魔法研究の仕事
エルフ×探偵×魔法ミステリです。
日常と事件が交差する、連作短編風の物語になります。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
「気が進まないわ」
朝の事務所で、レイリア先生は外套を羽織りながら、子供みたいにそう言った。
「魔法に関する話は興味があるのだけど、答えのない難しい話を、難しい顔で、延々とされるのよ。お茶菓子くらいは出るかもしれないけれど、ああいう場所のお茶菓子って、たいてい湿気ているの。乾きすぎた焼き菓子。経験則よ」
「先生。今日は、こちらからお願いした話じゃありません。先方が、わざわざお詫びとお礼に、と」
魔法学院の、あの教授からの招待だった。前回の騒動――研究室の掲示が事件の引き金に見えてしまった、あの一件のあとである。教授にしてみれば、自分の研究が誤解されたまま終わるのは、さぞ据わりが悪かったのだろう。
そして、もう一つ。学院に興味を持ったのは、ほかでもない私だった。あの巨大な敷地と、世界一の学食と、構内に渦巻く膨大な知。一度足を踏み入れただけで、私はあの場所に、すっかり当てられてしまっていたのだ。
「エフィがそう言うなら、行くけれど」
先生はため息をついて、それから少しだけ、ばつが悪そうに付け足した。
「……学食には、寄りましょうね。今日は焼肉定食じゃなくて、海鮮丼の気分なの」
結局のところ、先生の腰を上げさせたのは、お詫びでもお礼でもなく、二つ目の学食メニューだったのかもしれない。
教授の研究室は、研究棟の三階にあった。湿気た焼き菓子の予言は外れて、出されたお茶菓子は、思いのほか上等な木の実の焼き菓子だった。先生が二つ目に手を伸ばすのを横目に、教授は穏やかに話し始めた。
「まずは、先日のことを。私の掲示が、あのような騒ぎの呼び水になってしまい――」
「お気になさらず。先生の研究に、罪はありません」
レイリア先生は、菓子を頬張ったまま、あっさりと言った。教授はかえって恐縮した様子で、それから、自分の研究について語り出した。
聞いていて、私は自分の思い込みを少し恥じた。教授の研究室は、魔法そのものを編み出す場所ではなかった。扱うのは、魔法の歴史。魔法を用いた軍事の戦略。魔法と法のあり方。そして――先日のような、「すべての民が魔法を使えることは、はたして善いことなのか」という、答えの出ない問い。
「我々がやっているのは、魔法が善か悪か、と裁くことではないのです」
と教授は言った。
「魔法という力と、人の社会が、どう折り合っていくか。それを考えるための学問でしてね。文系の、地味な研究室ですよ」
「だからこそ、価値があるのよ」
先生は、三つ目の菓子を諦めて、まっすぐに教授を見た。
「力の使い方を考える人間が、力を生み出す人間と同じだけいないと、世界は危うい。あなたのような研究室は、もっと評価されるべきよ」
教授は、面映ゆそうに笑った。レイリア先生はあらゆる学会に顔を出しているから、当然この教授のことも知ってはいたが、こうして言葉を交わすのは初めてなのだという。
話のついでに、と教授は、学院でいま盛んな研究のことを、私にも分かるように教えてくれた。中でも、近ごろ最も注目を集めているのが、転移魔法だという。
「転移、ですか。ものを、遠くへ送る魔法?」
「ええ。原理は、こうです」
教授は、机の上の木の実を一つ手に取った。
「まず、送りたいものを、魔素を介して分子の単位にまで分解する。火でも土でもなく、物質そのものを、いったんばらばらに解きほぐすのですな。そして、送り先で、その分子を再び組み立て直す。――理論上は、これで、ものは別の場所へ移る」
「そんなことが、できるんですか」
私は、思わず身を乗り出した。ものを分子に分けて、また組み立てる。話だけ聞けば、まるで奇跡のようだ。
けれど、隣を見て、私は口をつぐんだ。
レイリア先生は、いい顔をしていなかった。菓子を食べる手も止まっている。穏やかに教授の話を聞いてはいたが、その瞳の奥に、ひやりとしたものが差しているのを、私は見逃さなかった。
「……理論上は、ね」
先生は、低くそう繰り返しただけだった。
教授も、その含みに気づいたらしい。少し声を落として、続けた。
「研究者にも、いろいろおりましてね。知りたいという欲は、時に、善悪の境を飛び越えてしまう。手段を選ばぬ者も、いないわけではない。――まあ、これは、どこの世界でも同じことでしょうが」
それが、誰のことを指しているのか。教授は、それ以上は言わなかった。
ちょうどそのとき、窓の外が、にわかに騒がしくなった。
人の声と、ざわめき。研究室の窓から見下ろすと、研究棟のすぐ横――ごみを焼く焼却炉のあたりに、人だかりができはじめている。誰かが、鼻と口を手で覆っていた。
「異臭騒ぎのようですな」
と教授が眉をひそめた。
「あの焼却炉は、学院の出すごみを燃やすためのもので、最近できたのですが……たまに、妙な匂いを出すことがあって」
先生は何か嫌な気配を感じ取ったのか、もう立ち上がっていた。
窓を開けると、風に乗って、匂いが微かに届いた。私は、その匂いに、覚えがあった。
肉の、焼ける匂いだ。
けれど、学食で嗅いだあの香ばしさとは、まるで違う。もっと重く、脂っぽく、どこか――嗅いではいけないものを嗅いでしまった、と本能が告げるような匂いだった。
「先生……」
「行きましょう」
先生の声から、お茶菓子の話をしていたときの呑気さは、すっかり消えていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回更新は7月2日(木) 20:00更新を予定しています。
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