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閑話:千年生きても初めてのこと

エルフ×探偵×魔法ミステリです。


日常と事件が交差する、連作短編風の物語になります。


気軽に読んでいただけたら嬉しいです。

心地よい風とともに磯の香りが漂ってくる。

海のない地域に住んでいる者にとって、この香りを嗅ぐだけでわくわくする感じや、旅行に来たのだという実感がある。


今日は、かねてから約束していた海へ、私と先生とマムちゃんの三人で来ている。

ここキールコーストは珊瑚礁の広がる美しい海を持つ、貴族から庶民まで人気の旅行地だ。海には何度か行ったことがあるが、王都近郊の海しか知らない私にとっては、初めての土地になる。


「うわぁ~!見てください、エメラルドグリーンに輝く海です!初めて見ました~!」 「マムぅ~~」

「はしゃぎすぎよエフィ。子供じゃないんだから」

「いいじゃないですか~、久しぶりの海なんですし」


そうたしなめてきた先生だが、服の下にはすでに水着を着込んでいて、いつでも海に飛び込めるようにしていることを私は知っていた。長旅で蒸れそうなものだが、それもおかまいなしなくらい楽しみにしているのだろう。乗り合い馬車ではそれを悟られまいと、いかにも大人ですという雰囲気を保っていたが。


「ここから見ても底が見えるほど透明なのに、エメラルドグリーンになるなんて不思議ですね」

「光の反射によるものよ」


このあたりは浅い海になっていて、海底の白い砂や珊瑚から反射した光が緑色に見えるのだという。ここ数日は雨もなく風も穏やかで、透明度も抜群の、まさに海日和だった。


「やっと着いたぁぁ。もうお尻が限界……」

「長時間の馬車はきついですよね。もう少し座り心地がよければいいんですが」


途中で魔獣とも出くわさなかったため、休憩以外はほぼ座りっぱなしだった。馬車も進化しているとはいえ、舗装の荒い街道では揺れるたびにお尻が打ち付けられ、長時間かけてじわじわとダメージが積み上がっていく。


「少し休憩したら、着替えて早速行きましょ」


宿に案内してもらい、しばらく横になってお尻の痛みがある程度和らいでから、私たちは海へと向かった。


「今日は何をやるんですか?」

「シークレットアクティビティの半日ツアーに申し込んだから、内容は分からないわ」


シークレット、ということは参加するまで何をやるか教えてもらえないということだろうか。苦手なものだったらどうするのか、という一抹の不安がよぎる。


「お集まりいただきありがとうございます!まずは最初のアクティビティ、水中ウォーキングを開始します!」


水を制御する魔法があることは知っている。だが、顔まわりの水を制御したとしてもいずれ空気が尽きる。どうやって水中を歩くのだろうと首をかしげていると、渡された紙には保険加入の同意書と誓約書があり、不安がさらに増してくる。


サインを終えると、チューブのついた丸くて大ぶりなヘルメットのようなものを手渡された。

先生は嬉々としてそれを被る。先生も初めての経験のはずだが、恐怖より好奇心が勝っているようだった。


「必ずこのロープを手に持ってゆっくり歩いてくださいね。マスクに酸素が送られますので、安心してください」


先生が横で何かごにゃごにゃ言っているが、マスクをしているせいで聞こえない。おそらく早く行きましょう、とかそういうことを言っているのだろう。


私は意を決してマスクを被り、ゆっくりと水中へと踏み入れた。

マスクの重さと海流で足元がふらつき、倒れたらどうなるのかという恐怖が一瞬頭をよぎる。だが完全に水の中へ入ってしまうと、その不安がすうっと和らいでいった。


最初は慣れることに必死で周りを見る余裕もなかったが、落ち着いてくると、眼前に今まで見たことのない景色が広がっていた。


「うわぁ……先生、すごいですね……」


水中なので聞こえるはずもないのに、思わずそう呟いてしまう。透明度は聞いていた通りで、色とりどりの魚や珊瑚が一面をカラフルに彩り、どこか幻想的な雰囲気を漂わせていた。インストラクターが餌を撒くと魚たちが集まってきて、気づけば視界が魚で埋め尽くされていた。まるで、魔法のような光景だった。


「先生、すごくきれいでしたね!初めての体験です!」

「私も長い時間を生きているけど、こんな体験は初めてだわ。長生きしてみるものね~」 「次はパラグライダーです!空から絶景をお楽しみください!」

「えっ……」


さっきまで上機嫌だった先生の顔が、ぴたりと止まった。

説明によると、風魔法の魔道具を使って動かしたボートで引っ張り、空に浮かびあがるものらしい。高所恐怖症かとも思ったが、探偵業務で高い場所に出ることはよくあるし、そういう様子も見たことがない。


「先生?下は海ですし、大丈夫ですよ?」

「違うの。ブランコにトラウマがあって……あれはほぼブランコじゃない」

「安定するって説明もありましたし、ブランコ状態にはならないと思いますが」


無理無理と頭を振り続ける先生を何とかなだめ、ダメだったらすぐやめるということで準備を始めた。

ハーネスを取り付けて椅子に座ると、魔道具が動き出し、一気にスピードが上がる。ロープが徐々に伸ばされると、身体がふわりと浮き上がった。


「先生!見てください!絶景ですよ!」

「エフィぃぃぃ……降ろすよう言ってぇぇ……もうムリぃぃ……」


しばらく静かだったのに、突然泣き声が聞こえてきた。降ろしてくれと何度も訴えてくるが、下でコントロールしている人には風と波の音に遮られて声が届かず、結局時間になるまでそのままだった。


「先生、降りましたよ。大丈夫ですか」

「ひっぐ……もうムリだって言ったのにぃぃ……」

「はいはい、よしよし」


人形屋敷のときも取り乱した先生を見たことはあったが、泣くのは初めてだった。ブランコにそれほどのトラウマがあるとは。詳しい話を聞きたくもあったが、今は聞ける状況ではなかった。


先生はしばらくぐすぐすしていたものの、ボートを降りて少し休んでから、残りのアクティビティはきちんと楽しんでいた。

ただし、先生がシークレット系のものには二度と手を出さないと誓ったことは、言うまでもない。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


次回更新は6月2日(火) 20:00更新を予定しています。


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