閑話:学院の食堂はおいしい(再)
エルフ×探偵×魔法ミステリです。
日常と事件が交差する、連作短編風の物語になります。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
事件が片付いた、その翌日のことだった。
「エフィ。昨日の約束、覚えてる?」
朝、事務所に顔を出すなり、先生はそう切り出した。約束、と言われても、心当たりは一つしかない。
「学食、ですか」
「そう。世界一おいしい学食。結局あの日は、何も食べられなかったでしょう? これは、果たされるべき約束なの」
先生は妙に厳かな顔で、そう宣言した。事件の解決報告より、よほど真剣な顔だった。
そういうわけで、私たちはふたたび魔法学院の門をくぐった。
王都の魔法学院は、端から端まで歩いて十五分はかかるほど、巨大な敷地になっている。昨日とは打って変わって、構内には穏やかな昼の空気が流れていた。生徒たちが連れ立って歩き、どこかの講堂から、誰かの詠唱の練習が、間延びした調子で漏れ聞こえてくる。
「しかし、本当に広いですね。敷地の端が、見えないです」
「でしょう? 一番奥には、馬術場やプールなんかもあるのよ」
「学校に馬もいるんですか!? でも、これだけ広いと、休憩時間内に移動が間に合わないんじゃ……」
聞けば、プールの授業のあとに反対側の講堂へ向かうには、皆走らないと間に合わないらしい。確かに、着替えの時間まで考えれば、休憩時間の二十分ではきつすぎる。授業は選択制とはいえ、体育系の科目も取らねばならず、それなりに人数もいるのだという
。
学院の食堂は、三つある。一つは職員用、残り二つが学生用だ。どの食堂も一般に公開されているが、それぞれ別の場所に配置されていて、例の人気のある食堂は、入り口から入って左手の建物の二階にあった。この食堂はあまりに人気で、値段は違うものの、同じ味の支店が町中にできてしまったほどだという。
「食堂の他にも、いろいろあるんですね。カフェにファストフード、それに……あれは、美容院ですか? ここで暮らせそうですね」
「大体のものは、この学院で揃っちゃうのよね。これだけあるのは、学院寮が近くにあるのも理由の一つだけど」
食堂以外は、おおむね町中の店と同じ価格帯らしい。けれど、学校が終わってからでは、町中の店はもう閉まっているかもしれない。研究などをしていれば帰りも遅くなる。それらをここで済ませられるのは、学生にとってよほど便利なのだろうと思う。
食堂の中はかなり広々としていたが、席はほとんど埋まっていた。オープンテラスはもちろん、食堂へ至る階段に腰かけて食べている人、芝生に座って食べている人まで、大盛況といった様子だ。
「これは、席を取るのも大変ですね」
「せっかくだから、受け取ったら外で食べましょう。ここのお薦めは、焼肉定食よ」
まるで、いろいろなものを食べ尽くしてきたかのような言い方だった。
そういえば、この食堂は週末は閉まっていて、開いているのは昼から夕方まで。仕事を終えてからでは、到底来られるような時間ではない。
「先生。まさか、仕事と称してここに通っていないでしょうね……?」
「エフィ。細かいことはいいから、さっさと並びましょう。人気の定食は、それほど待ってはくれないわよ」
今思えば、昼の休憩より前に出かけていく日が、何度かあった気がする。てっきり仕事だと思っていたが――まさか、事務所をほっぽって、ランチに来ていたのではなかろうか。後で問い詰めなければ。
何を頼もうか、ディスプレイを眺めていると、香ばしい匂いが漂ってきた。
肉の脂が、高い熱で焼ける、あの匂いだ。甘く焦げた醤の香りがそれに重なって、空気そのものに味がついているかのように漂ってくる。お腹のあたりを、直接掴まれるような匂い。隣を見れば、先生はもう、鼻をひくつかせて目を細めていた。
「……これよ、これ。焼肉定食」
先生は、迷う素振りすら見せなかった。
券を買い、しばらく待つ。やがて運ばれてきたそれを見て、私は思わず息を呑んだ。
黒く焼けた鉄板が、まだじゅうじゅうと小さな音を立てている。その上に盛られているのは、学生が魔力を込めて育てた作物を食べて育つという、世界的にも名の知れたブランド牛の肉だ。それが薄く広く切られ、惜しげもなく重なり合って盛られている。表面はこんがりと飴色に焼け、ところどころに焦げ目がついて、てらてらと脂を光らせていた。鉄板の熱でいまだに脂がはぜ、肉の縁が、生きているみたいに、ちりちりと縮んでいる。
絡んでいるのは、こちらも学院特製の醤。醤油と、すり下ろした果実と、香味野菜を、魔道具でじっくり煮詰めて作る秘伝のたれだという。それが熱い鉄板に落ちて、焦げて、白い湯気とともに、あの甘辛い匂いを次から次へと立ちのぼらせている。
添えられた炊き立ての白米は、つやつやと粒が立っていた。汁物の椀からは、根菜のやさしい湯気。小鉢には、箸休めの浅漬けが、涼しげな緑色で控えている。
「いただきます」
先生の言い方は、いつになく神妙だった。
最初の一切れを白米の上に乗せ、たれを少しまとわせて、口へ運ぶ。
その瞬間の先生の顔を、私は一生忘れないと思う。
かっと見開かれた目。次いで、とろけるように細められる瞳。先生はしばらく、噛むことすら忘れたみたいに、ただ味わっていた。やがて、ゆっくりと咀嚼を始める。一噛みごとに、肉から脂が、たれが、じわりと滲み出しているのが、見ているこちらにまで伝わってくる。
「……ん〜〜〜っ」
千年を生きたエルフの口から漏れたのは、言葉にすらなっていない、けれど何よりも雄弁な声だった。
「あかん。これ、ダメなやつ」
「ダメなんですか」
「おいしすぎて、ダメ。脂がね、しつこくないの。さっと溶けて、舌の上で甘くなって、すうっと消える。それなのに、肉の味だけは、ちゃんと残っているの。たれの焦げた香ばしさが、その後ろからふわっと追いかけてきて――ああ、もう、白米が止まらない」
言うが早いか、先生はもう次のひと切れを白米に乗せていた。肉、米、肉、米。合間に汁物をすすり、浅漬けで口を涼やかにして、また肉。その循環が、見事なまでに途切れない。鉄板の上で焼かれ続けている肉は、時間が経つほどにたれが煮詰まって、縁が香ばしくなっていく。先生はそれすら計算しているみたいに、焦げの進み具合を見ながら、絶妙な頃合いで口へ運んでいた。
私も、ひと切れ口に入れてみた。
なるほど、と思った。脂は確かに軽く、けれど物足りなさはない。たれは甘さと辛さと香ばしさが、どれも出しゃばらず、肉の味を一段持ち上げている。熱々の白米と一緒に頬張ると、口の中で全部がひとつにまとまって、思わず頬がゆるんだ。この味を認めざるをえなかった。
「どう、エフィ」
先生が、口の端にたれをつけたまま、得意げに尋ねてきた。
「……おいしいです」
「でしょう。即答ね」
先生は満足そうに笑って、また鉄板に向き直る。気づけば、白米のおかわりを頼んでいた。二杯目も、同じ速さで消えていきそうな勢いだ。
窓の外では、昨日あれほど張り詰めていたものが、嘘のように凪いでいる。攫われた生徒たちは、皆それぞれの暮らしへ帰っていった。被害者の会が抱えていた痛みも、そう簡単には消えないだろう。けれど、それはまた別の話だ。
少なくとも今、この食堂には、湯気と、香ばしい匂いと、おいしそうに頬を膨らませた先生がいる。
「エフィも、おかわりする?」
「いただきます」
私も、つられて一杯おかわりした。
世界一おいしい学食、というのは、もしかすると本当かもしれない。そう思いながら、私は、まだじゅうじゅうと鳴っている鉄板に、もう一度箸を伸ばした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回更新は6月30日(火) 20:00更新を予定しています。
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