Ⅵ-10
一時はクロを捉えていた左門の斬撃が、再び掠りもしなくなり始める。
日本刀の間合いと強化兵士の筋力、そして義眼の処理能力を以てしてもクロの動きを追いきれなくなっていた。強化型権利者と強化兵士。単純な身体能力だけで見るなら、権利者に分がある。しかし強化兵士――左門は日本刀と日本刀を扱う術を備え、権利者――クロを圧倒していた。
左門の剣技は、兎に角鋭く速い。
それは生身では成し得ない切り替えしに掛かる負担を、全て義体で補っていたからだ。今まで培ってきた技術を義体の性能で底上げし、高性能な義眼で動体視力を倍増させ、そういった超スペックに追いつかない生身の部位を薬物とトレーニングで誤魔化しながら左門は剣を揮っている。
時間が経てば義体は熱を持ち、当然動作は鈍る。
全力で動けるのは十分程度、長い時間は戦えない。
単純な継戦能力の違い――だが左門がクロを追い切れなくなった理由は、何もそれだけではない。
「なっ!!」
左門の薙ぎ払う斬撃が、クロに迫る途中で真上に跳ねる。今までには無かった対応だ。左門は跳ね上がった刀を無理矢理軌道修正し、流れるクロの体を追って振り下ろす。
当然斬撃は躱され、その隙にクロは悠々と間合いの外側に逃げ延びる。
そして踏み込み、逃げるクロを追う左門に合わせて、クロは急接近を仕掛ける。
左門は近づけまいと刀を薙ぐが、またも斬撃は軌道を逸らされる。クロはサバイバルナイフを使い、真正面からではなく掬い上げるようにして斬撃を弾いているのだと左門は気付いていた。気付いていたが、打てる対策は多くない。クロは真正面から刀をナイフで受け止めない。横合いから繰り出されナイフで弾ける軌道だけを的確に選び出し、それ以外は回避に徹しているのだ。
そして今も、クロは反撃するのではなく避ける為に自ら距離を詰めたのだ。
左門が二本目の刀を捨てた時、クロもまた戦い方を変えていた。『加速』を一定に維持して相手が隙を晒すのを待つ戦い方から、常に『加速』させ続けて相手を翻弄する戦い方に。
クロと左門の最大の違いは『加速』――『魔法権利』の有無である。
左門が戦えば戦う程に爆弾を抱えるのと裏腹に、クロは戦う時間が長ければ長い程に速く強くなる。『加速』とは、そういう『魔法権利』だ。
左門は斬撃を止め、クロから距離を取る。刀を下段に構え、以前のように問答無用で斬りかかろうとはしない。熱を持った義体を落ち着け、尚且つ攻めてくるクロに鋭い一撃を叩き込める構えだ。
右手のナイフを逆手に持ち替え、クロは顔の前でファイティングポーズをとる。
左門の体力は限界に近付いている、とその様子からクロは察する。当然あの姿勢から繰り出される斬撃の鋭さは容易に想像出来たし、避けることが出来ても弾けない類の攻撃であるのは明白であった。
クロとしても、このまま時間が経過して相手の回復を待つ道理はないのだ。これといった負傷もなく、『加速』も最高潮に達している。左門の剣戟の速さと軌道に目も慣れている。そして何より、一枚二枚策を噛ませる余裕もある。
手を出すなら、今を逃してはない。
「行くぞっ!」
「来なさいっ!!」
クロは『加速』で一直線に距離を詰める。まさに人間サイズの銃弾だ。通常なら接近に数秒は掛かる時間を、僅か一秒未満に抑えている。知覚して行動に移すまで、その数瞬に間に合わない。
並の人間なら反応出来ない。
けれど左門は強化兵士である。
クロの接近を視覚してすぐ、左門は後ろに跳び猶予を作り出す。増えた猶予は数瞬もない。しかしクロの動きを認知して、狙いを付けるには十分な猶予である。
左門の一閃――迫る影を裂く。
「頂きましたっ!」
迫る影は左門の斬撃により真っ二つに割れ、――――その手応えの無さに驚く。
「なにっ!」
割れた影は、クロではない。左門が斬ったのはクロの血塗れの黒いコートであった。
中身は何処に! と四方に意識を飛ばした左門の背後に、何かが着地する。
「強化兵士、侮れないな」
クロだ。変わり身の術の要領でコートを脱ぎ去り相手に斬らせ、自身は死角となった頭上を越えて背後を取る。脱ぐのが早くても相手に気付かれ、滞空が長ければ反撃の隙を与える。どちらに掛かる時間も『加速』で短縮できるクロにのみ可能な神業であった。
左門は体を反転させ、振り抜いた刀を勢い殺さず背後のクロに叩き付ける。
だがクロのナイフは左門の義手の手首の関節部分に突き刺さり、日本刀は左門の手からすっぽりと抜けてしまった。通常の人間なら手首も斬り飛ばされてもおかしくないが、頑丈な義手は左門に手首が斬り飛ばされるのと同様な痛みを与えるだけに留まった。
出血も何もない、ただ神経を揺らす純粋な痛みに左門は呻く。
神経に直接伝わる痛みは、虫歯治療を想像すると分かり易い。緩衝材としての役割を果たす肉体を介さない分、軽減されない生の痛みを脳が認識するのだ。虫歯治療に麻酔が必須なように、その激痛はとても甘受出来るモノではない。
クロは激痛で顔を歪める左門の足を払い、簡単に組み伏せる。左門は身動ぎして抵抗するが、不利な体勢もあってクロの拘束を振り払うことが出来ない。クロは奪われないように細心の注意を払いながら、左門の頸動脈をナイフの柄で圧迫する。
数秒後、意識と共に左門の抵抗は消えてなくなる。
動かない左門に跨ったまま、大きく息を吐く。『加速』を長時間使った反動とも言える疲労が全身を包み、立ち上がるのさえ億劫なのだ。
最初に投げたナイフを見つけ、座ったまま手を伸ばす。
クロと左門の殺し合いは十分程度の出来事――けれどクロは体感で二、三時間も体を動かし続けた後のような倦怠感に襲われている。診療所のベットで寝息を立てるシロの傍で何十日も腐り衰えた肉体は満州で、そして日本に戻ってきて戦いながら取り戻した。タンパク質とカロリー不足で万全とは言えないが、それでも戦いに耐え得る水準だ。
それでもやはり、全身に掛かる負担は大きい。
クロは倦怠感を振り払い、シロの元に行こうと重い腰を上げる。
「凄いね、キミ。とても強い。右京だけでなく左門も倒すとは思わなかったよ」
奥の方から博士が拍手を添えてやってくる。クロは冷めた目つきでそれを見つめながら、――――博士が連れている白い人影を見て、呼吸が止まる。
「――――シロ!!」
最早我慢する必要はない。クロは大声でシロの名前を呼ぶ。
数日振りに見たシロには、白い素肌の両腕があった。けれどその代わりに腰まで届く綺麗な輝く白髪は、肩から下がばっさりと切られ無くなっていた。セミロングも似合っていたが、それでも長い期間を掛けて伸ばしたことを知っているクロはそれを見て悲しくなる。痩せた身体、生気のない目――今すぐに駆け寄り、抱きしめたい衝動に駆られる。
「キミはこの子と知り合いなのかい? ……まさか外の騒ぎ、キミがこの子を取り戻す為に起こしたのか?」
「…………」
「そうか、そうならキミは相当狂ってるな! ああ、待て! 貶している訳ではない。寧ろ褒めているのだよ、私は。ここの奴らは皆青白いガキ一人に心酔してて気持ち悪くてね。アンヘルと言ったかな、私の『魔法権利』とは相性はいいが、ガキは鬱陶しくて嫌いでね。私が男なら、断然キミと同じくこっちの美人を選ぶのにな」
ペラペラと本のページを捲るように言葉を吐き出す博士に、クロはナイフを片手に握ったまま近づき
「黙れ」
とナイフを突き出す。だが博士は突き付けられた切先など気にせず、喋り続ける。
「いや、待て。キミの顔には見覚えがある。この子の記憶の中以外にも確か……、キミ、今何歳だ? 四十過ぎ……には見えないが、権利者なら例外は充分に考えられる。ニキなど二十年もあの外見だ」
「……お前には口しか付いていないのか?」
「失敬だね、私は右京と左門のような欠損はない。……ああ、思い出した。昔興味本位で見たドキュメンタリー動画でキミとそっくりな男を見た覚えがある。不愛想で、沢山のマイクを前にリップサービスの一つもない若い日本人宇宙飛行士。印象的だった。超難関の宇宙飛行士選抜に勝ち残っておきながら、何故ああも不機嫌なのか、とね。私がまだ夢と希望を持っていたエレメンタリスクールの頃の思い出だよ。もっとも学校には全く行っていなかったがね。それでキミは今何歳――――」
流れ出る博士の言葉を遮るように、クロは左拳を頬に叩き付ける。
「俺は二十二歳だ。それより俺の言葉を理解出来ないのか?」
クロは殴ったその手で襟首を掴み上げて引き寄せる。けれど口の端から血を垂れ流しながらも、博士の口は止まらない。
「そうか、助かった。これで積年の疑問が一つ解消できたよ。キミはあの宇宙飛行士の息子で、あの宇宙飛行士は生まれる前の……ひょっとしたら生まれたての息子に会えずに宇宙に上らざるを得なかった。宇宙飛行士は一度上がれば中々降りて来れなかったらしいからね。だから苛々していた。どうだ、正解かな?」
「俺も知らん。俺のルーツなど、今は関係ない。お前の疑問も事情も関係ない」
襟首を掴んだ手を離し、クロは博士を突き放す。
「それより、シロを返してもらう」
「この子を? ダメだよ、この子は私が頼んで連れて来てもらったんだ。まだあまり弄っていない。本国に連れて帰って、ゆっくりじっくり私好みに調教するんだ。これほどの上玉、飽きるまでかなりの時間が潰せそうで楽しみだよ」
「…………」
舌なめずりする博士に対し、クロは嫌悪感すら通り越して呆れ果てる。
「お前は、今の状況が分かっているのか?」
ここに屯した武装構成員の殆どはクロと紅緒が狩り尽し、差し向けた右京と左門もクロの前に敗れ去った。身を守る盾も、敵を討つ矛もない。目の前にはナイフを突きつけるクロがいる。そして博士本人からは、戦意どころか危機感を抱いている素振りすら感じられない。
「キミこそ、今の状況が分かっていないようだね」
だが博士もまた、呆れた顔でクロにそう告げる。
「……シロと俺を戦わせるつもりか?」
「ナンセンス、この子は戦えないよ。最近の記憶にも空白が多い。長い間寝込んでいたのかな、筋肉がまるでない。キミに宛がっても退屈な見世物になるだけで、当然私は満足しない」
「…………」
「だから、キミの相手は再び彼らにしてもらう。――右京、左門、起きなさい!」
博士がパンパンと手を叩くと、クロの背後で二つの影が立ち上がる。
「――――ッ!」
そこには覚束ない足取りの右京と左門が立っていた。まだ気絶しているのではないかと疑ってしまう程に生気の籠っていない瞳で、ジッとクロを見つめている。
「そうだ、良い考えが浮かんだぞ!」
苦い顔をするクロに、博士は嬉々として語り掛ける。
「キミがあの二人を殺さずに倒したのは知っている。だが、二人同時ならどうだ? それが私は気になる。右京と左門の本領は、二人が組んだ時にある。右京に至っては武器すら持っていなかった。全力には程遠い。それでどちらが強いと決めてしまうのは、少しだけ、少しだけだが不公平だと私は思う。キミは二人と戦って、どちらが強いか私に教えてくれ。勝てたなら、この子も返してあげよう」
冷や汗が頬を伝う。
無理だ、断る――と答えた所で何も変わりはしない。シロを目の前にした時点で、クロから逃げる選択肢は消え去っていたのだ。戦うしかない。右京は左腕全てに、左門は左手首の義体にそれぞれ先程の戦闘の影響を残している。いや、残していて欲しいとクロは願っていた。けれど今までの戦い方から二人は相当鍛えている。あの程度の傷、刀を振るう上で致命的な障害になる程とは思えなかった。多少動きに精彩を欠いていたとしても、二対一の近接戦闘では攻撃を避け続けることも、相手の隙を突いて反撃することも出来ないのだ。
「先にシロを解放しろ。その条件を飲めば、お前の言う公平な勝負を受けてやる」
だが、これはシロを取り戻す千載一遇のチャンスでもあった。リスクはあるが、シロと秤に掛けたなら語るに落ちる。
博士は少し悩む素振りを見せ、その条件を承諾する。
「あまり時間は掛からないよ。彼女に施した『置換』は謂わば仮縫い、即席ばかりで複雑ではないからね……っと、もう終わった。ほら、行きな」
シロの額と自らの額を合わせた博士は、少しだけ残念そうな表情でシロの背中を押す。
背中を押されたシロはふらふらと覚束ない足取りで歩き、クロは慌てて抱き止める。
「あれ……、クロ?」
「シロ、良かった。本当に、無事で良かった」
「ごめん、まだ頭がぼーっとしてるんだけど、……クロの泣きそうな顔してるよ。何かあったの?」
とろんと眠たげな顔のまま、シロはクロの頬に触れる。クロは何も答えずに、シロを抱えて壁際まで運んでいく。
「クロ……?」
「ここで少し待っていてくれ」
「……待って、行かないで、クロ!」
追い縋るシロに何も言わず、クロは右京と左門の前に出る。
勝ち目は薄い。体躯だけ見るならクロは二人より優れている。身体能力も耐久力も二人より格段に上だ。――――けれどそれは、相手が素手の場合に限る。日本刀のような間合いを活かした制圧力を持つ武器には手が出せず、再び『加速』を高めるまでに二人の斬撃を避け続けるのは至難だ。
クロはギリッと噛み締める。
約束を反故にして逃げるのも無理だ。あの状態のシロを連れたまま、二人の追撃を往なして撒くことも出来ない。
絶望的な状況――クロには、戦うしか道は残されていなかった。




