第十四章 まさか 女難 5
コロンバ自治区に到着したレインたちは、空港のロビーでヴェネクト夫人と第六秘書が来るのを待っていた。
レインが周囲をうろついている姿をカスターは気になっていた。
「落ち着かないのか、レイニー。」
「いや、なんでもないよ。」
落ち着きがないのは、エミリアがどこかにいるんじゃないかと探してしまうのを止められないからだ。
そして、落ち着こうとした時、外を悲しそうに見つめる少女がレインの目に入ってきた。
少女はブレザーとプリーツのスカートとという学生服を着ていた。
レインはその少女の横顔を見て、どこかで見たような気がした。
「ルチアーノ。待たせたわね。」
レインが、その言葉に振り向くと、車椅子の老婦人がいた。
そこへ、理事長の第六秘書セリーヌ=マルキナが現われた。
「こちらにいらしたのですね。お迎えにあがりました。
事情はコーディさんからお聞きしました。」
セリーヌは車椅子を手に掛けているエレーナに挨拶をし、名刺を渡した。
そして、ホテルのカードを手渡した。
「こちらのホテルにてお部屋を用意しておりますので、万事用事がお済みになりましたら、こちらにレインさんをお連れしてください。」
「心得ました。お気遣いありがとうございます。レインさんを拝借させていただきます。」
エレーナは軽くお辞儀をして、車椅子を押して前に進んでいた。
レインは外を眺める少女を見ながら、エレーナの後を歩き始めた。
外を眺めていた少女はゆっくりと振り返り、エレーナの進む方向へ歩き始めた。
その少女がエレーナと顔をあわせると、エレーナは立ち止まった。
「あら、どちらのお嬢様かと思えば、ミス・アンコーナではないですか。」
車椅子の老婦人はその少女に声を掛けた。
「こんにちわ。ヴェネクト夫人。」
レインはアンコーナという名を聞いて思い出しそうになっていた。
「御機嫌よう、コーネリアス嬢。浮かない顔をなさっているのね。」
エレーナが気を使って話しかけた。
「ええ、今日は学園のチャリティ観劇会がありまして、父と鑑賞する予定でしたが、父が先ほど来れなくなったと連絡がありましたの。
空港まで迎えにきましたのに、残念ですわ。いまさら、エスコートしてくださる紳士を探すわけにいかず、途方にくれていましたの。」
「まぁ、それはお可愛そうに。」
そういって、エレーナは少し考えてレインの方へ振り返った。
「ルチアーノ、よろしかったら、こちらのお嬢さんと観劇会に一緒にいってくださらないかしら。」
「え?」
レインはどういう状態なのか、わけがわからなかった。
「コーネリアス嬢。その観劇会は夜に行われるのでしょう。」
「ええ、そうです。」
コーネリアスは紳士服を着た少年の姿を見て、少し顔を赤らめた。
エレーナはレインの腕を取り、引き寄せて耳打ちした。
「夕食を私どもの屋敷で、その後、このお嬢さんと観劇に行ってくださいな。
夕食をやり過ごせば、義母を寝かしつけますので、もうそれで、あなたを解放させることができます。
観劇は義母への口実です。」
「はぁ。」
レインはコーネリアスの方をちらりと見た。
すると、コーネリアスの背後から蝶ネクタイの男性が現われた。
「お嬢様、こちらにいらしたのですか。そろそろお戻りなりませんか。
ヴェネクト夫人、ご無沙汰しております。」
その男性は老婦人やエレーナに向かってお辞儀をした。
老婦人は会釈程度に、エレーナは手をあげて挨拶した。
「ピエトロ、エレーナさんが、こちらの男性の方にエスコートをお願いしたらとおっしゃってくださっているの。」
ピエトロは、コーネリアスの執事で、レインの方をみて言った。
「これはこれは、見違えるようですね。あなたはワイナリーでお会いした少年ではありませんか。
確か、スタンドフィールドの・・・。」
ピエトロが言い終わらないうちにエレーナが口を挟んだ。
「ルチアーノ、このお嬢さんのお願いを引き受けてくださるわね。」
エレーナはレインを肘で突いた。
「え、あ、はい。」
ピエトロはその様子に、老婦人の病気が出てしまっていることに気がついた。
「ああ、思い出した。あの時のじゃじゃ馬娘!」
言った瞬間、レインは口に白い手袋をつけた手で押さえた。
ピエトロは咳払いをして、エレーナに感謝して、打ち合わせをした。
夕食後にヴェネクト家に迎えに行き、劇場へ二人を送迎する手はずになった。
顔を紅潮させていたコーネリアスは次第にレインの事を思い出して、普段の顔色になった。
レインのそばに寄り、顔を覗き込んだ。
「まぁ、ほんと見違えたわ。あの時、腕を骨折していた方ね。失礼だわ、じゃじゃ馬娘だなんて。」
ふくれっつらしたコーネリアスにレインは謝った。
ロブが散々、コーネリアスの事をじゃじゃ馬娘だって言っていたからだった。
「わたしをエスコートしてくだされば、それでよろしくてよ。」
コーネリアスは笑顔で首をかしげて愛らしいしぐさをすると、レインは頭をかきながら、困惑した顔をした。
(パラディーゾデラモンテグナ都市へ来てから、変なこと続きだな。)
第六秘書セリーヌ=マルキナはカスターとジリアンをつれて、車に乗り込み、ホテルに向かった。
車の中で、今後のスケジュールを打ち合わせていた。
「ジリアンさんは理事長とお食事をしてもらいます。」
「え、僕は?」
「カスターさんは、申し訳ありませんが、お一人で食事をしていただきます。」
「え、そんなぁ。・・・あ、セリーヌさんと一緒に食事をするっていうのはどう?」
「申し訳ありませんが、そういったことはご遠慮させていただいております。」
カスターは身を乗り出していたが、しょげて、シートにもたれた。
「セリーヌさん、僕が理事長同席の食事を断ることってできるのですか。」
「断られるような事をおっしゃられましたら、セイラ様が悲しまれることでしょう。ジリアンさんに会える事を楽しみにされているのですから。」
「セイラが?」
「そうです。」
ジリアンは意外だったが、セイラに会えるならと、嬉しくなった。
カスターは少しふてくされながらも、ジリアンとセイラが一緒にいられるなら、仕方ないかと車の窓から外を眺めた。
コロンバ自治区は、レンガ造りの館が建ち並ぶ閑静な住宅街が点在している都市で、古くから財力を持ちあせた上流階級の人々が居住していた。
ジリアンはふと、思い出したことを口にした。
「セリーヌさん、理事長の・・・。」
「奥様でしたら、夕食はご一緒しません。ご病気だとうかがっております。」
「そ、そうですか。」
ジリアンにすれば、セイラには会いたいが、セシリアには会いたくなかった。
二人がホテルに着くと、ロビーでセイラが待っていた。
ジリアンをみつけたセイラは駆け出して、ジリアンに飛びついた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。」
「わぁ、ちょっと見ない間に大きくなったね、セイラ。」
カスターは二人のすがたを微笑ましく眺めていた。
セイラが駆け出したところにメイド服を着た女性が立っていて、ジリアンたちのところへ寄ってきた。
「ジリアンさんですか、わたくし、セイラ様付きのメイドでカミーユと申します。」
カミーユはお辞儀をした。
セリーヌはホテルの受付で鍵を受け取ると、カスターに手渡した。
「ホテルの部屋には、お二人の着替えを用意させてありますので、着替えてください。」
カスターは、わかりましたと言って、鍵を受け取った。
「ジリアンさんは、時間になりましたら、呼びにいかせてもらいます。夕食後は、理事長がジリアンさんとお話したいとのことです。」
セイラと一緒なのに、嫌な感じがする理事長と話をするということはあまり気にしないようにしようとジリアンは考えた。
セリーヌは続けざまに話した。
「ホテルにミセス・ヴェネクトから連絡がありまして、カスターさんはよろしければ、レインさんが観劇されるということですので、劇場へ行かれませんか?」
「え?僕が?」
「そうです。劇場へは用意した服装では入れませんから、また、こちらで用意させてもらいます。」
カスターは少し考えた。レインのような格好をさせられるのか、それもいいかなと思った。
勘ぐってジリアンはいじわるなもの言いをした。
「まさか、執事の格好をさせるんじゃないでしょうね。」
「まぁ、そのようなこと。普通にスーツ姿ですよ。チケットはありませんから観劇はできませんが、チャリティ参加として寄付をすれば劇場内へ入ることができます。」
「寄付って・・・。」
「財団の代理として、寄付していただきますよ。」
「まぁ、それなら。だとすると、レインのお目付け役ってことで、ジリアンは?」
「私どもが責任をもって、保護させていただきます。」
「では、そうさせてもらうよ。」
「それから、カスターさんは、ホテル内のレストランにてルームナンバーでのお支払いにお食事を済ましてください。夕方にはタクシーの運転手を迎えに来させます。」
セリーヌは言い終わると、その場をすぐに去っていった。
「ねぇ、お兄ちゃん。セイラとまた、遊んでくれる?」
「お嬢様、ジリアンさんはこれから着替えをされに行くのです。それからにしましょう。」
カミーユはセイラを宥めた。
ジリアンはセイラの手の小ささを確認するかのように、握られた手を握り返した。
「セイラ、僕は君にまた会えて嬉しいよ。あとでまたね。」
「うん。」
セイラは嬉しそうにうなづいて、ジリアンの手を離した。
ヴェネクト家では夕食の準備があわただしく、されていた。
屋敷に着いて、すぐ、エレーナはレインをつれて、化粧室へ行き、自分のドレッサーから瓶をもってくると、手袋をはずさせてレインの手を洗ってから、ファンデーションを指先につけた。
「お仕事の関係でしょうが、指先の苔のような汚れを目立たなくしておかないと。手袋のまま、食事をさせるわけにはいかないから。」
「あ、はい。」
「ほんと、ごめんなさいね。こんなことになって。いままでは中年の男性から徐々に、退化が激しいのか年齢が低下して来ていたの。」
「僕は、こういったお屋敷なんて、入ったことも無くて、なんていうか、世界が違うって感じで、戸惑ってしまって。」
「あら、そうなの。でも、コーネリアス嬢とはお知り合いなのでしょう。」
「顔見知り程度ですよ。」
「でも、おかげで口実ができて、助かったわ。どうやって、あなたを解放しようかしらと思っていたの。
義母はあなたをベッドまで連れて行くかもしれないんですもの。」
「ええ!?それは・・・。」
「嫌でしょう。だから、もう、コーネリアス嬢は助け舟みたいな感じですがり付いちゃったわ。」
エレーナはメイドを呼びつけると、レインの爪を手入れするように言った。
レインの指先はあらかた汚れが見えなくなっていた。
ヴェネクト家で夕食を済ませると、老婦人はあっさりとレインに「おやすみ」と挨拶をした。
もうレインに会うことがないのを知らないからだ。
エレーナが車椅子を押す後ろ姿を、レインは名残惜しそうに見つめていた。
「なんか、夢のような感じだな。まだ、続くのかな。」
レインはメイドに部屋を通され、そこで着替えをさせられた。
蝶ネクタイの礼服姿に、レインはたじろいだ。メイドにはスタンガンスティックを取り上げられたが、取り返して、ベストの内側に落ちないようにたすき掛けのベルトで固定した。
手を洗うと、エレーナに手入れされた指先がまた苔色になっていて、それを白い手袋で隠すしかなかった。
シルクハットをかぶせられて、メイドは「仕度ができあがりました。」と言った。
ヴェネクト家の玄関にはアンコーナ家の執事ピエトロが迎えに来ていた。
「これはこれは、お似合いです。素晴らしい。」
レインの姿を目にしたピエトロが言った。
エレーナが老婦人を寝かしつけて、玄関にあらわれた。
「レインさん、ほんとご迷惑を掛けてしまって、なんとお礼を言っていいのやら。」
「いえ、別に、迷惑など。喜んでもらえたらそれで。お世話になりました。」
節目がちにレインはエレーナにお辞儀をした。
「こちらこそ、ありがとう。今後の活動のご無事や活躍を祈っているわ。」
エレーナは目を潤ませながら、レインを見送った。
黒い車にレインが乗り込むと、そこには髪をアップに結って、パフ・スリーヴのピンクドレス姿のコーネリアスが乗っていた。
彼女の姿に驚きながら、隣にレインは座った。
コーネリアスはちらりとレインを見ると、前に向きなおした。
今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「素敵な装いだね。見違えたよ。」
「レインさんこそ、またさらにとっても素敵な紳士に見えましてよ。」
涙声だったコーネリアスに、レインはそっとハンカチを差し出した。
そして、それからは何も言わず、車の窓から外を眺めていた。