表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第二章:茨の道と血濡れの足跡
98/119

Ⅵ-11



 右京と左門――クロはどちらも一度は倒している。けれどそれは右京が素手で、左門には一度きりの不意打ちを仕掛けての結果だ。


 以前とは状況が違う。


「行きますっ!」

「覚悟っ!!」


 右京と左門が同時に駆け寄り、刀を振るう。義体の手首が傷ついた左門の剣速は以前より明らかに遅く、義体の右手しか使えない右京も左門と同程度の斬撃しか繰り出さない。


「――――ッ!」


 けれど切り結ぶこと数回、クロの腹部にぱっくりと赤が咲く。筋肉の表層に掠っただけで内臓までは達していない。けれど貴重な水分が血となって流れている。


 痛みが鼓動を速め、汗が噴き出る。


 一人の時とは違い、斬撃を避けきれない。


 左門一人を相手にしていた時、その攻撃を避ける為には一本の刀の軌跡を読み、届かない空間に逃げるだけで良かった。常識(たにん)が無理だと首を振るその方法も、『加速』を持つクロならば成せるのだ。


 だが右京が加わり、左門は敢て剣速を落とした。それは単純に義体の不調に因るものだけではなく、クロに確実に避けさせる為の牽制の役割を持たせる為でもある。剣戟をクロに避けさせ、その分かり易い軌道からクロの逃げ道を右京に教える。そこには逃げたクロを右京に確実に潰させようとする意図が含まれているのだ。


 全てはクロからの反撃がないと断定しての行動だ。


「くそっ……」


 事実、今のクロに反撃する手立てはない。


 クロは歯噛みして、『加速』のギアを二枚上げる。傷を負い、体力を消耗した現状、急激な『加速』にまず間違いなく自身の認識能力は置いていかれる。遅れた意識が身体の『加速』に追いつくまで時間が掛かり、それまでは反射神経と危険感知能力頼りの戦い方になる。しかし咄嗟の事態に対応出来なくなるデメリットを考慮しても、このまま膾切りにされるよりは遥かに勝算はある。


 再び斬りかかる左門に、クロは自身の感覚だけを頼りに体を動かして応じる。


 左左右左――と、左門と右京から繰り出される牽制をクロは的確に避けていく。血を吐き出し続ける腹部を左手で抑え、牽制と本命の合間を待つ。片方の剣戟を躱しながら、もう片方の動きを追わなければならない。どちらが最終的にクロの命を狙ってくるかによって――右と左、どちらの腕に義体が付いているのかで反撃の一手を変えなえればならないのだ。


 集中――クロの認識能力が、遂に体に追い付いた。


(来たっ!)


 そして一閃――クロの首筋を狙った軌道の斬撃が繰り出される。右京――左から右に振り抜く速い斬撃だ。その裏には万が一躱された後の隙を補うために左門が控えているのをクロの視界は捉えていた。


 本命と言えど十分に避けれる軌道だ。少なくとも今回の右京の本命と続く左門の数回、その次の右京の対処までは問題ない。


 けれどクロは、果敢に迎え撃つ。


 受け身では勝てない。数と間合いの面で不利なら、尚更早々に現状を打破しなければならない。右京か左門か、――――最悪、どちらかを殺してでも。


 クロは右京の本命をナイフで掬い上げ逸らす。キンッと甲高い音と共に、クロの頭上すれすれを刀が通り過ぎる。クロの想像に反して右京は冷静そのものであった。初見の左門とはまるで違う反応にクロは一抹の不安を覚えつつ、次の手を振るう。


 使ったのはサバイバルナイフを握った右手ではなく、腹部を押さえた左手だ。


「なっ!」

「きゃっ!」


 クロの一振りで左門には投げナイフが、右京には顔目掛けて血の滴が飛ぶ。


「――――ッ、右京!」


 左門は手にした刀で、右京は砕けた左手で反射的にそれを防ぎ――それが致命的な隙になると思考が追い付いた時には、既にクロは距離を詰めていた。


 思わず振り抜いた刀を定位置に戻そうとした腕と動体の隙間に、クロの肘が入り込む。


 右京とクロは息遣いが聞こえる程に肉薄していた。背丈はクロが十五センチほど高い。クロは右京を自身の体で抑え、左門を右京の頭越しに睨み付ける。


「…………っ!」


 クロのナイフが右京の左腿を裂く。与えたのは傷は決して深くないが、これ以上は望むのは欲張りだとクロは知っていた。敵が残っている状況でナイフは絶対に突いてはいけない。筋肉の収縮、突き刺して抜くまでのタイムロス、武器を失う可能性――その全てと数ミリ深い傷のどちらを取るか、考えるまでもない。


 右京の体が傾くのを合図に、一斉に場が動き出す。


 左門が体を揺らしタイミングを計りながら距離を詰め、クロはその対策として右京の体を左腕で押し出し、――――右京はただ刀を滑らせた。


 たださっくりと何かが腹部に触れ、足から力が抜けていく。


「クロっ!!」


 シロの悲鳴が耳を打つ。遠ざかる右京の体を左門が受け止め、その先端にはべっとりと赤が付着している。


 クロは血の流れ出る脇腹を押さえ、ふらふらと拙い足取りで後退る。


「あ、ああ……」


 右京に近づいて足を裂いたまでは良かった。左門が距離を詰めてこようと右京を盾にして牽制すれば当座の危機は凌げた筈だ。右京を慌てて突き放したのは失敗だ。まして完全に戦闘力を奪わずに武器を持たせたまま手放すなど、どうぞ好きなように斬ってくださいと頼んでいるようなものだ。


「くそっ!」


 クロはナイフだけは手放さずに壁際まで後退して背中を預ける。腹部の切り傷は右京の手に力が籠っておらず、更には半分は肋骨で止まっていた点も相成ってそれほど深くはない。右京との最初の戦闘で圧し折られた骨がずれて、結果として刃を止めたことになったのだ。


 不幸中の幸い――けれど未だに不幸の渦中から抜け出せてはいない。


「シロ、来るな!」


 クロは痛む傷のことなどお構いなしに大声で叫ぶ。肺が揺れ、腹部から血が噴き出す。それでもシロを自分に近づける訳にはいかなかった。ベッドの上で二ヶ月も過ごした今のシロでは――いや、万全の状態であっても発散型の『閃光』しか持たないシロが左門と戦えば、まず勝ち目はない。


 近くにいたら共に斬られてしまうかもしれない。



「それだけは、ちょーっとダメなの」



 左門の足が止まり、その注意がピタリと部屋の入り口に向けられる。


「ご主人、助太刀した方がいいの?」

「察してくれ」

「なら私に任せるの。ご主人はこれでも飲んで見物してればいいの」


 そこには紅緒が立っていた。元が長い袖を持ったコートだと気付かせ無い程にボロボロの服を着て、白茶黒の混じった三毛髪を肩口で揺らしている。


 そこだけ見たなら十代半ばの少女だ。しかし背中に生えた薄く長い翅と肩に担いだ散弾銃を目にすると、その印象はがらりと別物に変わってしまう。


 生きていたのかと驚く半面、紅緒が簡単にやられる筈がないと思う自分がいることにクロは気付く。紅緒は場の空気にそぐわない気軽さで新品のスポーツドリンクを投げて寄越すと、部屋の掃除をどこから始めればいいのか教えを乞う時のような緊張感の無さでクロに尋ねた。


「それでご主人、誰を片付ければいいの?」


 だがクロが答えるより早く、横から別の声が割って入る。


「キミ、折角の楽しい見世物の邪魔をするのは止めてくれ! 彼……ええと、クロだったかな。クロと私が『置換』で弄った情報部の二人、どちらが強いのか私は凄く気になるんだ」

「痴漢で弄った? ご主人、あの人頭おかしい人なの?」

「私は至って正常だ! キミは気にならないのか? 私は凄く気になる。気になったら最後、私は一睡も出来なくなるんだ。まあ、それは誇張表現だが、……兎に角、私の、私たちの邪魔をするな。黙って最後まで見届けなさい」

「お断りなの」






 紅緒と博士が何の益にもならない言葉を交わす最中、クロは紅緒から貰ったスポーツドリンクを飲みながらジッと右京と左門を見つめていた。隣にいるシロの顔はとても見れなかった。情けなく、合わせる顔がない。紅緒が来なければ、結局自分はあのまま左門に斬られ死んでいたのだ。


「クロ、あの子ってまさか女王?」


 だがシロはクロのそんな気持ちをまるで考えず、隣でただ浮かんだ疑問をストレートに口にする。骨と皮だけだった頃と比べて今はふくよかになり、髪の色も変わった紅緒の雰囲気は、女王のモノとは似ても似つかない。それでも紅緒が女王だと分かるのは、単に背中の翅が他に類を見ない独特な『魔法権利』だからだ。


「もう女王でも敵でもない。俺に手も貸してくれている」

「随分と変わったね」

「あれから二ヶ月も経った。紅緒もシロも、……俺だって変わる」


 そこで初めてシロと目が合った。二ヶ月ぶりに見たシロの赤い瞳は、痩せこけた頬や筋肉の無くなった腕とは違い力強さを失っていない。深紅の瞳――取り戻した今も、迂闊に触れると飲み込まれてしまいそうになる。


「クロ、私は変わってないよ?」


 その通りだ。シロの本質は変わっていない。変わったのは、自分だけだ。


 クロは変えられていた。あまりに多くの相手と触れ合い、シロを助ける為に越えてはならない領域を何度も侵して進んでしまった。


「…………」


 黙るしかない。シロにだけは、追及されたくないのだ。


 クロ自身にも、自分がどう変わるのか分かっていない。答えられない問い掛けを向けられても、お互いが困るだけなのだから。





「キミは分からず屋だよ」

「言われなくても知っているの」


 片方はやれやれと両手を挙げ、もう片方は見下ろしながら中指を立てる。


「もういいよ、子供の相手は疲れるだけだ」


 紅緒と博士――不毛な平行線にやっと終わりが見える。


「左門、クロは後でいいから先に翅付きを斬りなさい」

「最初からそうしろって言ってるの。私がご主人の代わりに戦うの」

「後悔しても知らないよ、――――左門!」


 博士の言葉に合わせて、左門の体が矢のように飛んでいく。そしてそのまま、紅緒目掛けて刀を滑らせる。何の躊躇いもなく繰り出された斬撃は、飛び立つ前の紅緒を襲う。


「……っ!」


 だが刃は紅緒を裂かず、刀は弾き返される。微かに震える薄い翅――とても鋭い刃と斬撃を防げるとは思えなかっただけに、左門の次の一手が鈍る。


 そして次の攻撃の態勢に移ろうとした左門の鼻先を、紅緒の散弾銃の先端が掠める。慌てて飛び退いた左門の鼻先に、微かな硝煙の臭いが漂う。


「良い反応してるの」


 紅緒がそう言いながら引き金を引いた時には、左門は既に横に飛んでいた。


 散弾は左門の残影を打ち抜き、その大半はコンクリートの床を砕いて埋まり、残りは盛大に跳弾する。悠々と躱した左門は、次を撃たせないように距離を詰めようとして、愕然とする。


 紅緒は宙に浮いていた。


 透き通った翅を震わせ、満面の笑みで散弾銃を向けている。


「貴方は……、地下にいた筈です」


 右京と左門は海軍情報部の一員として秘密裏に診療所の警護の任務に就いていた。けれどそれは地上の診療所を守る為ではなく、地下の牢獄を破ろうとする相手――それが上下どちらから来たとしても、叩き伏せる為に駐留していたのだ。


 当然地下に拘留している虜囚の情報は持っていたし、その虜囚が何人束になろうとも、二人揃えば軽く返り討ちに出来る程度の戦闘力を右京と左門は所持していた。


 その前提は診療所の狭い地下階層で、武器を一切所持していない相手に限る。そもそも満足な武器を持っていない相手なら、身体能力が異常に高いクロですら圧倒出来るのだ。他の権利者なら尚更勝てる筈もない。


「アハハハ、おかしいの!」


 紅緒は大きく手を広げ


「ここも地下なの」


 と一笑に付す。


 だが同じ地下でも天井は高く部屋は広い。紅緒は手に散弾銃を持っている。そして右京と左門の刀は、紅緒には届かない。


 勝てる要素は、殆ど残っていない。


「私は降参を勧めるの」

「――――ッ!!」


 装填(ポンピング)。銃撃。排莢。また装填(ポンピング)。そして銃撃。排莢。


 降伏勧告とは裏腹に、攻撃には一切の躊躇いがない。


 紅緒は一方的に散弾をばら撒き左門を追い詰める。左門は間一髪で避けてはいたが、広範囲に散らばる散弾と跳弾の全ては避けられない。両足や胴体の随所を抉り、次第に動きも鈍くなる。


「退屈だ、降りて戦え!」と喚き散らす博士を余所に、一方的な攻撃に曝されても左門は不平を漏らさない。ただジッと宙を漂う紅緒を睨みながら、何かを狙っていた。


 自らの刃が届かない相手を、ただ見据えたまま。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ