第一幕 ① ~完璧な普請から生まれる疑念~
(天正十年、三月)
武田家を滅ぼした信長の凱旋は、富士の裾野を抜けて三河へと向かっていた。家康が整えた街道を踏みしめながら、信長はふと足を止める。
富士を仰いだのは、ほんの一瞬だった。
次の刹那、その眼光は街道へと落ちた。寸分の狂いもなく敷き詰められた石畳。一軍が悠々と通れるほどに均された道幅。石垣の積み方、城下の区割り、有事に兵を伏せるための細い横道まで——すべてが、恐ろしいほど精緻な計算のもとに置かれていた。
「……三河守」
信長の声は低かった。地を這う虎の唸りではない。白刃が触れ合う直前の、あの研ぎ澄まされた「鳴り」だ。
「おみゃあ、わしをコケにしとるんじゃにゃあか」
家康は静かに頭を垂れた。
「滅相もございません。これも上様のご加護あってのこと……」
「フン」
信長は答えず、名馬・大鹿の背から街道を睨みつけた。完璧すぎる。それが信長の目には、宣告のように映った。——この道を行くわしの背中を、おみゃあの手勢はいつでも突ける。そう言いたいんだわ。律儀な面して、わしに向かって『いつでも殺れるぞ』と見せつけとる。生かしておけば、必ず織田の脅威になる。
傍らの光秀へ、鷹の目が向く。
「キンカ。おみゃあ、これを見てどう思う。……おみゃあなら、どうするんだわ」
光秀は一瞬、息を詰めた。家康の普請より優れていれば猜疑を買い、劣っていれば無能と見限られる。どちらへ転んでも、刃の上に立つことに変わりはない。
張り詰めた沈黙の末、光秀は泥に額を沈めた。
「……私ならば、上様の天下が永く続くよう、『秩序』を形にした道を。理をもって世を律し、民が道を外れぬよう——」
「黙れッ!」
信長の怒声が、甲州の乾いた空気を引き裂いた。
「『秩序』だぁ? 誰の許しを得て、そぎゃあな口叩いとるんだて! ええか、よう覚えとけ。この日ノ本の法も道理も、秩序っちゅうもんは、このわしが作るんだわ!」
大鹿の腹を蹴る。蹄が跳ねた乾いた泥が、光秀の頬を打った。森蘭丸が背後で、冷めた目でそれを見下ろしている。
信長は振り返りもせず、家康へ言い放つ。
「近いうちに安土へ呼び寄せるわ。キンカが用意する最高の饗応、楽しみにしとれ。……そこでおみゃあの『本音』、じっくり聞かせてもらうで」
一拍置き、光秀の背中へ。
「キンカ。しくじるんじゃにゃあぞ」
先ほどの誤りを修正した上で、「律儀な面して、わしに向かって『いつでも殺れるぞ』と見せつけとる」という一文を加え、信長が家康の普請に読み取った殺意の構図をより明確にしました。




