離れ始めた2人の心
分かった、もう勢いだ。
勢いに任せればごちゃごちゃと思考する暇もなく、柚花にきっと声をかけられる。
緊張を克服することなど不可能ならば、とにかく声をかけるという第一段階をクリアし、あとは俺の「実際はどうかはさておき少なくとも表面上はいい感じに繕おうとしてしまう精神」に任せるとしよう。
俺はいよいよ腹を括り、教室の中へと入った。展示用のオブジェクトの合間をすり抜け、友人と話してる最中の柚花に声をかけようと───
「水無瀬さん」
俺じゃない声が、先に柚花を呼んだ。
見ると、クラスメイトの谷だった。
バドミントン部の副部長だ。谷というより谷といつも一緒に居るクラス員長の岡本の方が目立っていて、彼の場合はそのそばによく居る友達という印象が強いのだが、温厚な性格なので男女ともに話しやすいという共通認識をもたれている。
目立つのは岡本だが、求心力があるのは谷だと思う。
そんな話しやすいペース感のある男だから、柚花のほうも特に緊張せずに「谷くん、どうしたの?」とにこやかに応じた。
男子と話すのが苦手な彼女が谷とは普通に話している様子を見ると、逆になんだか、胸が痛んだ。
「水無瀬さんは今日のクラスの打ち上げ、来る?」
そういえば、クラスのグループラインに連絡が来ていた。岡本がアナウンスしていたと思う。文化祭の打ち上げをしたいらしい。昨日の深夜に急に来たので、俺は気分的にそれどころじゃなく、目を通すだけして参加の投票は忘れていた。
参加の投票をしていたら名前一覧から分かるはずなので、谷がわざわざ聞いてくるということは、柚花も参加の投票はしていなかったようだ。
柚花はちょっと悩んだ表情をしたが、彼女の隣に居た友達である清水が元気よく「え、柚花行かないの?行こうよ!」と柚花の肩をゆすったので、柚花はもっと悩ましい表情をした。
谷も清水に同意するように、うんうんと頷いた。
「水無瀬さん来てくれたら、俺も嬉しいんだけど」
「………えっと、でも」
柚花は返答に詰まった。
ああそういうことか、と思った俺は、谷にちょっと嫉妬していた。器が小さいなとは思った。
単なる社交辞令じゃないのは、谷の目を見れば分かる。
口を挟んだのは、遠くで見ていた俺ではなく、柚花の隣にいた清水の方だった。
「ちょっと谷ー?柚花には、神宮くんがいるんだからもし狙ってるならやめてちょうだいね?」
し、清水…ッッ!!なんか強力な俺サイドの味方がいてくれたのはよくわからんびっくりしたけど、ありがとう!!
谷は不思議そうにした。
「あれ?2人ってまた付き合い出した?」
「いや、復縁したわけじゃないけど……」
清水もそこは俺を庇えなかった。
…圧倒的事実…!(涙)
残念ながら事実の壁は越えられなかった。事実がこんなにも邪魔だと思ったのは、人生で初めてだ。
「ならよくない?」
「いい……っけ?」
もっと頑張ってくれ清水!お前だけが俺の頼りなんだ!
「いや、まあそこは当人たちの整理しきれてない気持ちの問題っていうかさ……ずっと見守ってた私的には、あんまり外部が介入してほしくない時期っていうか……」
清水……全然接点ないけど、ありがとう!!
今度なんかお礼しよう!
しかし清水の言葉に、谷はなんてことなさそうに穏やかに笑った。
「まあ、狙ってるっていうか…今まで神宮が居たから申し訳ないし遠慮してたけど、この機会に水無瀬さんともっと話してみたいなって。それは駄目?」
「………うう、いや、そう言われると、っていうかあたしに訊かれても」
清水は下手に出つつも食い下がった谷に何と言えばよいか判断に困ったのか、柚花のほうをチラリと見た。
柚花はちょっと悩ましそうに微笑んで、数秒黙った。
でも、口を開いた。
「…打ち上げ、行こうかな。やっぱり」
彼女の声にこもった意志の強弱が移り変わったのが分かって、俺は自分がどんな気持ちを抱けばいいか分からなくなった。
戸惑いは微かに残っていたが、はっきりした声だった。
「本当?やったー」
「それはあたしも嬉しい!」
谷と清水の意見はその点は合致していた。
谷はすっかり気を良くして、嬉しそうに続けた。
「俺打ち上げの時さ、水無瀬さんと沢山話せたらいいなと思ってるんだけど。話しかけてもいい?多分打ち上げファミレスなんだけど。てか席近くだったらいいな」
「ちょっとぉ!谷やっぱり柚花のことばっちり狙ってるでしょ!やめてよねー」
清水は柚花を守るように抱きつく。谷を警戒した目つきで見つめ、谷は否定するように手をひらひら振った。
「いや別に、俺は話したいっていう意思表示してるだけ。水無瀬さんが断る断らないは自由に決めてもらっていいし」
「だーかーらー、それが狙ってるでしょーが。ねえ、柚花?」
「やめて清水。もっとフランクだし、純粋です」
清水の守護ぶりにちょっと嫌そうな表情をして、谷は柚花の様子を伺った。
「清水がこんなこと言ってるけど、気にしないで。水無瀬さんと今までなかった分、話してみたいってだけだから。だから、…その、水無瀬さん的には、駄目…かな」
谷はできるだけ軽い調子にしようとしているが、帯びる瞳の熱は隠せそうにはなかった。
それを見ていると、胸がざわついた。
俺と柚花が付き合っている時には、谷にそんな素振りはなかった。でも多分、表に出してなかっただけで本当は谷は……
「……いいよ」
その言葉に、俺ははっと顔を上げた。顔の輪郭がぶわっと冷や汗を噴いて、心臓は嫌な音を立てていた。
「私……いいよ。谷くんとあまり話したことなかったし、……私も話してみたいな」
柚花は優しそうに微笑んでいた。
学年で一番と言って差し支えない、その整った美少女顔が微笑む様がどんな大輪の花にも勝る愛らしさであることは書くまでもないだろう。
そして、それが谷に向けられたことが、俺の心をどんなにかき乱したのかも、ここに書くまでもない。
「ほんと!?よっしゃ……やった」
谷は心底嬉しそうな顔だった。
俺とあまりに正反対な、天国と地獄を模倣した対照ぶりだった。
感じたことのないくらい、最悪な気分だった。
でも、自己嫌悪が大体だった。
俺は、多分期待していた。
谷の誘いを柚花が断ると、傲慢にも、そんな見当違いな期待をあの瞬間確かに抱いていた。
俺と柚花はもう付き合ってないんだ。別れた。こんな気持ちを抱きこそすれ、それを彼女にぶつけるのはお門違いだ。分かってる。
分かってる……
……なのに。
────俺は、
気がつけば、彼らの前に飛び出して、柚花の腕を咄嗟に掴んでしまっていた。




