Ⅵ-12
紅緒は散弾銃を抱えたまま、室内を俯瞰する。
紅緒が見据えているのは左門だけで、左門が睨んでいるのは紅緒だけだ。
クロとシロは座り込んだまま動かず、博士は部屋の隅で喚き散らし、右京はその前に立ち左門に加勢する素振りはない。退屈だと喚く博士の気持ちも紅緒には少しだけ理解出来る。
左門は逃げ回り弾切れを待ち、紅緒は好んで圧倒的優位を捨てはしない。
「残念ながら、私はしっかりと替えの弾倉を持ってきているの」
装弾六発を全て撃ち終えた紅緒は、睨む左門を見下ろしながら悠々と弾倉を交換する。ボロボロのコートに詰め込める弾倉の数には限界がある。それでもこれと言った遮蔽物のない部屋で左門を一方的に制圧するには十分な弾数だ。
そして一瞬――紅緒が弾倉を取り出す為に目を離した隙を右京と左門は見逃さない。
「右京!」
「分かっています!」
クロに圧し折られた左腕と裂かれた足の傷など物ともせずに走り出した右京は、左門の両手を踏み台に飛翔する。天井まで十メートル、その合間にいる紅緒を切るべくして右京は刀を構える。
「いい度胸なの」
一直線に向かってくる右京に、散弾銃を使った迎撃は間に合わない。
「覚悟っ!」
右京の渾身の一閃――けれど虚しく空白を斬る。地上で行われた斬り合いとは、どちらにも平等に足場が与えられた地上とは、空中で自在に動ける紅緒と一直線に切り結ぶしかない右京とでは、そもそも立った土俵が違いすぎるのだ。
攻撃は躱した。後は着地する右京を狙って散弾をぶっ放すだけで一人は片付く。
そんな安易な考えに溺れた紅緒に、第二の刃が迫る。
「紅緒、後ろだ!!」
クロの叫び声を聞き後ろを振り向いた時には、既に右京の刃が目前に迫っていた。右京が天井を蹴り、一撃を躱して安心した自分目掛けて斬り掛かったのだと気付いたのは、慌てて盾にした散弾銃が刀に叩かれバラバラになってからであった。外傷がないのは不幸中の幸いだが、圧倒的優位は失われてしまう。
「わあーっ、私のスパスがっ!」
そして紅緒も、自身の領域に踏み込んだ相手を易々と返しはしない。
床まで数メートル、一太刀浴びせて気分良く自由落下を続ける右京を紅緒は拾い上げると、そのまま刀を握った右腕の義手を全力で締め上げる。たとえクロに劣らない怪力を秘めた強化型変態系の権利者である紅緒がどれだけ力を籠めたとしても、頑丈なタングステン合金の義手は歪みはしない。
しかしギリギリと締め上げ続ける紅緒を前に、右京の肘関節が限界を迎える。
「あ、折れちゃったの」
右京に悲痛の叫び声を上げることしか許さなかった紅緒は、そのまま右京の右腕を圧し折る。ぽっきりと逆方向に曲がり、高性能義手の内側を無惨に晒しているその肘は生身の骨折よりも格段に痛々しい。
「貴方は……絶対、許さない……!」
右肘から先の自由を奪われた右京は、未だに自分の体を離さない紅緒に恨み言を吐く。
「私は多くの人からそう思われているの。今更一人二人増えても全然平気なの」
対する紅緒は右京の毒をさらりと流して、右京の滑らかな首筋に噛みつく。牙を立てて数秒、不意に与えられた甘美な痛みに顔を歪めた右京は、紅緒の神経毒を流し込まれて完全に意識を失う。
「まずは一人目なの」
紅緒は口に入り込んだ右京の血を吐き捨て、用済みになった右京の体も手放す。
「――――ッ、右京!」
右京が一方的にやられる様を見せつけられた左門は、紅緒に感じた憎悪に近い怒りも忘れ、落ちてくる体を受け止めようと走り出す。
走り出し、そして転倒する。
「ご主人、えげつないの」
右京の身体を落ちる寸前で拾い上げた紅緒は、転倒した左門が手放した刀を遠くに蹴り飛ばす。そして何が起こったのかに気付き愕然とする左門を持ち上げ、首筋にその鋭い牙を突き立てた。
「卑劣な……」
混濁する意識の中、左門が最後に目にしたのは自身の左膝――義足の関節部分に突き立った一本のナイフであった。その持ち主が誰なのか。それに思考が追い付く前に、左門の意識は毒に侵され溶けて消えていった。
紅緒は左門の体を横たえると、クロの元に駆け寄り
「ご主人、褒めて欲しいの」
と満面の笑みで褒賞を求める。クロは今だけ隣のシロに気を遣うのを止め、頭を下げた紅緒に手を伸ばして、座ったまま三色の髪の毛が覆った頭をわしゃわしゃと掻き混ぜる。
「紅緒、お前は凄い奴だ」
「えへへ。もっと褒めてもいいの」
「凄い奴だ。凄い奴だが……、俺はズィルバーにやられたとばかり思っていた」
褒めながらも、クロは紅緒がここまで辿り着く上で衝突したであろう障害について尋ねる。すると紅緒は得意気な顔で自慢を始める。
「あの人なら散々武器を使った挙句、私に逃げられた間抜けなの」
「…………あいつ、実は弱かったのか?」
「超強かったの。速いし力強いし武器が変な杭だしで逃げるだけで精一杯だったの」
「杭……、カーマインに刺さっていたアレか……」
「多分そうなの。袖から十数本は出てきたの」
どんな凶悪な吸血鬼でも倒せてしまう荒削りで人の腕ほどある巨大な杭――それを思い出してクロと紅緒は身震いする。そもそもズィルバーは診療所を襲った一人で、カーマインと之江を半殺しにするだけでなく、右京と左門までも無力化して攫ったのだ。正面からやり合わなくて正解だったとクロは自分の判断に心の底から安堵する。
「何にせよ、シロは無事に助け出せた」
クロと紅緒の話題についていけないシロは徐々に不満を募らせていき、その変遷を察したクロは逸早く話題を切り替える。
そして立ち上がり、シロの手を引いて立ち上がらせた。
「ちょっとまだよく状況が分からないけど……、ありがと、クロと……」
「紅緒なの。八幡紅緒」
「ありがと、紅緒。クロを連れて来てくれて」
「ちょっと気になる言い方だけど……、どういたしまして、なの」
困惑と照れが折り重なった表情でシロの相手をする紅緒を余所に、クロは散弾と血痕、コンクリート片の飛び散った室内を見渡す。
「……博士は何処だ?」
そして初めて、クロは博士の不在に気付く。当面の敵である右京と左門を倒して満足し、騒動の大元である博士を逃してしまった。
「何時からいなかった? くそっ!」
「ご主人?」
「クロ、無理して追う必要は……」
シロを取り戻した今、確かに無理に敵を追う必要はないのかもしれない。けれどクロにとって、あの狂人は果てしない不安要素で、今回の元凶だ。チャイナドレスが、鉄線使いの権利者が、アンヘルが、皆が口を揃えて言っていたのだ。
シロを攫ったのは博士が興味を持ったからだ、と。
この件に係わった敵方の人間で、クロの顔を見ているのはアンヘルとズィルバーと博士の三人だけだ。残りは全て紅緒と共に殺し、殺していない相手も日本軍が抑えている。アンヘルやズィルバーは兎も角、博士をここで逃がせば、必ず後の厄介の種になる。そして気掛かりも残している。
適確な処置が必要だ。次の厄介が芽を伸ばす前に、種を磨り潰さねければ。
「紅緒とシロはここで待っていてくれ。俺が探して、殺してくる」
「……クロ?」
説明も何もないクロに、シロは露骨に顔を曇らせ眉を寄せる。
「ご主人、傷は?」
「表面だけだが塞いだ。十分動ける」
「なら、これも持っていくの」
反面紅緒はクロの主張にこれと言った疑問もなく、紅緒が持って来たナイフを受け取るとクロは二人を置いて扉の先に消えていった。その背中を見送りながら、シロはポツリと漏らす。
「……あなたの影響?」
そこで初めて、紅緒はシロの印象を獲得する。
「私のクロが、あんなに物騒になったのは」
「誰の影響かは知らないの。ただシロの為であるのは確かなの」
クロがいる時といない時、感情の温度がはっきりと態度に現れる。当然それは誰にでも言えることではある。シロはその差が他者より格段に大きい。クロの前では燦々と照り付ける太陽なのに、クロが消えると冷たい光を反射する月に変貌する。いや、シロは寧ろ――――
「シロって、薔薇みたいな人なの」
「薔薇? 肌の色素が薄くて白いから、月や百合とかになら良く例えられるけど……、何で?」
「綺麗だけど、見えない部分は棘があってちょっと怖いの」
きっと仲良くなれないタイプ――紅緒はそう感じ、それ以上余計なことは何も喋らずにクロが戻ってくるのを待つことにした。
部屋から飛び出したクロは、早速博士の軌跡を見つけて追跡を始める。
足裏に付着した血痕と大股で進んでいった足跡が点在していた。博士はそれに気づかない程に慌てていたのだとはっきりと分かる。血の足跡が続く先には扉が、その奥には発電設備に隠れるようにして、物資搬入用のエレベーターが設置してあった。
クロはエレベーターは使わず、その脇に備えられた梯子を使う。
エレベーターは扉もない簡素な造りだ。罠を仕掛ける場所もなく、博士にそういった技能があるかと聞かれれば、恐らくないだろう。エレベーターに進むように見せ掛けて、どこかに隠れてやり過ごす可能性も捨てきれないが、そこまで考慮する必要はない。
数秒後、クロは誰にも邪魔されずに一階に到達する。
「暗いな」
梯子は、偽装された倉庫に保管されていたコンテナ群の一つに繋がっていた。地下への入り口がこんな場所にあるなど、余程勘の優れた者にしか気付けないだろう。少なくとも、クロはここの捜索を早々に諦めた。
「もう来たのかい! 速いな、キミは」
コンテナから出てきたクロを見て、博士は驚き叫ぶ。
「残念ながら、キミは詰みだな! 欲張らずに白い子と右京と左門を取り戻しただけで満足しておけば良かったのに、私まで手に入れようと出張るから!」
博士はふらふらと今にも倒れそうな足取りで、それでも喋り続けるのは自分の使命だと言わんばかりに声を張り上げていた。
「欲張るから、キミは、死ぬんだ!」
「待て!」
博士はそう言うと、窓を突き破って倉庫から飛び出した。意外と思い切りの良い博士の行動に驚きつつも、クロは逃がすまいと走り始める。ナイフを抜き、博士の世迷言には一切の聞く耳を持たないと心に決める。
そのクロから少し離れたコンテナが爆ぜ、爆炎が広がる。
クロは何故博士が派手な逃げ方をしたのか察する。それはこの攻撃を知っていたからであり、そうでなければ普通逃げるようにして飛び出しはしない。
反応出来たとしても防ぎ切れない程の爆風に飛ばされ、クロはコンテナの一つに叩き付けられた。べこりと金属に打ち付けられた体は揺れ、頭は朦朧としている。薄い倉庫の壁を突き破りコンテナとクロを吹き飛ばしたのが何なのか、その時のクロには分からなかった。
だが、それが博士の仲間たちの攻撃だというのは明白である。
クロは痛む腹部を押さえて立ち上がると、もっと奥のコンテナ群の陰に向けて再び走り出す。その後を追って倉庫の床が爆ぜ、捲れ上がる。倉庫の壁なんてお構いなしの追撃に、クロは唇を噛む。
この威力と速射性能は人間が生身で扱える武器による掃射ではない。
薄いとはいえ視界の確保出来ていない壁越しにクロを追い、コンテナの陰に隠れた後も続く掃射は金属のコンテナを打ち抜き内部で跳ね回る。
「攻撃ヘリか……?」
今の技術で改良を加えた最新のヘリコプターは、ローターの回転時に撒き散らしていた以前の騒音を別の波長で打消し、静かに空を進む。それこそ完璧な迷彩を施した攻撃ヘリならば、攻撃を開始するまで誰にも気付かれずに奥深くまで進攻することも可能なほどらしい。
事実クロはロケット弾を撃ち込まれるまでヘリの存在に気付かなず、今でも意識しなければ聞こえない程にローター音を抑えたヘリはそこらを飛んでいる。あのまま博士を追って出ていけば、機銃でバラバラに引き裂かれていたに違いない。欲張るから死ぬ。その助言は博士からの慈悲だったのかもしれないとクロは気付き、下唇を噛む。
機関砲の掃射が止み、クロはその隙に素早く移動する。クロは自分の想像通りに敵が攻撃ヘリで仕掛けているとしたら、権利者を念入りに殺す為に掃射だけで終わるとは考えていなかった。熱探知機で生存が知られたとしても、一点に留まるよりは遥かにマシだ。
案の定、クロの居た場所にロケット弾が撃ち込まれる。
爆炎と轟音――そして再開する掃射に、クロは辟易する。
敵の攻撃は一向に緩む気配がなく、倉庫を倒壊させるのも厭わない程の火力を叩き込んでくる。これほど音を立てれば、嫌でも下の二人にも届く。もし外の様子を見に出てこようとでもしたら……、それ以上は考えたくもない。
「くそっ、どうする? どうすればいい!」
ナイフ一本では、どうにもならない。対地上戦闘に特化した攻撃ヘリの前では、クロのような近接戦闘向きの権利者は普通の人間と変わらない。そして対空武装を持たない普通の人間は攻撃ヘリにとってボーナスステージに現れる敵と大差ない存在だ。
ロケット弾を何発も撃ち込み熱探知機が満足に機能しなくなったのか、外部からの掃射はクロを狙ったピンポイントな攻撃から文字通りに火力と速射性能を頼りにした薙ぎ払う攻撃に変わっていた。
地下に降り、攻撃をやり過ごす選択肢もある。
「……新しいローター音?」
けれど静かな攻撃ヘリとは別のローター音がクロを引き止める。撃ち抜かれて穴だらけの壁の先には輸送ヘリが、輸送ヘリの下では博士が待っている。当然だ。弾薬ですらカツカツな攻撃ヘリに、余剰人員を乗せる隙間などある筈がない。
攻撃ヘリが過剰な火力を叩き込み輸送ヘリの無事を確保しているのは、博士を無事に連れ帰る為だ。博士の『魔法権利』――確か『置換』と称された『魔法権利』は、恐らく他人を意のままに操れる力を持っている。どれだけ権利者本人が狂気に満ちていても、その『魔法権利』が敵組織に齎す恩恵は狂人の尻拭いをしても有り余る。高価な最新の攻撃ヘリよりも、博士一人の方が何倍も価値がある。
「なればこそ、ここで仕留める」
クロは紅緒から渡されたナイフを手に、精神を集中させる。
輸送ヘリはまだ空にいて降りて来ていない。攻撃ヘリはクロの居場所をはっきりと認識出来ていない。博士との距離は数十メートル――通常ならばナイフの投擲で仕留めるなど考えられない距離だ。ナイフが届いても命中するかどうかは分からない。命中する軌道でも、気付かれて避けられる可能性もある。攻撃ヘリが常時地上を睨んでいる。投げた瞬間に機銃で引き裂かれるかもしれない。
普通なら投げない。
だからこそ、投げるのだ。
クロはコンテナの陰から飛び出すと、女王の背中目掛けて全力で腕を振る。クロの『加速』した腕から放たれたナイフは回転し、放物線を描き飛んでいく。ナイフが生み出す風切音は輸送ヘリの生み出すローター音に掻き消され、機銃を気の済むまで撃ち込み離脱しようと傾いた攻撃ヘリはクロの姿を見て再び機体を安定させる。
クロもまた、ナイフの行く末を確認せずに離脱しようと身を翻し
「待ちなさい!」
博士の叫び声に呼び止められる。
止まる義理はない。立ち止まった瞬間、背後から機銃でずたずたに引き裂かれてしまうかもしれないのだ。
であるにも拘らず、クロは止まり、振り向いてしまった。投げたナイフの行く末は気にはならなかったが、飛んでくるナイフに怯まずにクロを呼び止めた博士の行く末は知りたいと思ってしまったのだ。
振り向いたクロの視界が捉えたのは、空中の輸送ヘリから飛び降りてナイフを叩き落としたズィルバーの姿と、それを覆い隠すようにして目の前に現れた攻撃ヘリの黒い機体であった。
後悔――好奇心に動かされた二秒前の自分を、数年前の自分が責めた。
シロ以外に興味を抱くから、お前は死ぬんだ。
走馬灯――死を前に硬直した今の自分を、出会った多くの顔が責める。
シロを助けようとするから、お前は死ぬんだ。




