当は、何か重たいものを、一人で抱えているときなのだと。
私は、それ以上は何も訊かず、ただ、先生の隣に並んで歩いた。澄んだ廊下を、二人で。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回更新は7月9日(木) 20:00更新を予定しています。
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